きれいに打たれたほうが良い再スタートを切れる
時々、読んでいて驚くような報道がある。驚くというかあきれるというか。
今朝のニュースで、ひき逃げ犯が逮捕されたと報じられた。その犯人の言い訳は「何かに当たったとは思ったが、人だとは思わなかった」。
人に当たるということは、しかも当たった人物が死に至るほどの衝撃なら、普通のことではない。まず車を停め、何が起きたのかを確認するであろう。
ひき逃げとは、そこで停車せず走り去ってしまうことである。私は、犯人が言う「人だとは思わなかった」を純粋に信じてあげることができない。本当は分かっていたはずだ。結局怖かったのだ。自分が人をひいてしまったと認めるのが。
そして、意図しない事故とはいえ他人の命を奪ったのだ。逮捕されてあとの自分の辛い人生も思い浮かべただろう。それをできたら回避したい、もしかしたらここで逃げたらなんとか捕まらずに済む可能性もある。これまでと同じ日常を守れるかもしれない——(科学捜査が進んでいるし防犯カメラも溢れているからまず逃げきれないが、気が動転していると判断力が鈍りそうした希望を持ってしまいやすい)
で、捕まってしまって、ここでもう潔く自分の罪を認めてしまうことが、せめてその「一度は卑怯にも逃げようとした」人間にできる最低限の償いである。
でも、「人をひいたとは思わなかった」は、二度めの機会もまた卑怯にも責任から背を向けようとしている。一体誰が「そうなんだ! 分かる分かる」と納得してくれると思うのか?
恐らくだが、それを言ってる本人も「苦しい言い訳」であることは頭のどこかで分かっているのだろうとは思うが、抗えない大きな力である「どうにかして自分の人生の転落を少しでもマシなところに落ち着けたい」という欲求のせいで、思わず反射的に口にしてしまったのだろう。いわゆる防衛本能というやつだろう。
これと似た言い訳は時々目にする。未成年の女の子に手を出して(いわゆる淫行)逮捕されたいい年した男性が、警察の取り調べで言う。『未成年だとは知らなかった』。これも、9割以上の確率で知っていたと思う。
そんなのは罪を少しでも軽くしたい意図の見える言い訳で、相手の見た目や触れた肌の感覚(生々しい表現ですまない)から、脳裏に「こいつ何歳だ?」となるはずだ。考えない人間がいたらおかしい。
でも、そこが人間(男性)の弱さで、まずいのではという警告を「大丈夫」という、欲望を優先する力が掻き消してしまうのだ。まるで、ゴミ箱にフタをすればゴミが消えてしまうかのように。でも、フタの向こうには依然としてゴミがあるという現実を見ないようにするのだ。
最近見たもうひとつのニュースで、レンタルビデオ店に来たが会員証がなくて借りたいのに借りられず、その腹いせでか店の入り口のガラス扉を蹴って割った人間が、通報され逮捕された。その人物の言い訳は「足のつま先がたまたま当たった。わざと蹴ったわけではない」。
もうね、大の大人がする言い訳じゃないよね。台風だって来るし、全天候に対応すべく店の外に向いたガラス部分はある程度の強度をもって作られている。意図をもって力を込めないと、そんなものは割れない。
これまで三つの例を挙げてみたが、これらの言い訳にに共通してひそむ人間心理は一体何か。
●自分の悲劇(損害)を、少しでもマシにしたい心理。
人をひいてしまったら、逃げ切れたら一番いい。だが運悪く捕まってしまった今、全面的に非を認めるより「人とは思わなかった」と言うほうがいい。なぜなら人だと思ったなら、なぜ降りて安否を確かめないのか、という話になってしまうからだ。
未成年との性交で捕まってしまったなら、相手が18歳未満だと分かっていてやっちゃったとなると印象が悪すぎるし、今後の自分の人生にも響くので「18歳未満だとは知らなかった」と言っておく方が同じ法の裁きを受けるのでもまだマシとなる。
レンタルビデオ店のガラス戸を、会員証忘れて借りられなかった腹いせに蹴破ったと報じられると恥ずかしい。実際はそうでも、本人としては少しでも自分を守りたいので「つま先がたまたま当たった」と言っておきたいのだ。
でも、こういった言い訳をする人たちが分かっていない、ある重大な事実がある。
●大きな失敗をしてしまった時、できるだけそれを取り繕おうとするような、少しでも自分をマシに見せようとする方向での努力は、まったく逆目に出る。
むしろ、きれいすっぱり自分の非を全面的に認めたほうが、きれいな再スタートを切れて、トータルではこちらのほうがかなりましな人生になる。
刃物でできる体の傷は、鋭利なものできられたほうが痛みが少ないし治りも早い。逆になまくらな、ボロボロの「きれない」刃物でできた傷ほど痛いし、治りも遅い。
逮捕されてなお、少しでも自分をマシにしようとして弄する小手先の言い訳は、そのなまくらな刃物で自分を傷付けるのと同じである。
いくら恥でも、自分のしたことを言い訳せずきちんと認め謝罪すれば、確かにスタートこそ全面降伏で容赦ない裁きは下るが、のちに立て直す芽も出てくる。誰かが、あなたのその潔さと反省を見るからだ。誰かが分かってくれ、誰かが味方してくれる。鋭利な刃物による傷と同じで、怪我はするが必死に自分可愛さに守ろうとするよりも感じる痛みは少ないし、立ち直りも早い。
失敗したと思ったら。これは償いが必要だと感じたことなら。
弱さから、それを隠したり逃げたり、うまく言い訳したりという誘惑に駆られることは理解できる。でも、負けないでほしい。
逃げて、たとえ逃げおおせたとしても、死ぬまでの長い年月あなたは結構重い荷物を背負って生きることになり、たとえ前科のない一般市民として人生を終えられてもそれは表面上のことで、死んだ後持っていくのは見もふたもないあなたの本当の「してきたこと」であり、その弱い心である。
その場で踏みとどまり、逃げることなく全力で事後処理に応じてていく方が、実は一番言葉は悪いが「マシな状況」というものを作れるのだ。少しでも、保身から「こう言えばマシになるんじゃないか」と考えてあきれるような事を言って、さらに評価を下げてしまうような人が減ってほしいと願う。
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