分からない世界の話を聞く時の注意

 昔々、ある英会話学校のCMで、飛行機内で機内食を頼むシーンがあった。

 客室乗務員に、



(Would you like) beef or chicken?



 ……と聞かれる。で、英語が片言でしか分からない日本人がこう答える。



 I am chicken!



 私はチキンにします、と答えたつもりなのだろうが、これは英語では「私はチキン(鶏肉・または鶏)です」 と言っていることになる。

 さらに、俗語で「臆病者」 という意味もあるので、「私は臆病者です」とも取れる。どちみち、チキンが欲しいという主旨は伝わっていないことになる。

 正解は、



 I’ll have the chicken.

 Chicken, please. (こちらが単純で使いやすいですね)



 さて、ここでなぜ日本人は「I am chicken」と言ってしまうのかを考えよう。

 無論、英語がよく分かっていないからである。

 I am が「私は~です」、鶏肉がチキンだということ程度が頭にあるだけで、あとは無意識に自国語である日本語で不足分を補ってしまう。

 私はチキンで。まんま日本語的構造を使用して、アイアム・チキンとなる。

 この手の間違いが引き起こされる決定的な心理的要因は何か?



●自分の知らない世界のことでも、自分の世界の流儀を当てはめて考える怠けグセがある。



 英語をよく勉強していれば、このような間違いは起こさない。

 英語ではこのように言う、という構文がしっかり頭に入っているからだ。英会話に堪能な者なら、頭の中でいちいち日本語を英語に変える、などという面倒な作業はしていない。たとえもとが日本人でももう、英語そのものでダイレクトに思考することができる。

 知らないからこそ、情報不足だからこそついつい怠け癖が出て、自分の知っている矮小な世界に「未知なるもの」を無理やり押し込めて理解し、ちゃんと理解した気になってしまう。



 スピリチュアルという世界も、そうだ。

 この世界で何かを本当に「分かる」というのは、知識的に分かるということではなく「体験・実感」を指すことがほとんどである。知識的に理屈が解せられる、という程度ではあなたの人格に何の変革ももたらさない場合が多い。

 でも、皆が皆都合よくそういう「体験・実感」を手に入れられることはまれなので、仕方はなしに「今の時点での命とは、宇宙とは何かというあなたの世界観」を利用して理解しようとする。あなたのその定規では測りきれない「規格外」の部分に関しては当然、「???」となる。

 悟りの世界の話や非二元の話、ちょっとディープなスピリチュアル話を聞いてもなんだかよく分からないのは、そのためである。単にあなたが情報不足(実感不足)なのである。あるいは、使いこなせる「視点の数」が足りないのである。



 英会話なら、勉強さえすれば何とかなる。やれば、誰でもできる世界がある。

 スピリチュアルや悟りの始末の悪いのは、あなたが努力したからといってその如く報われにくい、ということである。努力に努力を重ねてもずっと悟りが分からないことがあり、逆に大して興味もないのに、ある日突然その入り口に誘われることがある。本当に、悩ましい世界である。

 ほとんどの人は、何だか実感としては分からない話を、それを解した指導者が人生幸せそうなのを見て、自分もそれが分かったらそうなるのかと夢見て、お金を払って食らいついているのである。

 長い人生、そういう暇つぶしというか、お楽しみがあってももちろんいい。自分はいない、世界は幻想。そういう教えにへぇ~っと驚嘆するのもいい。

 でも、お楽しみ中も分限をわきまえておくことだ。所詮、今の自分の物差しでは「知識」「情報」にしかならないと。それを承知で、それでも自分はその話を聞きたいから聞くのだ、と自覚的であることが大事である。



 スピリチュアル指導者のブログに寄せられる一般人のコメントを読んでいると、そのほとんどは私に言わせると「I am chicken」と胸を張って言っているのと同じ。皆、自分の尺度で賛成したり反対したりしているだけ。

 そういうのは、相手にするだけでもうんざりするものだ。もちろん、何か特殊な体験をした者の話を聞くには、誰だって相手のレベルで理解しようとしても無理だろう。ならば、無理なら無理なりに——



●せめて、想像の域を超えなくてもいいから相手の土俵で「相手は、どんな気持ちでそれを言っているんだろう?」と、相手の立場にいったんは立って考えてみたらどうだ?



 先の英会話の例で考えよう。

 ビーフオアチキン? と英語で聞かれて、「アイアムチキン!」とその場しのぎ英語を言えてしまえるということは、その人物が「相手の立場(英語を正しく使う)に立つ作業を放棄している」ことを露呈している。相手の立場を大事にできないからこそ、そうなる。

(もちろん、英語力がないのを重々承知で、それでも聞かれたので必死で何か答えないといけない、と考える誠実さは評価できるが……)

 もし、その人がもうちょっとマシな発想力を持てていたら、「英語を良く知らない自分が知っている単語を組み合わせても、通じない英文になるのではないか」という推測が可能になる。そこに気付けたら、同乗している友人知人に聞くとか、一人旅なら(その程度の英語力で無謀や…)スマホは今やほぼPCと同じに使えるから、とっさに言い方を探すこともできる。



 あらゆる場面で、これは応用ができる。

 人は皆例外なく、自分の理解や世界観の基準にひきつけて、すべての物事を判断しようとする。もちろん、我々はそうするしかないので、それ自体は何ら問題ない。

 ただ、常日頃から自らの「定規」をバージョンアップすることは意識するといい。

 筆箱にすっぽり入るような定規なら、20センチ以上にもなる長さは測れない。30センチがマックスの定規なら、それ以上の長さは測りきれない。

 あなたが日々体験することで、その体験の中から気付きをどんどん得ていくことで、あなたの定規はより長い長さを測れるようになる。そして精度も増す。

 他人の内的世界はその如くに理解はできないにしても、せめて想像力を働かせて、そして体験の経験値を総動員して、少しでも相手の真の意図に近付けるようにしたいものである。



 余談だが、せっかくあなたが「ちゃんとチキンプリーズって言うぞ!」と周到に準備しても——



『Fish only.』 (魚しか残っていません)



 と言われることもあるのが、この二元性世界である。そこは、覚悟されたし!

 先に紹介した英会話学校のCMの続編がそんなのだったから、思わず笑ってしまった。学んだことが現実で活かせるかどうかは、あなた次第運次第!

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