真冬の夜の夢

 新年早々、夢で久しぶりに思い出した人物がいる。

 小学生の頃、ラーメン好きの親に誘われて夜ちょっと遅くに食べに行くことがあった。車で10分くらいの国道脇の空き地に、屋台を引いてやってくる小さなラーメン屋。6人も座ればいっぱいになってしまうのだが、今思い出してもめちゃくちゃ美味い記憶しかない。

 普通なら「子どもはもう寝る時間です!」っていわれそうなところを、茶目っ気のある親はこまかいことは目をつぶって連れて行ってくれた。「どや、ここうまいやろ?」と得意気に言ってくる父に「お父さんが作ってるわけじゃないやろ!」と感謝しながらも心の中でツッコミを入れていた。



 そこの店主のオッサンもいい人だった記憶しかない。

「ウチのラーメンはなぁ、これオジサンの個人的な意見やけど、すりおろしニンニクをちょっと入れて食べるのが一番オススメなんや」

 そのアドバイスを素直に受けて、ニンニクを入れたら確かにうまくなったように感じた。次の日、小学校でどんなにおいを口から巻き散らかしていたかは今となっては分からない。

 とにかく愛想のいいオッサンで、父とも会話が弾んでいて、長居できるタイプの店じゃなく次の来店者のために席を譲らねばならなず去るのがちょっと名残惜しかった。焼肉屋とかステーキとか、そんなものをレストランに食べに行くのももちろん好きだったが、このちょっと夜中に行くラーメン屋は、小学生だった私にとって何よりも楽しい行事のひとつとなっていた。



 ある日を境に、その楽しい習慣は続けられなくなった。

 これは父情報で、その父だってちゃんとしたソースからつかんだ情報ではなく全体像は謎なのだが、店主のオッサンがもう屋台を引いてやってこなくなった。その理由は、断片的な単語にヒントがいくつかあるのみ。

『酒』『暴力』『離婚』『自暴自棄』

 これらの単語を組み合わせれると、何となく察せられるストーリーがひとつ出来上がる。私は、屋台を引いてきた時の、接客モード時の店主しか知らない。いい思い出しかないから、ダークサイドに落ちたオッサンが想像つかない。

 とにかく、子ども心に大変残念に思ったことはしっかりと覚えている。



 蜘蛛の糸というお話に出てくるお釈迦様は、犯罪人カンダタのいいところを見つけて救ってあげようとした。ムシを踏まずに命を助けたその一点をもって憐れんだ。

 私は、店主のオッサンの実際の人生がどうであったにせよ、作るラーメンは確実にうまかったし、私という人間を幸せにしてくれたことは動きようのない事実である。

 そのことだけをもって、オッサンのことを待っている人もいるのだということが伝わればいいなと思う。いつか戻ってきてほしいと思い続けてきたが、そんな私ももう50を超える年齢となった。もう現れないだろうな、という思いと共にその味の記憶は舌に残り続けるだろう。



 お釈迦様がくれたチャンスを台無しにしたのは、カンダタ自身である。世界は結構、失敗を犯したあなたをまだ両手を広げて待ってくれているものだ。でもそう思えず、自分勝手に「もう終わりだ」と思ってせっかくのチャンスに背を向けるのはいつだって「自分」である。

 この世にいるであろう多くの「失敗した人・失敗してしまったと思い込んでいる人」に、もう終わりだと決めつけずあなたの少しのいいところゆえにあなたを待っている人がいることを信じて、勇気を出して生きてほしい。

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