なぜそう断言できるのか

 筆者と同業で、ひっそりやっている私とは違いバリバリに儲かっていて人気もある、あるスピリチュアルメッセンジャーがいる。悟り系の話というより、どっちかというと自己啓発系(引き寄せ・成功哲学)に近い内容のようだ。

 名前を仮にH氏としておく。本書の読者からの質問で、このH氏のことをどう思うかと聞かれた。筆者はこの方の名前程度は知っていたが面識もなく、この方の書いたものを一切読んだことがなかったので、正直答えようがなかった。

 質問者もそのあたりを察してか、この方の書いた文章の一節を添付して、紹介してくれた。そこには人生において成功するためにH氏がとるべきだと考える姿勢(在り方)について意見が述べられていた。



 それを一読した筆者の感想は、悪いが「そんな話どうでもいいや」だった。

 もちろん、魂の旅路には進んだ距離まで行っている者もあれば、まだまだ出だしに近い人もいる。今現在、生まれたての赤ちゃんもいれば長く生きたご老人も混在するのと同じで、ただそうであるだけである。そこに優劣など存在しない。老人が赤ん坊を笑わないし、幼児が大人の知恵のあるのを見て自分の足りなさを嘆くなどない。子どもたちは楽しそうに走り回っている。

 ゆえに、大多数の分布する在り方こそがメジャー・つまり普通となる。言い換えれば、大勢の足並みがそろうので「良いもの」ということになる。

 一方で、そうでない偏差値の両極端に位置するような尖った在り方は「異常」「頭オカシイ」となり、嫌われる。非常にまれに、その尖った人物がイケメンないし美女、あるいは人間的な魅力(カリスマ性)があったり、人たらし(世渡りがうまい)であったりすることで、成功する者もいる。

 筆者は、世渡り下手な尖った人間である。進みすぎているので、進んでない多数派にはこちらのほうが劣っている、あるいはおかしいように見られるのは定めである。

 H氏がする話はいかにも「この世の大勢に好まれそうな話」であった。大勢にはいいが、私のような別ステージにいる人間にはまったく響かない。次元の違う話なので、批判のしようがない。批判というのは、相手と同じ土俵に立ててこそする資格のあるものだと思うので、おなじ土俵に立てない(また立つ気もない)私にはコメントしずらい。



 でも、H氏の発言で気になる部分はあった。

 内容そのものはいい。ただ、文章の末尾に「~と断言できます!」という一文があった。筆者はここに大いに引っ掛かった。

 私はH氏に会ったこともしゃべったこともないため、二つの可能性に思い至った。この「断言できる」という言葉をチョイスしたその動機が——



①本気で「断言できます」と言っている場合。


②実は断言なんてできないと分かっているが、読者の背中を押す(勇気づける)ためにわざと強めに言っている。要するに確信犯。



 もし仮にH氏が①だった場合、底の浅い人間だなと思う。その程度かと。

 本当に魂の旅が進み、おぼろげながらも宇宙の全体像というか正体というか、そういう諸概念の「核」がつかめているような人物であれば、この世界に断言できることなどなにもないことが分かるはずなのだ。

 覚者は、本気で特定の何かを「断言」することなどない。でも、②の可能性が存在する。

 ②は、自分の確信や信念はとりあえず置いといて、目の前の他者のためを思って堅苦しいこだわりを捨てる場合だ。

 この宇宙に断言できる何かなどないと分かっているが、よかれと思ってあえて口にする「ウソ」である。ウソもうまく使えば他者を救う。まさにウソも方便というやつである。

 いま一歩勇気が出ず踏み出せない人を目の前にして、「あなたが最終的に選ぶんならどちらでも」「正解などないんだから好きにすれば」と言うだろうか? そんな言葉で、相手は勇気をもらえるか?

「うん、それはやるべきだよ!」「きっと大丈夫だよ!」そういう風に言ってもらえたほうが、言われるほうは元気付けられないだろうか?

 ゆえに覚者と言われる宇宙認識の進んだ人も、おなじ世界に生きている同胞である「まだこれからの人たち」のために目線を落として、同じレベルでアドバイスしてあげるという現象が起きるのである。

 イエス・キリストがその代表例である。彼は当時字の読み書きもできない無学な農民や漁師たちのために、難しい言葉を使わずたくさんのたとえ話をした。時には、人の背中を押すように厳しい勧めも行ったしたくさん断言もしている。



 私はきっとこの先もこのH氏と人生で関わることなどないと思うが、彼が②であることを祈る。本当は分かっていて、あえて衆生しゅうじょう(大衆)に語るために、彼らに勇気を与えたいがためにあえて『~と断言できます』と言ってるのだと。

 自身の経験と人生観に本当に自信があり、その自信からピュアに「断言できます!」と本気で思っているのなら、それはスピリチュアルマスターではない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る