檻を取り除け

 安倍元首相の国葬をめぐって発せられた自民党の二階元幹事長の「自民党はビクともしない」発言。ただでさえこれで国民の印象を悪くしたのに、先日そこの火にさらに油を注ぐような言葉を投下した。



●長年、務めた総理が亡くなったのだから、黙って手を合わせて見送ってあげたらいい。こんなときに議論すべきじゃない



●終わったら反対していた人たちも、必ずよかったと思うはず。日本人ならね



 これに、SNSでは怒りの声が多数。それじゃあ国葬に反対してる人の数が多い今、大半の人が日本じゃないということですか? といった皮肉も。

 二階さんの言葉は悪いし、国民がそれを責めるのも当然だ。でも、国民は大事なことを忘れている。見ないようにしている。



●怒りの声は、町での会話やSNSの世界を飛び出ることはなく、反対の力が二階さんに届くことはない。



 なぜ二階さんは、先に挙げたような発言をするのか。

 一般人なら考えるでしょう。この人にこんなこと言ったらどう反応する? もしかして怒る? そうなると生活上(仕事上)これからもこの人が近くにいる生活をしなきゃならない私にとって、どう言うことが最善か? そんなことを考えながら、人は普通うまくやろうとするのです。

 でも、二階さんは一般人とは違う。基本周りには、彼を悪く言う人はおらず味方ばかり。(内心は知らないがたてつく勇気のある人はいないでしょう)



 たとえて言うなら、一般人はサル山の中の一匹のサル。どうしても他のサルとのぶつかり合いの中で共存していける道を探すしかなく、その中で相手との距離感、配慮などが育つ。決して一人では生きられないことが肌で分かる。

 二階さんは、動物園の中で猛獣が檻に入っているのを眺める人間。強化ガラスだったり、動物が破れない強度の金属の柵で遮られているので、見物する側は安心して全く恐れる必要がない。だから協調も配慮も学ばないし、人は一人では生きられないことが分からない。そう、自分に文句いう国民など柵に遮られた動物と同じで、怖くもなんともないのである。

 だって、結局自分のことしか考えない彼らは、どんなに刺激したってその檻を越えてくることはないと確信しているからだ。



 だから、自民党はビクともしない発言や一連の上から目線発言は、そういう路線を貫いているとか老害だとか、そんなことではなく「本当にそう思っている」からのものだ。彼には自然なのだ。強がりでもムリしてでもなく、心からのものだ。

 日本のシステムが、そこまでの怪物を作り上げてしまったのだ。反対する国民の立場に立って考えてみるどころか、そんなもの屁でもないと考える権力者を生んでしまった。だから、山上容疑者のように精神的に弾けてしまったような人物でも出ない限り、二階さんは安泰だということ。

 正攻法で彼をどうにかできないところまで、この国は煮詰まってしまった。



 人が他者を攻撃する時。

 攻撃することで自身に利益があると思うのでやる。そうでないと普通しない。

 他者を攻撃できる人の考え方として、自分とその他者は完全に分断されているという世界観がある。まったく別宇宙で交わることがないので、相手がどうなろうが自分には関係ない。相手が不幸になろうが、逆にいい気味だくらいのことである。

 しかし、筆者の宇宙観ではこうである。



●すべての命は、ひとつの有機体。

 たとえたら、全人類は一人の人間の体である。

 ある人は手であり、ある人は足であり、眼である。

 手が足を気に入らないと傷付けたら、それはめぐりめぐって自分の損になる。なぜなら、つながっているからだ。互いにひとつの生命の一部だからだ。

 他者を攻撃できる人は、相手と自分は繋がってはいないということに絶対的確信を持っている前提がある。



 二階さんがあれだけ強気なのは、自分とガヤガヤ言う国民のいる世界とは違い、こちらは守られているという事実があるからだ。国民も国(権力)に生活を握られているので、騒ぎはするが自分をどうにかできるほどのムーブメントを起こすことは米粒ほどの可能性もない、と安心している。

 しかし二階さんよ。あなたはそれでいいのか。物理的、物質的に権力や身の安全や富さえ守られていたらそれで心から幸せなのか?



●魂の段階にもよるが、旅が進めば人はなにより誰かの役に立つこと、互いの間に感謝が生じる関係をこそ価値ありとするようになる。

 幼い段階ではまだ、人よりすぐれていること、より大きな富や力を持っていること、やりたいようにやれることのほうを価値視してしまう。日本国民にとって悲劇なのは、権力の座にいる者が後者のような「まだ魂の旅の進んでいない者」であることである。



 でも、筆者はダメである。(笑)

 針が振り切れすぎていて、こういうメッセージで論じるのは向いているが実際の現場はダメ。政治というものは、精神的な部分だけでなくある程度の対人能力(調整能力)がないとまとめられない。イエス・キリストもそうだが突き抜けた悟り人を絶対に指導者の位置に据えてはいけない。物事の優先順位がおかしいので、彼らはまともに運営を考えないだろう。(笑)スピリチュアル的素養と実務能力が半分半分、くらいがいい。



 さぁ、今こそあなたの心の中にあるガラス張りの檻を取り除け。相手と自分をまったくの別物と考える、分断する強化ガラスを取り除け。

 そうするとどうなる? 檻の向こうの存在は友好的か、それとも牙をむいて攻撃してくるか? 攻撃してくるならそれはなぜか? あなたに原因はないのか?

 あるなら、脅威じゃないと思って放っておいたあなたの心の弱さであり、怠慢だ。考えないで済むから放置していたんでしょ? それどころか、自分が強者の立場にあるから怖くないから調子に乗って刺激を与え続けたのでは?

 人の心に平和が訪れるのは、自分と他人の痛みを分けて考えられる「分断の象徴である心の檻」を取り除けたときである。そこまでいかなくても、せめて「檻を取り除けたらどうなる?」と想像する勇気をもつことである。

 もし二階さんにそれができたら、世間に向けて口にする言葉も変わってくると思うのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る