句が告げる人生の極意
『ちはやふる』 という日本映画がある。
競技かるたを題材とした少女漫画を映画化したもの。すでに既刊単行本47巻からなる物語で、それを「上の句」「下の句」「結び」という、前編後編と最終章に分けて映画化している。47巻も出ている長い話を二時間程度の映画三本にまとめるのだから、原作を堪能しているファンにとっては大味に感じられるかもしれない。
しかし、実写版はまた別物と割り切って見ると、そこそこ見られる。
競技かるた部のメンバーの家族は、主人公の千早(ちはや)の家族も含め、誰も出て来ない。千早の姉や肉まんくん(西田)の姉は個人的に好きなのだが。
で、今日は映画そのものの話ではなく、作中で取り上げられる百人一首のある歌がなかなかいいので、その話題。
●このたびは
菅家
この度は、というのとこの旅は、というのを引っ掛けている。
しゃーなしに、手向山で拾った紅葉をお供え代わりにしますんで、受け取ってつかぁーさい。それを良しとされるかアウトとされるかは、神様にお任せいたしますんで! だいたい、そういう解説になる。
生きる、ということを見事に凝縮した句である。
我々の人生は、「急な旅」の連続である。
一切皆苦のこの世界では、我々の思惑通りにことが運ばず、常に予想できない変化の連続である。
そのような中で、なかなか自分の頭が考える「最高のもの」を常には用意できない。だから、苦肉の策として「その状況でも何とか用意できる、その場では最善のもの」を用意するしかない。用意できるものの選択肢は狭くとも、そこに思いのありったけを込める。真心を尽くす。
そして、一生懸命やったんだから認めろ、褒めてくれと神に要求しない。
この世界では、差し出した努力や仕事量に見合う見返りがないと、心穏やかでいられない人間が多い。スピリチュアルでは、「大いなる流れにお任せ」とか「自動操縦」とか「流れに逆らわない、委ねる」とかいう表現でもって、このことが説明されたりする。
神のまにまに、つまり「神様の御心のままに」。
それを受け入れるも受け入れないもあなたの一存で。
どちらでも、私は文句を言いません——。
今の時代、何かすごいことを引き寄せたり、(あなた個人が)豊かになること以上に求められているのが、この「その瞬間瞬間に、状況が許すかぎりの最上のもの」を探し続け、供え続ける生き方である。
その状況によっては、イワシの干物や白菜とかしか用意できない時もあるだろう。
でも、それがその瞬間で用意可能な最高のものなら、他の機会で黄金が用意できる時があっても、劣らない価値を持っているということである。
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