お前もか。残念だ

 これまで圧倒的存在感を示し俳優道を走り抜けてきた香川照之。

 皆さんもご存じの通り、セクハラ騒動でその快進撃がストップしてしまった。

 もちろん、やったことはよくない。ドラマやCMから降板させられるのも仕方がないと言える。でも筆者は、それでも「役者としての香川照之は健在」だと思っていた。俳優魂までは失われていないと。

 しかし、残念な報道を聞いた。韓国ドラマの日本版リメイクである『六本木クラス』の最終話において、元ネタの『悪役の土下座シーン』がカットされたのだ。オリジナル版では一番の名シーンであったのに、それが再現されなかった理由は何か。



●香川照之本人が拒否した。



 スタッフは、続々伝えられる香川の降板ラッシュもあって、きっと本人も大変だろうなぁと思っていたところ、唯一降板がなかったこのドラマの撮影において香川が普段とそう変わらず飄々としていたので「さすが役者魂は健在か」と思って感心したそうなのだ。そこからの、いきなりの脚本拒否。

 おそらくは、リアルでセクハラ事件関連で謝罪して頭を下げまくった後だけに、タイミングが嫌すぎたのだろう。なんか、悪いことして頭擦り付けて土下座するイメージが固定してしまうことを恐れたのかもしれない。

 とにかく、説得しようとも本人が頑として首を振らないため、仕方なく香川演じる悪役が土下座を「やろうとするその瞬間に」、主人公である竹内涼真が「いまさらそんなことをしても意味はありませんよ」と制止され、結局やらないというシーンに差し替えられた。



『ガラスの仮面』という偉大な名作演劇漫画がある。なぜまだ完結しないのだ……

 主人公の北島マヤが、演劇の才能をめきめきと現し、TVドラマの主役に抜擢されるも彼女の足を引っ張る卑怯な女優の悪意により、スキャンダルを捏造されTV界を追われる。ほぼ落ち目になり再起の目途もたたず、仕事も入ってこなくなった。

 彼女は端役である舞台に立つことになり、それが最後の仕事だった。

 時代物で、「トキ」という田舎娘の役だったのだが、ここでも「落ち目のもと人気女優」をいじめようと考える者たちによってひどいことをされてしまう。

 劇中おはぎを「うめぇうめぇ」と食うシーンがあった。もちろん本当に食べるので、おはぎは本物である。でもそれを泥団子とすり替えておくのである。

 普通なら、泥団子と気付いた時点で演技を拒否して劇が台無しになるか、しないまでも(アドリブで食べずに済む流れに持っていくにしても)それまでの演技の流れが滞るような、不自然な間が生まれてしまうことは避けられない。

 しかし北島マヤは、完全にトキになりきっていた。周りがあっと驚くことに、泥団子を「いかにも普通の団子を食べているかのように」心からおいしそうにムシャムシャ食べ、舞台を救う。

 意地悪した者は実は、皮肉にもマヤの役者魂に再び火をつけてしまう手伝いをしたことになったのだ。



 このように、一流の役者は役に入り込む。脚本に入り込む。そこには、俳優個人の世界の要素など微塵も入り込む隙がない。

 これまでの実績から、筆者は香川氏が北島マヤにも似た「役者魂」の持ち主かと思っていた。本人に会ったこともないので、「持ち主と思いたかった」と言うほうがより正確かもしれない。それだけに、自分の現実の事情を理由に、関係のない脚本の中の設定を拒否したことが残念なのだ。何でもないシーンならまだしも、作品中でももっともクライマックスというか、長年の苦労の末にやっと迎えた、敵に負けを認めさせる名シーンで私情を挟んだのだ。

 昔の言葉で、「親の死に目に会えなくても舞台に穴をあけるな」的な考え方というか、演劇スピリットがある。もちろん、働き方改革が叫ばれる現代ではなじまないものだが、表面的な意味を越えた本質は理解できる。ある意味、それくらいの覚悟があってこそ一流にもなれるのだろう。



 スキャンダル関連の報道で、演技以外のことで頭を悩まされることが増えしんどい状況は分かる。でも、(架空の人物ではあるが)北島マヤは悲惨を極めた状況の中でも、逆に役者魂を燃え上がらせた。

 だが、結局現実の辛さに負けた。私情を演技の世界に持ち込む愚を犯した。

 筆者は、日々のアクセス数や読者の反応を気にしない。あれっ、この記事はウケなかったかな? ならばこういう方面で攻めたら、読者の関心を引けるかな? PVとにらめっこしながら、人に読んでもらえる記事を書こうと思ったことはない。

 勝手に頭が出力するもの、手が勝手にキーボードを這うままにまかせている。その結果が、ここでの日々の記事だ。

 私は、走り続ける。書けなくなるその日まで、私が自分の書きたいこと以外のことを気にした記事を書くことはない。現実世界の事情を書く内容に反映させなど絶対しない。だから、今回の香川氏の土下座拒否を知って「香川よ、お前もか」と残念に思ったのだ。

 せっかくの才能も、直接関係ない私生活のせいで潰れることもあるということだ。残念ながら、何かの突出した才能(タレント)と、その人の人格の質とはリンクしないことが多いのだ。一般人は、すごい才能を発揮する人=善人・人格者と勝手に結び付けて考えるが、別々で育てる必要があるのだということを分かっておいた方がいい。特に、自分の一言で他人を思うように動かせるような力をもったら、大概の人間はその魔力に飲み込まれてしまうこともまた、知っておいたほうがいいだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る