【1-3】王家の金ボタン

 王国郊外にあるマルティヌス教会で育った孤児・キリエは、十八歳の青年になった。神の愛をひたむきに信じ、生活は貧しいながらも心は穏やかで優しい彼は、教会の皆からはもちろん、付近の農民たちからも慕われていた。

 キリエは日中は教会から徒歩三十分ほどの街中にある果物屋で働き、朝と夜は教会で神父やシスターの手伝いと孤児たちの世話に追われ、忙しい毎日を送っている。

 それでも不平不満はひとつも漏らさず、ことあるごとに神へ感謝の祈りを捧げている姿はまさしく聖人そのものであり、伝説上の存在である妖精人エルフのような銀髪銀眼という容姿の特徴から「聖なる銀の子」と称されていた。もっとも、これは教会周辺の農民たちが密かに呼んでいるだけであり、キリエ本人が把握しているわけではないのだが。


 ともあれ、キリエは、孤児たちの飢えを満足に満たしてやれない歯がゆさを憂いてはいたものの、健やかな心で日々を懸命に生き抜いていた。

 このままマルティヌス教会周辺の狭い世界の中で老いてゆき、いずれは生を終えるのだと。当然のように、そう思っていた。


 まさか自身が王国を揺るがす存在になろうとは、キリエは全く考えていなかったのである。



 ◆◆◆



「みんな、ただいま」


 とある日の夕刻、果物屋での仕事を終えたキリエがマルティヌス教会の宿舎へ戻ると、幼い子どもたちがワッと取り囲んできた。


「キリエ、おかえりー!」

「お仕事お疲れさま!」


 街で暮らす子どもたちと比べると木の枝のようにやせ細った孤児たちは、やはり同年代の平均よりも背が低く華奢であるキリエにしがみつきながら歓迎してくれる。


「今日は少し多めにお給金をいただけたので、チーズを買ってきたんです。今夜はシチューにしましょうね」


 キリエの言葉を聞き、子どもたちは喜びの声を上げる。普段はほんのわずかな塩で味付けをした野菜スープか、極限まで薄めたミルク粥くらいしか、食卓に乗せられない。少量のチーズでわずかにコクを出しただけの「シチューもどき」でも、教会で暮らす皆にとってはご馳走なのだ。

 嬉しそうな子どもたちの頭を順に撫でながら、キリエも幸せそうに目を細める。子供たちのピカピカな笑顔を見られたことに対し、内心で神に感謝をしていると、そんなキリエの手を一人の少女が強めに引っ張ってきた。


「ねぇねぇ、キリエ」

「はい。フィオナ、どうしましたか?」


 フィオナと呼ばれた7歳の少女は、くりくりと丸い飴玉のような瞳を瞬かせ、教会の外を指さす。


「あのね、さっきエステルがね、キリエにご用がありそうだったの」

「エステルが?」

「うん。花壇のところでね、どうしようかなーキリエに言わなくちゃーってブツブツ言ってたの」

「そうですか……、何か困りごとかもしれませんね。僕はエステルを探してきますので、チーズを調理場に届けてもらえますか?」

「うん、わかったの!」


 キリエからの頼まれごとを聞き、フィオナは張り切った笑顔で荷物を受け取り、すぐに駆け出した。他の子どもたちもフィオナを追いかけて、一緒に調理場へ向かってゆく。よっぽどシチューが嬉しいのだろう。

 子どもたちが転ばないように願いつつ、キリエはエステルを探すために宿舎を後にした。



 ◆◆◆



 エステルは活発で勝気な少女へと成長したが、花が好きという女の子らしい一面もある。日中はキリエと同じように街中で働いているが、夕刻に教会へ戻ってからは花壇の手入れをするのが彼女の息抜きとなっているようだった。

 先ほどフィオナが花壇の方を指さしていたこともあり、キリエがそちらへ向かってみると、エステルは予想通り両手を土まみれにして花と向き合っている。近づいていくと、エステルはキリエを振り向いてにっかりと笑った。腰まである2本のおさげ髪が、彼女の動きに合わせて揺れる。


「おぉ、帰ってたのか! おかえり、キリエ」

「ただいま、エステル。今日も相変わらず精が出ますね」

「まぁね。あたしの大事な友達だからさ、キレイキレイにしてやらんと。もう秋だし、もうちょいすりゃあ枯れちまうんだけどさ。最後まで良い顔しててほしいだろ?」

「そうですね。花たちもきっと、君のような友達に恵まれて喜んでいますよ。──ところで、エステルが僕を探していたようだと聞いたのですが」

「あー……、うん。まぁ、あんたにちょいと頼みたいことがあるっていうか」


 エステルの表情が曇るのを見て、彼女の頼みごとは本来であれば自分で片付けたいものなのだろうとキリエは考えた。

 この少女はとても責任感が強く、むやみに他人の手を煩わせることを好まない。その相手に依頼すべきことであれば堂々と伝えるが、逆に自分ひとりの力でどうにかできそうなことは誰かを頼りづらいらしく抱え込みがちなのだ。


 渋い顔をしていたエステルはエプロンで無造作に手を拭い、継ぎ接ぎだらけのワンピースのポケットから何かを取り出し、キリエに見せてくる。その手に乗っているのは、金色のボタンだった。見るからに高級そうなそれには、王家の紋章が彫られている。


「これ、拾ったんだよ。たぶん、そこらの猫か狸がくわえてきたんだと思うけど。そこの花壇の脇に落ちていたのさ」

「これはまた……、随分と上質な落とし物ですね。神父様にはご報告を?」

「もちろん。……本音を言っちまえば、さっさと売り払おうかとも思ったんだけどさ。その紋章って、王家のだろ? さすがにまずいよなぁって考え直して、神父様に相談したってわけさ」


 教会に身を寄せている者にあるまじき発言ではあるのだが、キリエは苦笑しつつもエステルを咎める気にはなれなかった。エステルが利を求めようとしたのは子どもたちのためである、と知っているからだ。だから、そのまま会話を流すことにする。


「それで、神父様はどのように?」

「そりゃあ、当然、早めに街の役人に届けるべきだって言ってたさ。でも、神父様は明日も明後日も大事な来客があって教会を留守にできないから、あたしが代わりに届けてほしいって言われた」

「なるほど」


 つまり、この落とし物を届けに行く役割を代わってほしいのだろう。そう理解したキリエは、黙って手を差し出した。自分が頼まれた用事をキリエに言い出しづらいエステルの胸中の複雑さは分かっているし、恩着せがましく言うつもりもない。

 しかし、エステルはボタンを手渡そうとはせず、ぽってりとして愛らしい唇を尖らせた。


「あたしが頼まれたんだから、あたしが行くべきなんだよ」

「でも、行きづらい事情があるのでしょう? 誰か行ける人が行けばいいんですから、僕が行きますよ」

「キリエが働いてる果物屋より、あたしが働いてるパン屋からのほうが役場は近いし」

「そんな、僕はぜんぜん気にしませんから」

「あたしは気にする! だぁーっ、もう! なんでさぁ、女って胸が膨らんじまうのかな!?」

「……えっ?」


 あまりにも唐突に、そして予想外の問いかけを受けて、キリエは銀色の瞳を見開いて絶句する。そんな少年の目の前で、エステルは恥じることもなく、ここ数年でたわわに実った胸部を見せつけるかのようにしつつ腰に手を当てた。


「ほらな、キリエは平気なんだよ。あたしの胸がでかくなろうが萎もうが特に気にしないだろ?」

「えっ、ええ、まぁ……、はい。これといってエステルの胸について考えたことはありませんが」

「だろ!? それでいいんだよ、それで。でもさぁ、あそこの役人ども、いやらしい目で見てきて気持ち悪ぃんだ。孤児上がりの女なんてってバカにするくせに、胸のでかさだけは評価してやるなんて言いやがる! まったく、気持ち悪いったらないよ!」


 そういうことか、とキリエは納得する。

 エステルは男勝りでガサツな口調ではあるが、顔立ちは可愛らしく、全体的な体の細さの割に胸が大きい。彼女を妹のように思っているキリエ自身はよからぬ劣情を抱いたことはないが、エステルに対して情欲の目を向ける街の男は決して少なくないのだろう。街役場に勤めている者は上流階級の人間ばかりだから、余計に庶民に対しては私欲しか無い視線を向けてくるであろうことも想像に容易い。


「そんな事情があるのなら、ますます僕が行かなくては。むしろ、エステルに行ってもらうわけにはいきませんよ。街の娘さんがお役人に乱暴されたという噂話だって時々聞きますし、心配です」

「そりゃあ、街のお嬢さんは小綺麗な格好して無力なお人形だからさ。気が強いあたしには無用な心配さ。役人の目が気に入らねぇってだけなんだ」

「エステルだって、教会のお嬢さん。女の子なんです。少しでも危険があるのなら、男の僕が代わるのは当然のことですよ。君が気に病む必要はありません」


 キリエが諭すように言うと、エステルは頬を真っ赤に染めてふくれっ面をした。


「なんかさー! よく分かんないけど、あんたのそーゆーとこはズルイ気がする!」

「ずるい……? 僕は神にも自分にも正直に生きているつもりなのですが」

「だぁーっ、そうじゃなくて! なんでもないっ。キリエのバーカ!」

「エステル、どうしたんですか、そんなに興奮して。顔が真っ赤ですよ」

「夕陽のせいだろ!? バーカバーカ!」


 照れをごまかすようにバーカを連発したエステルは、ふんっと鼻を鳴らして拳を突き出してきた。例の落とし物を握っているのだろう。


「まぁ、あんたが行ってくれるってのは素直に嬉しい。……ありがと」

「ふふっ。いいえ、どういたしまして。明日のお仕事帰りに寄ってみますね」

「うん、助かる。じゃあ、これ渡しとく」

「はい、お預かりしま……っ、うわわっ」


 エステルからキリエの手に渡った瞬間、金ボタンが眩く輝いた。周囲が暗くなってきていたこともあってか、思わず目を細めてしまうほどの強さを持った金色の光。驚き慌てるキリエの手から、エステルの指がボタンをつまみ上げる。すると、瞬時に光は消え失せた。


「おいおいおいおい、キリエがイタズラを仕掛けるなんて珍しすぎるにもほどがあるだろ!? 明日にでもこの世が終わっちまうんじゃないか!?」

「ち、ちが……っ、僕は何もしていません! 逆にエステルのイタズラなのでは?」

「あたしゃあ、何もしてない! 神父様だって触ってたし、ベンとヨハネだって触ったけど、光ったりなんてしなかったぞ!?」

「そんな……」


 ベンとヨハネは一緒に暮らしている孤児だ。エステル以外にも触れているのに、このような現象が起きているのがキリエのときだけというのは解せない。

 キリエとエステルは困惑しながら顔を見合わせ、頷き合った。示し合わせたわけではないが、エステルが再度差し出してきた金ボタンに、キリエもそっと人差し指で触れてみる。すると、やはりボタンは神々しく輝きだした。


「ど、どういうことなんでしょう」

「まったくもって意味不明だけどさ、なんかひたすらやばそうな気がする」

「明日、お役人さんに聞いてみたほうがいいかもしれませんね……」


 青年と少女は戸惑いの視線を交わし合い、同時に溜息をつくのだった

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