短気に理由を欲しがる人たち

 たまに、せっかく完成したのに「公開中止」になる映画というのがある。

 たとえば、実際に震災が起きてしまったタイミングでの「津波や地震のシーンを含む映画」が自粛される場合など、タイムリーに起きてしまった事件への「配慮」のためそうなることもあるが、それ以外のケースでは?



 例えば、残虐なシーンや、見たらトラウマになりかねないえげつない描写を含む映画、などだろうか。しかし、近年公開中止になったものを考えてみると、ひとつ不思議なことが分かる。

 ここに、ふたつの映画があるとする。仮にAとBとする。

 どちらも、人を監禁して拷問を与える、という内容だったとしよう。

 路線が同じこの映画。しかし——



●Aという映画は、大して残酷なシーンがあるわけでもないのに「公開中止」 に。

●Bという映画は、Aよりも残酷シーンがすごいのに、公開中止にならなかった。



 こういう場合が実際に存在するのである。不思議に思いませんか? 一体何が公開中止かセーフかを分けるのか、分かりにくいですよね。

 実は、予想しない驚きの「選考基準」があった!



●残酷シーンそのものよりも、なぜその残酷シーンが描かれなければならないのか、という明確な必然性がある(理由付けがなされている)ものは、それほど公開中止になりにくい。

 残酷シーンが抑え目でも、いきなりそのシーンだったり、なぜそうなるのかの説明も何もなく、ただ人を傷付けるシーンばかりが流され、しかも最後まで動機も不明とか。要するに、ストーリ上その場面がなくても理解に困らないというレベルの「ただ残酷シーンだけ」が危険視されやすい。



 どうも人間は、「理由付けがハッキリしているもの」なら安心するらしい。要は、お話(ストーリー)として成立してればいいの。

 ……なるほど、そういう過去や動機があって、そういう犯行に及んだのね! 人間、相手の正体(やっていることの明確な動機)さえ分かれば、見かけだけではそうそう怖がらない。

 しかし、映画が始まっていきなり人が監禁されており、痛めつけられている。している方もされている側も、なぜそうなったのかいきさつは何だったのか、まったく説明もなし。で、やりたいだけやって映画が終わってしまったらどう? 何の起承転結もなく。

 それは、ストーリーがある残虐な映画よりも、あなたを不安にする。だって、まったく「理由が分からん」のだから!



 人間は、すべてのことに解釈(理由付け)をしないではいられない生き物。

 ちょっとは誠意というものがあるので、その解釈に関して間違いのないように、正確であるようには気を付ける。が、忍耐力には個人差がある。

 ある事柄に関して、いつまでたっても正確な情報が分からない、あるいは証拠が不十分という状況が続くと、短気な者から「もうこれでいいや!」と、自分に一番都合のいい(自分がしたい)解釈を採用してしまう者が出てきてしまう。

 よく刑事物のドラマなどで、証拠が不十分な時、あるいはちょっと疑わしくても立証がかなり困難な時。(警察もその事件だけじゃなく忙しい)「じゃあ、この事件は事故(自殺)ということで処理を」と片付けられてしまう。

 でも、「やっぱりおかしい」と、ある刑事はあきらめずに真実を追ったりする。

 その刑事のような忍耐力、「もうこうだと理由付けを決めてしまいたい」と楽したい衝動に駆られるのに負けない自分。それこそが、「人間力」である。

 いくらそれ以外のスピリチュアル能力やサイキック的能力があろうが、これがないなら人間に背骨がないようなもんで、スピリチュアルしている価値ゼロ。



 私たちは、明確に原因・理由・因果が分かりやすいものから、まったくそれらが分からないものも含めて、すべてに理屈を付ける。

 現代人は忙しいので、自分が付けた理屈がまっとうかどうかなど精査する余裕もない。また「こうであってほしい」という願望が、それ以上物事を追求させない抑止力になったりする。何だかんだ言って、人間は事実がどうかより「自分の願いに沿う理由でいい」のである。

 ひどい時には、「現実で生きるのに支障がないなら、永遠にバレずに済むなら、たとえウソだったとしてもそれが一応の事実であり続けてほしい」とすら考えてしまう。自分を守るためには、ウソだって辞さない。



 こんな、カオス(混沌)な時代だからこそ、「忍耐力」を培ってほしい。

 衝動はすぐに処理されればされるほど楽だ。だから、理由付けを自分の中ですぐに確定して、もうその一件は終わらせて別のことに次々と関心をもっていきたくなるものだ。でもちょっと待て。

 真実が(その人なりにだが)見えてくるまで、あきらめない。

 根拠が脆弱なのに、面倒くさいというだけで理由を決めつけない。

 楽に決めつけることでどれだけの悲劇が起きるか、忍耐強い刑事のような人物はよく知っている。

 これからの時代を生き切るには、「理由付けの慌て者」にならないことである。

 自分で見たわけでもない周囲の情報で大事なことを決めつけない。

 何かを公正に判断しようとする時、そこに「自分の都合」や「願望」が入り込んでいないか、を精査できる人材が、新時代を牽引していく。

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