絶対正義

 先日の記事の中でも、多少話題として触れたTVドラマの『絶対正義』。

 主人公の女性・高規範子は、子どもの頃自分を心配して追いかけて来た母親が、信号無視をしたがゆえに車にはねられ死亡してしまった一件を通して、「母がいかに自分を大事に思っていたか」ではなく「世の中で正しいと言われていることをきちんと行わないと(この場合は信号無視)不幸になる」という方面で学習してしまう。その後範子は、自分にも他人にも「正しいことは何が何でも守る」ことを鬼のように強要する人間へと育つ。



 筆者は、昨日やっと最終話を見た。

 私がちょっと心配したのは、このドラマが「範子を貞子みたいな扱いにしてホラー路線で描き、最後改心するとかなく退治(逮捕されて身動きできなくなる)されて終わり」になることである。ホラー路線でいくなら、たとえばジェイソンをはじめとする「ホラーの名キャラクターたち」が反省して心を入れ替える、などあったら興ざめもいいところでしょう。私がこのドラマに見たかったのは、絶対正義を押し通すことの「怖さ」以上に、その信念を貫いた結果「幸せにはならない」ことにいつ気付き、どこでそれに向き合うことが出来るか、である。

 それを、脚本家がちゃんと書くかどうかが心配だった。やっぱり、人の最大の関心事は一時だけの「あー怖いもの見た」という刺激ではなく、絶対正義などというものは成立するのか、正しいことはどの程度大切にするべきなのかの「加減」についてなのである。それを迷うから、人は人生で悩み苦痛を感じる。



 私は、最終話の描写は見事だと思った。

 ネタバレを含むので、嫌な方は以下の行を読まないように。

 人間が、過去の悲劇やトラウマ、心に抱えている闇を乗り越えるのに熟した時期を迎えた時、決まって共通にあることが起きる。



●過去に起きたのと似た状況が再現され、今度はどうするのかを問われる。



 範子は、かつて心配する自分を追いかけて来た母親の、信号無視による事故死を「母親は愚かだった」と解釈した。信号は守るものという決まりを破ったから、ひどい目に遭ったのだ、と。

 でも最後、自分の娘を心配し追いかけるという、まったく同じ状況が生じる。そしてやはり、途中信号が赤になり、それでも追いかけないと見失うという状況の中で、範子はかつて愚かだと思った母親と同じ行動を取る。自身も信号無視をしたのだ。

 その時に、氷解するのだ。絶対正義を鬼のように追い求めてきた自分を、そしてその日々を「間違っていた」と認められたのだ。そして、事故死した母への評価も変わった。愛は正義を越えるのだ。正義とは、愛がその価値を大いに発揮できる状況では守る価値があるが、その正義を守ることで愛が損なわれるくらいなら、臨機応変に正義をコントロールすべきなのだ、ということを学んだのだ。



 きっと、これをお読みのみなさんにも、そういう時が訪れる。

 それは、ちゃんと自覚できるものである。ああ、今のこの状況ってあの時と同じだな、と。気付けないなんてないから心配しないこと。ただし、必死に意識の下に押し込めて考えないようにして、気付かなかったかのような「フリ」はできてしまうので、そんな卑怯なマネだけはお勧めできない。

 その時に、過去とは違う選択ができて乗り越えられたら上々。同じ過ちを繰り返してしまっても、それもまた人生経験のひとつ。そこまで自己評価を下げる必要もない。また次のチャンスを待てばよい。

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