えこひいき?
【えこひいき】
●自分の気にいっている者や,関係のある者だけの肩をもつこと。(大辞林 第三版)
科学という分野で考えてみよう。
ある法則性や科学的な普遍的事実が発表される時。どれだけ、そこまでに労力が使われるだろうか?
それこそ、何百回、何千回と計算式を検討し、間違いないことを確かめるだろう。例外など、成り立たない場合がないかを徹底的に疑ってみるだろう。
そういう、気の遠くなるような検討を経て世間に提示されたものというのは、大勢によって「確かにその通りだ」 と確認可能な形になっている。証明が具体的で、明瞭であるから。
私たちが目にする物理公式や数学公式は、一応のところ安心して「誰がやっても(間違えない限り)同じ結果が出、確かな答えが出るもの」と認めることができる。
●そんな人類も、ある分野ではその応用をしない。
それは、宗教・自己啓発・そしてスピリチュアルという分野である。
人は、この分野だけはあきれるほど検証作業を怠る。
科学のレベルほど検証しないし、結構いい加減なものを世に放つ。
驚くことに、聞く側も「絶対だと証明されない」のに、飛びつく。まるで、それが科学的公式でもあるかのように。
科学では、あれほど誰の目にも間違いないようなレベルになるまで発表しないし、学会にも認められないのに、スピリチュアルといういい加減な分野は、個人レベルで「本気でそう思った(体験した)」というだけで、胸を張って「~の法則」などと言って発表してしまう。
その発信者に権威や人気があったりしたら、大して証明されずとも皆祭り上げる。
しかもその内容に「人の心理の痛いところを突く巧妙さ」があれば、世間を騙すことにはなおいっそうの大成功を収めることができる。
こういうのを、「えこひいき」という。
科学や物理、数学の世界にはあれほど「誰の目にも明らか」であることにこだわるのに、こと精神世界的な、目に見えない分野の話だと、なぜこれほどに皆「根拠などどうでもいい病」にとりつかれるのか?
筆者はびっくりする。スピリチュアル好きな人が、メッセンジャーの言うお話を喜んで鵜呑みにする様を。何らかのスピリチュアルにはまってしまったら。以後その人は一切疑問を持たない。疑う、という発想は欠落し、よほどそのまま生きて痛い目に遭うまでは目が覚めない。
ひとつでもいいから、数学の公式のように検討に検討を、実験に実験を重ねてやはりすべての場合に当てはまるらしい、と確認されたスピリチュアル的真理はあるか?
ない。ひとつも、ない。
誰も、確かめようがない。証明のしようがない。
発信者自身も、実体験と自信と確信に基づいて言っているのだろうが、結局その本人にしか、分からない世界である。胸をかっさばいて、ホラと人に見せるわけにもいかないし。
その人が何かを真理だと実感しても、それは数回の体験、ひどい場合には1度の体験から、あたかもそれが普遍的なことであるかのように言えてしまう。
科学のように、数百回の検討をするわけでもなく、例外を徹底的に疑うわけでもない。だって、「疑うことより信じること」が美徳なんだからね! スピリチュアルでは。←皮肉
なんだか、物質界の法則にはやたら正確性に細かいのに、心や霊の分野では、確かめようもないというあきらめでもあるのか、いい加減なものでも野放し状態である。
その野放し状態のせいで、いい加減なものでも「不幸から抜け出したい」と切望する人々の気持ちを逆手に取った理屈が、講演会でも出版でも大人気である。
スピリチュアルは、人々の不幸をエサにしてその存在が養われている。
皆さんが、完全幸福を実現したらいけないのだ。しないように調節しながら、セミナーも講演会も続いていく。
スピリチュアル指導者は歯医者と一緒だ。誰かに虫歯でいてもらわないと、商売が成立しない。
今回筆者が一番言いたいポイントは、「スピリチュアル的理屈は科学的証明ほど確かな行程を潜り抜けていないから、一切信じるな。捨てろ」という点ではない。
そんなこと言ったって、やはり目に見えない世界のことは、物質的体を持ち、基本的には言語や仕草、感情表現などでしか何かを相手に伝えられない「分離存在同士」 としてはどうにも確認も証明もできない。結局は、あなたが信じたいものを信じるしかないわけだ。
でも、そうするしかないとしても「どこにも絶対に正しいことなどない」という知恵の置き石を、あなたの意識の片隅にでも置いておいてほしい。それだけでも、ずいぶん違うよ。助けられる場面も増えると思うよ。
それすらないと、何か間違えた時に取り戻すのが大幅に遅れるはめになる。この気付きがあれば、個人差もあるが早い段階で軌道を変更できる。
今回はスピリチュアルの前では疑うことを知らない信者さんの脳を揺さぶるために、あえて極端に言ってみたのだ。冷静になって考えてみたら、スピリチュアル的なお話にはほとんど根拠がないんだということを。
たとえば歴史上、長い間人類が盲目的に信じ騙されてきた一番の大ウソのひとつに「神の存在」がある。
神は、いない。
もちろんここで言う神とは、この宇宙を創造し、全知全能にして絶対者、真実の愛をもって今も、そして永遠に統べ治める、という性質の神のことである。
それすら、やはり誰も検証した者はいないのに、大勢信じた。
恐らく、ほとんどの宗教の信者が「神に会ったことがない」だろう。声を聞いたこともないだろう。一部のすごい体験をした人の話を聞くのみであろう。
そして実際にすごい神体験をした一握りの人物も、結局それを見たのは「その人という名の自我」である。この自我という視点が曲者で、「見たいものを見たいように見る」という悪い癖があって、かなり自分の願望や無意識の恐れが反映した内容を見るようにできている。
●悟った、という人が最近多いが、半分以上は怪しい。
その人の願望や無意識の要素が引き起こした「つくりもの」である可能性が高い。
悟った、神と出会ったと言っても、所詮は「自我」、つまり人間がそのスペックの範囲内の理解力や認識力の範囲で捉えた程度の何か。ハエほどに視界も広くなく、赤外線とか不可視な光線は見えず、犬ほどに聞こえる音の範囲(何ヘルツ以上は聴こえないとか)もだいぶ狭い——。そんな人間の知覚が、どれほど絶対的な物差しだというのか?
まぁ、幻聴か夢だったんだろう。あるいは、どっかの霊が神だと名乗ったのを真に受けて、騙されたんだろう。ましてや、相手が名のならないのにあなたが「神だと判断した」というのはもっといい加減だ。
神はいないが、神のような役目を果たす高次元存在はいる。だがそいつは「無為こそ最高の愛」だと認識しているので、他に干渉しない。
だから、神があなたに現れたなどというなら、そいつは「何かに構う気がある、ヒマのある低次元意識」だろう。おせっかいにも人間に警告やメッセージを与える宇宙人や天使は、実は次元が低い。
目を覚まされよ、スピリチュアルを全面的に信頼する人たち!
覚者と呼ばれる人種やベストセラースピリチュアル本を疑わない人たち!
科学(物資次元真理)より目に見えない世界(精神世界真理)をえこひいきしすぎていることに気付きましょう!
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