光が闇に勝つ方法

 今回の話題は、光(善)が闇(悪)に勝つための条件について、である。

 この話をする前に、最初に断っておくことがある。

 今回は徹底して地の議論をするため、「そもそも善悪などない」「人間の勝手な定義付け」「見方によって変わってしまう、脆弱な定義」とか、そういう根源論的なそもそも論である 「天」 の話は無視する。

 現実問題として、何とかしないといけない脅威がある。放っておいたら、一般市民に迷惑がかかり、人生を狂わせられる者が出る。ひどい時には、死者も出る。

 だから、この記事内では非二元的観点や悟り、「問題などそもそもない」という視点を封印する。



 ちょっと古い海外ドラマで、『ザ・ストレイン』というのがある。

 内容は、吸血鬼と人間という二つの勢力が、世界の主人の座を巡って戦う話。

 老練のヴァンパイヤ・ハンターが若い者に言った言葉が、なかなか深い。



●我々は敵に勝つために、敵よりも強くなければならない。

 どうしても勝てないならば、相手の力を利用することも厭ってはならない。

(現に彼は、人間のままの弱さでは戦えないため、敵の体内成分を摂取していた)

 怪物に勝つため、怪物と同等の力を手に入れよ。でないと、対等に戦うことすらできない。

 ただし、怪物の体と力は手に入れても、心まで怪物になってはならない。



 最後の「心まで怪物にならない」が非常に重要。

 仮面ライダーや人造人間キカイダーの原作者である石ノ森章太郎氏や、デビルマンを描いた永井豪氏などの作品のコンセプト「悪を倒すには、悪の力をもってせずしては不可能」は、まさに時代を先取りした、的を射た言葉である。

 悪を制すための、悪に対抗し得る力。しかし、その力を振るう心は、それに染まらない——。キカイダーの体が半分赤で半分青なのは、まさに彼自身の「正義と悪」を表している。



 基本的に、「善は弱い」と考えていい。

 理由は簡単。存在の前提というか、コンセプトとして「外の何かと戦って倒す」ということが想定されていないからである。あくまでも守るために戦うのであり、最初から仕掛けない。最初から仕掛けるのは当然悪の側であり、常に先攻を選べ、善側はほとんど後攻になる。

 善側はそもそも争わないことが信条であり、戦うのは「必要に迫られて、やむなく」なのである。

 悪は、その存在の前提自体が「戦って相手を打ち負かし抑え込んで、優位に立つ」ことである。だから、最初からそこにものすごくエネルギーを注ぐ。善が、仲良しこよしでのほほんとしている間に、昼夜成果征服のために牙を研いでいる。昼夜努力を惜しまない。

 本来、現実問題としてそのようなやつらに、こちらが正しいという根拠だけでは勝てないのである。



 筆者は本書の最初のほうの記事で、「悪に対しては、戦って負かすのではなく抱きしめろ」というメッセージをした。

 しかし、そこに注釈をつけなければならない、緊張感の必要な時代になってしまった。それは「状況を見ろ。空気を読め」である。

 例えば、あなたの友人が完全にマインドコントロールされて、刃物を振りかざしてあなたに向かってきたとする。あなたは友人に対して「目を覚ませ!僕だよ!」と、相手が正気に戻ることを「信頼して」最後まで攻撃せずに待ったとする。

 まず間違いなく、友人の手からカランと刃物が落ち、目から涙が伝い、正気を取り戻す……なんていう、ご都合主義TVドラマのようなことは起きない。あなたはきっと刺されて死ぬ。戦隊ものでヒーローたちが名乗りを上げ終わるまで悪側が攻撃を待つ、なんてことも現実にはない。

 死にたいなら別ですよ? 抵抗して戦うくらいなら、この命失っても本望……くらいにあなたが腹を決めているのなら、私はあなたはすごいと認めよう。あなたは、私程度のメッセージなど必要ない、もっと立派な方だとひれ伏そう。

 でも、本当にその信念と引き換えに死んでもいい?

 そういう生々しい現実に直面しないから、「ボクだったら絶対に、自分が生きるために我を失っている仲間を殺したり、戦ったりはしないな」 と言ってられる。ちょうど、キリストと一緒に死にますと普段言っておいて、実際にイエスが処刑される時には逃げた弟子のペトロのように。



●戦わないと、生き残れない。(仮面ライダー龍騎より)



 私が「抱きしめろ」と言ったのは、あなたに鋭敏な観察力が備わっていて、相手の鎧のような鉄の心のどこかに「つけ入るヒビがある」ことが間違いない場合にだけ、である。そのような確信を得た時だけである。

 または、あなたが理屈を超えて「抱きしめたい」という思いにあふれた時だけ、その内なる声に従えばいい。絶対にやってはいけないのは、恐れや不安があるのに「悪は抱きしめるんだ」という、学習してしまったスピリチュアル的教えのせいで、こわごわやってしまうことである。

 やればなんとかなる、なんてことはまずない。

 相手の心理状態によっては、何をやってもムダなケースがある。それを、「あきらめたら終わりだ。信じれば、奇跡は起きる!」とやるのが、一番愚かなドン・キホーテである。

 死にたくなければ、戦うしかない。

 従って、善が悪を倒す意味合いは、悪に勝つためではない。力で勝って根絶やしにしても、相手は心が折れてないので人を変え組織を変え、永遠に挑んでくる。



●悪を倒すという行為は、トランプで言えば「パス」に当たる。場を流すための方便。今何をしても相手の心の奥まで届かないので、とりあえず相手を封じる。そして、次の機会を待つために今は負かすのである。



 善対悪、の構図がある映画や小説、マンガなどに結構共通する事柄がある。

「悪への説得は、まず力という土俵の対決で勝ってから」。

 必ず、実力でやりあって勝ってから、善側が何か言う。その時に、悪側が心を動かされたり、納得するケースが多い。

 プリキュアやライダ―ものにも時々あるが、敵が善側に寝返ることもある。

 だから、純喫茶スピリチュアルの主張のように、そもそも最初から戦わないとか、ただ愛で包み込めば、ただあなたがハートを開いて向き合えば何とかなる、的なのが一番的外れ。

(さっきも言ったがこれは「見込みあり」と確信した場合のみ有効)

 敵は、今考え方の根本において「力こそがすべて」モードなのだ。そんな相手に正論や愛を示す行為は、まず空振りになる。

 相手を説得できる余地が生じるとしたら、それは相手が重きを置いている「力」で勝ってみせることである。それなら、相手も分かりやすい。相手が信じる「力」で負けたら、そこで初めて「聞く耳をもつ」であろう。

 だから、自己矛盾が芽生えてない段階の悪には、当座は力で勝つしかない。

 こちらから見て、自己矛盾が生じ多少なりとも相手が葛藤していると踏んだら、賭けに出てもいい。すなわち、思いっきり抱きしめることで。



●とりつくしまもない悪には、とりあえず戦って勝つしかない。

 それは、滅ぼし尽くしただ問題を無くすることが主眼ではなく、いつか対等にコミュニケーションが取れる日のために、待つ意味合いを持つ。



 もちろん、分かりあえる前に戦って相手が死ぬ場合がある。だからこの場合は相手は「同じ特定の個人」とはできない。想念が納得してないと、人を変え世代をまたいで生き続けるものに対してのことだと思っていただければいい。



 イエス・キリストは『光の子は悪に比べて弱い』という言葉を残している。

 だから、愛を体現しようと志す者に対し、彼は次のような助言を残している。



●蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。


【マタイによる福音書 7章10節】



 ゆるいスピリチュアルの「愛さえあればすべて解決」「絶対に力で争わない・抵抗しない・暴力(実力行使)ゼロ」という言い分では、世界は多分破滅する。

 暴力、というのも便利な言葉で、人の罪悪感をくすぐり必要な措置を思いとどまらせるのに非常に便利な言葉である。これは善側よりも、悪側にとってうまみのある表現である。

 必殺仕事人、という時代劇でも中村主水(藤田まこと)が言っている。



●オレたちは、正義じゃねぇ。

 人殺しは、どう弁解しても「ワル」だ。

 だから、オレたちは間違っても正しいことをしている、と思っちゃいけねぇ。

 ただ、「ゆるせない」という正直な思いに従うだけだ。

 オレたちはな、「ワルの上を行くワル」にならなきゃならねぇ。

 でないと、あいつらと渡りあえねぇ。

 その覚悟を持てないやつぁ、帰れ——。



 方便として、「力がすべてだと思っている相手に力で勝つ」。

 そうすると、まれに相手があなたの話に聞く耳を持つ可能性が生じる。

 その時こそ、抱きしめるチャンス、分かりあえるチャンスである。

 だから、善側もちゃんと実力をつけなければならない。

 その点で筆者が時折苦々しく思うのは、『アンパンマン』である。



 アンパンマンは、普段仲間と仲良く過ごしているだけ。

 筋トレも、必殺技開発もしない。武器開発もしない。普段、戦うことなど全然考えていない。バイキンマンが現れたら、アンパンチとアンキックをするだけ。

 一方のバイキンマンは、毎回感心するほどの科学力と創造力で、練られた武器を作る。ずっと、アンパンマンを倒すこと一筋に、時間と労力を注いでいる。

 製作側は、あくまで「どんなに強い相手でも、悪なら最後は負ける。そして正義は勝つ」ということを教えたいのだから、毎回すごい力をもつバイキンマンが都合よく負ける展開でいいんだろう。

 でもこれでは、現実とは違うきれいごとを教えているだけである。大人側が、自分たちが作りだしている現実の情けなさを隠すために教えているウソ。



●リアルに描けば、アンパンマンがバイキンマンに勝つことはあり得ない。

 あれは、理想論をアンパンマンが勝つ構図に押しつけているだけ。



 そこに、現実レベルで気付かないといけない。

 法制度、国交交渉、軍事力、経済的駆け引き。

 地球を守るには、利用できるあらゆるものを駆使し、この世界に生きる幸せ度を低下させる要素に対し、実力で勝つことが必要。ただの精神論など役に立たない。(それでもいけそうなチャンスは過去あったかもしれないが、この時代の流れではその機会も失った)

 蛇の知恵と力に勝り、なお蛇の心に取り込まれない。心まで怪物にならない強さ——。これを今を生きる我々が身に着けることが、これからを生き抜けるかどうかの鍵である。



●力なき正義は無力なり。

 正義なき力は暴力なり。



 今この至極当たり前の言葉の重みを、噛みしめるべき時代に我々は立っている。 

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