時をかけろ少女
『ヒメアノ~ル』という日本映画がある。
極度ないじめを受けたことがきっかけで、サイコキラー (無差別殺人鬼) になってしまった男の話。V6の森田剛が主人公を怪演。(森田が森田という役を演じているのは、シャレ?)
相手役として、個性派の濱田岳が気弱な森田の元同級生(かつて仲が良かったが、森田がいじめに遭うようになってからはいじめに協力する側に回ってしまった)を演じ、いい味を出している。しかしながら、この映画は残虐描写が多めで皆さんに見ろとは到底オススメできない。
映画からは確かに価値あるメッセージを受け取れるが、何もこの教材・この学び方でなくても……ということ。残虐描写の多いこの作品じゃなくても、人生で同じことを学べるだろうから。
いじめに限らず災害や事故でも言えることだが、とにかくその人の心のキャパシティ(受容量)を超える圧がかかる体験をしてしまった時。
●その人の内側で、時が止まる。
精神内時計、とでも言うべきものが止まる。
もちろん、物理的な意味での時間は確実に流れ、その人も歳を取る。また時の流れに伴う体の変化も、免れない。
でも、内なる時計は止まったままになる。
もちろん、その後も日常生活をするし、そこで蓄積した体験や知識も残る。それでも、そのひとの心の記憶に関してだけ「その日」で止まっている。
サイコキラーに限らず、一般的な枠組みを大きく逸脱し、理解の困難な行動を取る人間はたいがい、静止した時の中を、その静止後は「仮の人格」のようなものを使って何とか生きている。
それは、健全なひとつの人格というよりも「方便としてのシステム」と呼べる空疎なものであり、武装で言うと『シールド(盾)』のような役割をする。
もちろん、異常者(好きな言葉ではないが、他に言い表しようがないのであえて使用)を逮捕したり、刑務所へ入れたり、ひどすぎることをした場合は死刑にはできる。でも、それではその人の心の時計は止まったままになる。
無関係な人間にしたら、異常者が動きを封印されるだけでもありがたいんだろう。でも、その人物と関係者にしたら、ただ逃げてフタをすべき問題ではないのである。
それこそが生きるということの最大のテーマであり、そこから逃げて安楽な生活など無意味なのである。逃げても、逃げ切った先には何も待っていない。
今回考えていただきたいのは、「あなたが時を止めてしまったかもしれない人」 である。
直接じゃなくても、あなたも加担してしまって部分的に責任があることもある。
勇気を出して、時を巻き戻してほしい。そして、あの日あの時に戻り、語り合ってほしい。壊れた時計を再び動かすことのできるのは、その時点のことを知っている関係者のみ。
いや、もう一人なんとかできる人たちがいる。
●その人の時計が止まった時の出来事と無関係の人物でも、正の方向へ向かう想念の強さがあれば、時計を修復できる。
ただし条件があり、当時の関係者たち以上のエネルギー投資が要求される。
たとえば、ファミレスとかだと株主なら株主優待券、従業員なら従業員割引価格で食べれたりするが、まったくの一般客だったら、メニューに載っている定価を払う必要がある、という感じで捉えていただけるとよい。
余分目に苦労をするが、死力を尽くし心から想えば、あかの他人でも可能。
あかの他人に任せても良いが、もしあなたが「関係者」なら、あなたのほうが間違いなく問題解決にはアドバンテージがある。この世界がバランスの取れた世界になるとするなら、『成すべき適切な人が、成すべきことをする』ことが守られる世界である。
時をかけろ。
そして、止まった時間の流れを再び動かせ。
ある人にとって、それできるのはあなただけなのかもしれないのだから——
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