終わりを覚悟する
今日は一年の最後、12月31日。読んでくださっている皆さん、今年もありがとうございました。
別れとはつらいものである。
私はペットを飼う趣味がないので実感としては分かってあげられないが、妹は犬も猫も大好きで複数飼っている。だが、生き物を飼うということは「いつまでも一緒にいられるわけではない」こともまた抱き合わせで引き受けなければならない。
妹が最初に飼った猫は、かなり長生きした。いよいよ亡くなる最後の二年ほどは、どれだけ動物病院に連れて行ったことか。もうそれはペットを飼っていて「うれしい、たのしい」という次元を超えて、家族の一員がたいへんだという感覚の中で心を痛めつつ過ごした時間であった。
そこまで思い入れがあったから、葬式もちゃんと業者に頼んで挙げた。最初飼うことに反対だった父は、それでも妹がちゃんと飼う姿を通して見守るようになったこともあるのか、表には出さなかったが妹に負けず劣らずその死を辛そうにしていたように思える。
筆者は、オンラインゲーム好きである。
オンラインゲームには、『サ終(サービス終了の略)』という辛い現象がある。運営側が十分な利益を出せず採算が取れなくなった時、ゲームの提供や定期アップデートをついにやめてしまうことである。
私は幸い、そのサ終で辛い目に遭ったことはない。なぜなら、サ終なんてことになる手前で私の方が飽きてやめてしまうからだ。(笑)
今やっているのが『ファイナルファンタジーXIV』というゲームなのだが、これをやっている理由は単に面白いというだけでなく「世界で一番遊ばれているゲームだから、まずサ終にはならないだろう」という思惑が私にあるからだ。
そんな理由でオンラインゲームを選んだ私は、日頃偉そうな文章を発表しておきながら実は相当な「意気地なし」なのかもしれない。やがて来る必然的な「別れ」が怖いのだ。
ペットを飼うことにしろオンラインゲームにしろ、とかくこの世でのことはすべてが「有限」である。オギャーと生まれてきたその瞬間に「いつかは死ぬ日が来る」こともまた確約される。それが、この二元性世界で生きるということだ。
人間、別れが来る前にその準備など万全にはできない。その時でないとムリ。だから今は、いつかはそういう日が来ることは漫然とでいいから分かっておいて、その日までは今を存分に楽しめばよい。
気が付けば、今年も終わった。そうやって一年一年、いろんな未来の「節目たち」に近づいているのだろう。人はそういう区切りとしての何らかの「別れ」には弱い。恥ずかしい姿を見せることがある。しかしそれを含めて「有限を生きることに価値がある」のだろう。その醍醐味をちゃんと知れば、不老不死などというばかげたことは考えないと思うのだが。
限りある生への一種の「覚悟」と、でもせっかく今はまだその時ではなく楽しい時期なのだから、それは今を全力で楽しもうという諦観(開き直りをカッコよく言い直した言葉)をもって、また一年歩みたいと思う。
それでは皆様、よいお年を。
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