言ってることは同じなんだけど

 みなさんは『うずまきソフト』というアイスを知っているだろうか。

 明治製菓から販売されていて、コンパクトなソフトクリームが6個入りの箱で売られているやつだ。スーパーに行くと、時々ウチは子どものおやつに買っていく。

 そのうずまきソフトが、『うますぎソフト』に名前を変えたのである。変えたのは名称のみで、内容やパッケージなどには何の変更もない。



 今は商品名を変更した過渡期で、スーパーには「まだ在庫があるうずまきソフト」と「新しく入荷したうますぎソフト」とが混在している状況があり、それを目撃した客がにんまりするという状況がいたるところで多発。面白がった人がツイッター(現在はX)にアップするお祭り状況になっている。まさに、見た目はほぼ同じだが商品名のところだけが違う、という間違い探しみたいな絵面である。

 これは、販売側もちょっと意識したことのようで「皆さんに面白がってもらえるかと思って」とコメントしている。



 中身は一緒なのにただ商品名を変えただけで、こんなにも面白いことが起きる。

 私はこれまで二千に迫る数のスピリチュアル記事を書き続けてきたが、その全部が全部「違う」話なんかではない。たとえ話や引き合いに出す情報やニュースが違うだけで、とどのつまりの言いたいことというのは同じだったする。そんなことを言ってしまえば、同じ話をしないなら二千近くある私の記事など二百程度で事足りるのだ。

 ではなぜ、エッセンスは言いつくしているのに日々記事を書くのか?



●面白いからである。うずまきソフトがうますぎソフトに変わるように。そしてまた、新しい側面に光が当たりより理解が深まったりするからである。



 神髄は変わらない話でも、ミルクボーイのネタのように『こんなもん、なんぼあってもええですからね』。そう、いくつ似た話を量産してもいいのだ。その度に楽しいのだから。

 この世界に歴史上、どれだけの物語が、小説が、詩が書かれ続けただろう。結局言いたいことは同じなのに、手を変え品を変え、人類は一向に創作する意欲が減退する兆しはない。やはり同じ話の繰り返しはいいものなのだ。

 語る人が違えば、同じ話でも聴こえ方が違う。また同じ人の話でも、場所と機会、そして話し手の気持ちが違えばガラッと受ける雰囲気が変わってまた楽しい。

 みんな違って、みんないい。

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