スピリチュアルは枠内を出るな
選挙のシーズンである。我が町でも、どこぞの候補の選挙カーが走り回っている。
ある日のこと、1台の選挙カーが筆者の家からわりと近い道路上に停まった。
で、車から降りてきた候補が拡声器を持って、演説を始めたのである。
選挙カーは、常に走っていてうるさくても一瞬だからこそゆるせていたのに、駅前でもない住宅地のど真ん中で演説を始めるなんて!
ちょうど面白い海外ドラマが盛り上がっていたタイミングで、テレビが何を言っているか聞き取れないほどの音量だった。普段は温厚な(?)私もブチ切れた。
雇用拡大がどうの日本の平和がどうのと大音量で言ってるが、まずはこの町の平和を守ってくれよと思った。せっかくの日曜の午後、ゆっくりTVくらい見せてほしいものだ。
どうしても納得いかなかった筆者は、苦情の電話を入れることにした。連絡には苦労しなかった。本人が日本共産党と大声で名乗っていたし。うちの地域の共産党の選挙事務所の電話番号を調べてかけた。
おたくの候補の演説がうるさいんだが、なぜうちの近くで、動かず一か所でやるのか? と聞くと、対応した事務所の人の返答がコレ。
●おそらくですが、うちの党の有力な支持者がそのあたりにお住まいなんだと思います。だから、その方に聞いていただけるように、近所に立って一通り演説したもの、と思います
皆さん、この言い分って通ると思いますか?
要するに、演説を届けたい(聞いてもらいたい)人がいた。そのやり方として、その方だけに聞こえるように家の前か家の中でしゃべるということをせず、遠くから大声で、不特定多数も聞こえてしまうという方法をあえて取ったことになる。
共産党が好きじゃない人、あるいはTVを見ていた人、勉強していた人、赤ん坊を寝かしつけたばかりのご家庭に迷惑になる、ということは考えなかったのだろうか。筆者にはいまだに、共産党候補がなぜそのような方法がとれたのか神経を疑う。そんなやつ、絶対に当選してしてもらいたくない。
宗教やスピリチュアル、というのは非常にビミョーな立ち位置の分野である。
ハマる人や必要としている人にはいいのだが、そうじゃない人には必要ないどころか、目の前に出ても来るなという勢いで嫌われる。
皆さんは、戸別訪問で宗教の勧誘(聖書のお勉強とか)が来たらどう思います? そりゃ、絶妙なタイミングで心が弱っている時に来て、ちょっと聞いてみるかとなるのはないとは言わないが、確率はとてつもなく低いだろう。9割強は、ウチは結構です! と気分を害しながら断るのではないだろうか。なぜなら、本当に心の底から「必要ない」と思うからだ。天ぷら揚げてるのを無理して出てみれば(いや、そこは無理しちゃダメだよ!)、そんなくだらない要件か! ってなものだろう。
しかし、伝えようとする側は善意でしかないところが難しい問題なのだ。心からよかれと思ってやっているので、この温度差が埋めがたい。
スピリチュアル畑の人は、自分の信じているスピリチュアルがいつか世界を席巻し、皆がその教えにひれ伏すことを夢見ていたりする。そして皆に先駆けて開拓期よりこの教えの価値を見抜き先生を支えてきた私はすごいんだ、と自己承認欲をめちゃめちゃ満足させることができる。
悪気なく、友人や近所の人に「これいいのよ」と本を貸そうとしたりセミナーに出て見ない? と誘う人はいねぇが~!(ナマハゲみたい)
先ほど、バカな共産党の候補の話をしたでしょう? 届けるターゲットだけに届けたらいいのに、いらん人にまで聞こえてしまう愚を犯した話を。
●宗教もスピリチュアルも、不特定多数が不可抗力で目にするアピールをするな。
その枠内からしゃしゃり出るな。
あくまでも、その業界内に収まるような活動にせよ。
宗教もスピリチュアルも、好きな人は好きだ。別に全国民に宣伝せずとも、興味を持つ人は自分から持つし、持たない人は持たない。
(思い込みだろうが)世界の平和のため救いのため、という使命感があるのだろうが、ちょっと落ち着け。先ほどの話と同じだ。日本の平和を守るゆうといて、うるさく演説することで「町の平和を乱す」ことをしていたら、それは「究極の自己矛盾」である。町の平和に配慮できないで何が日本の平和か! あなたが何かをお信じになるのは自由だが、それをよく思わない人もいるし、聞きたくない話を聞かない権利もあるのだということ。
筆者がおすすめするのは、すべてのスピリチュアルはスピリチュアル業界にその活動をとどめる、ということである。
周囲が勝手に広めるなら仕方がないが、指導者本人が自らの意志で「スピリチュアルの垣根を越えて有名になるチャンスがあるのなら是非」と考えるのはダメ。お茶の間に届くニュースとか、普通のメディアに取り上げられたらダメ。
これが芸能人とか、普通のTVや映画の話ならよい。ちょっと芸能人の好き嫌いはあるだろうが、何かの機会にうっかり聞いてしまっても、そう大したストレスにはならない。でも、それが宗教やスピリチュアルがネタ元となるのはダメだ。
例外は伝統的なキリスト教や仏教だ。聖書やブッダの話などは、宗教というより世界的な文化として誰もが抵抗なく認めているものなので(信じるかどうかは別として)、そういったものがアニメ化、映画化しても問題ない。
スピリチュアルは、我々がちょっとおかしなことを考え信じている群れであることを、もうちょっと自覚するべきだ。自分がまだそのスピリチュアルにはまっていない頃の自分だとして、今の自分がハマっているその内容を朗読してごらん。頭だいじょうぶ? って感じなはずだよ?
宗教もスピリチュアルも、人が幸せになるには必要だと豪語するが、はっきし言って「宗教もスピリチュアルも、なくたって幸せになる道はいくらでもある」。
ただ、人それぞれなんで、宗教やスピリチュアルという手法がなじむ人種がいる、というだけの話。そういう人たちのためにも、今後も宗教やスピリチュアルが頑張り続けてよいが、皆も同じ色に染めようとは思わないでもらいたい。
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