知識は知恵ではない

 あるYouTuberが、道を歩く女性に『あ、AVに出てた人や!』と叫ぶという企画を実行し動画を公開した。恥ずかしくてその場から去ろうとする女性の進路を妨害するようなことまでして、その反応を映像に収めた。

 当たり前すぎるほど当たり前だが、その動画は炎上&非難の嵐。現在、その投稿動画は削除されている。動画に映されてしまった女性の友人を介して「動画を削除してほしい」という依頼もあったとか。

 そのYouTuberは「それが悪いことだと分かっていなかった」とコメントしている。これを聞いて、呆れる人も多いだろう。ええっ、そりゃ人としてどうなん?



 確かに、やったことは見事なまでに間違っている。

 でも、このやらかしたYouTuberはひとつだけ褒めれる点がある。それは「正直であった」という点である。悪いことだと分かっていなかった、と言えた点で。

 世の中には、この「分かる」という言葉がかなり適当な使われ方をしている。たとえば、痴漢はいけないことだという知識(認識)があるが、痴漢で実際に逮捕される者たちで、実行する前に「痴漢は良いか悪いかで言えば悪いこと、していいこといけないことどっちかで言えばしてはいけないこと」と分かっていなかった者は一人もいないはずだ。

 だとすると、必然的になぜ「頭ではいけないと分かっていることを実行できてしまったのか?」という疑問が生じる。これに関して、色々難しい理屈を言う人はいるだろうが、筆者はめちゃくちゃシンプルな理由でそのわけを考えている。



●実は悪いことだと分かっていない。



 簡単なことでしょ? 悪いことだと分かっていないからできた、それだけ。

 あなたは文句を言うかもしれない。そんなことはないですよ。痴漢が悪いなんてことはやった加害者も頭で分かってますよ。それでもその「ダメだ」を乗り越えさせる大きな力が働いて……とか、さももっともらしいことを言うのだろう。

 あのね、それを「分かっていない」と言うのだよ。



●知識情報だけで分かっている内容は、限りなく「分かっていない」のと同じ。



 世の男どもは、痴漢の実行犯以外は捕まった時の絶望感と、そのあと経験する取り返しのつかない生活環境の変化・差別・偏見・見下しを知らない。自殺できないなら、その後の足かせをしたまま生きるような人生の生々しさを知らない。他者から下される耐えがたき侮蔑の視線を知らない。

 いやな目に遭った被害女性の涙とその傷付いた心の状態を知らない。知ったら、一時の欲望のゆえに踏み切れたその行為によってその「傷付いた世界を生んだ」ことを知れたら、加害者は一生後悔するだろう。

 非常に残念ではあるが、痴漢を実行するような人間はそういったことをとっさに思考できない。体験したことはなくとも、予想くらいは頑張ってできるだろうが、ほとんど抑止力にならない。ならないということは、ただ知識として「痴漢はいけないこと」ということを知っているだけでは何の意味もない、ということである。

 知っているのになぜできない? というのは愚問なのである。知らないからできないのは当たり前、と考えたほうがいい。



●知識として知っているだけのことは、何の役にも立たない。



 聖書を何度も通読(最初から最後まで全部読む)したという人を何人も知っているが、彼らはそれほど「いい人」たちではない。むしろ、あまりお友達になりたくない。無価値どころか、その余計な知識で他人を裁いてくるので、有害ですらある。

 宗教でも、経典に精通しその知識を誇る人がいるが無意味。スピリチュアルでも、色んな本を読み漁りいろんな指導者のセミナーに出、スピリチュアル用語満載の知識だけは膨大にある人がいるが、それも無意味。

 知識として知っているイコール無意味。それくらいに思っていい。



 反論として、「でも最初に知識は必要。あとでそれを深め体に落とし込む必要はあるが、まず知るという作業から入ってもいいはず」ということがあるだろう。その観点からは、知るということは必要であり、価値がある。

 もちろん、その通りである。ただ、それは認めるがひとつ注文を付けよう。



●知ったあとで受肉化(身をもって知ること)するのを先延ばしにしないように。



 たとえば、即席ラーメンを作ろうと、麺の塊を3分ゆがいたとする。で、そこでやめて粉末スープも入れずどんぶりにも移さず、だとどうなる? 麺も伸びて冷めて、美味しくなくなってしまう。

 確かに、最初に知識の取り入れはいる。そのあとじっくり、自分の実感として落とし込む作業をすればよい。そうして得た力は知識ではなく『知恵』と呼ぶ。そしてその知恵を多く持つ者を「賢者」と呼ぶ。賢者は知識の膨大さではなく、知恵の数をこそ誇る。そしてそれは、人の短い一生の中では知識ほどに数多くは持つことが出来ない。だから貴重なのだ。

 私が警告したいのは、知識を得たのちに、それを知恵とする苦労を先送りにし「すぐやろうとしない」人が多いことである。ひどい場合には、意図的に避けるどころか「忘れ去ってすらいる」ことである。

 生まれてきて、どこかで「痴漢はいけない」と知識で知ったなら、それを「知恵」とするために自分で動いて汗しないといけない。頭を、心を働かせて「本当にいけない」ことを腑に落とさないといけない。そのために必要なら、そういう小説や映画だって手を伸ばしたらいいし、何なら身近な女性の声を聞くのもまたひとつだ。

 その宿題を放置するから、本番で「やってしまう」。やってはいけないと分かっていたけどやった、のではない。本当にいけないと分かっていなかったのだ。



 冒頭のYouTuberはダメダメだが、でも「いけないこととは分かっていたが我慢できなかった」とウソの言い訳を口にするそのヘンの痴漢加害者に比べたら、いけないことだと分かっていませんでしたと「自分は分かっていない」ということを認められた点だけでも評価できる。

 もし彼が「いけないことと分かっていましたが、アクセス数と登録者数のアップのためあえて過激なことをやってしまいました」なんて言い訳をしていたら、私は「コイツ全部ダメだな」と思っていたことだろう。

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