人の本質が現れる時

『犬のおまわりさん』という誰もが知る童謡がある。

 歌詞をそのまま載せたかったが、「これなら著作権はないだろ」と甘く考えていたら、なんとこの歌に関してはまだ著作権が生きてた!

 ……ということで、歌詞は載せません。皆さん歌詞を見なくても歌えるほど有名な歌だと思うので、各自頭の中で再生してください。



 今日の本題ではないが、ちょっとトリビア知識をひとつ。

 この歌は幼児向けの歌としては歌詞が長すぎると子供向けの本の出版社の編集長からダメ出しを喰らったが、作詞者が頑として修正を受け入れなかったので、結局そのまま掲載されたということだ。

 他者の意見を素直に聞いた方が良い場合というのも、もちろんある。しかしこの場合は、創作者が他者の意見に惑わされなかったおかげで、今私たちが聴いているごとくの素晴らしいメロディーと歌詞があるのだ。



 少々脱線したが、本題に入ろう。

 この歌は、登場人物が擬人化された世界である。

 本来、犬も猫もしゃべらない。ましてや、犬が制服を着て警官などしない。子猫だって、服を着て二足歩行などしない。

 言うなれば人間界を動物キャラに見立てた世界を歌にしたわけだ。

 歌の前半で、犬の警官は迷子の子猫にこう職質をかけている。

『あなたのおうちはどこですか?』

 そして、名前についても聞いてみるが、子猫は泣くばかりでラチがあかない。

 どうにもこうにも業務が進まないので、いい加減にしてくれよぉ~とでも毒づいたのかもしれないし、市民の味方としての矜持をもつ警官が、小さい子ひとりすら満足に対応できないのかと、自分の対人能力の低さを情けなく思ったのかもしれない。

 まぁそのへんのことは分からないが、お手上げの犬の警官はついに泣くのである。ワンワンワワーン、と。



 ここで、注目してほしい事実がある。

 歌の前半と最後の違いだ。

 最後の行までは、犬の警官は擬人法により人間っぽく振舞っている。子猫に、人間の言葉でしゃべりかけている。

 でも最後、警官は人間のように泣いてはいない。それまでの擬人化された描写ではない。まさに犬の本分をまっとうして『ワンワンワワーン』と泣いて(吠えて?)いるのである。

 ここだけは犬の地そのものであり、擬人化されていない犬本来の姿である。



 この事実から汲み取れる教訓がひとつある。

 犬のおまわりさんを、我々人間に置き換えて考えてみたらいい。



●人の本質が現れるのは、その人が苦境にある時である。

 逆境の時にどうするかで、その人の正味の姿が分かる。

 言い換えれば、人が幸せであったり人生がうまくいっていたりする時は、その人の本質はなかなか見えにくい。なぜなら、環境から吸収した要素で自分を飾るだけの余裕があるからだ。また安全な状況下では、心の奥底に潜むものはあぶり出されずに済むので、それを見なくて済むからだ。



 人間、心に余裕というものがある時、自分が世界から学んで獲得したものを記憶(ハードディスク)から呼び起こし、多彩に使うことができる。つまり、自分本来の『地』よりも、獲得した知識や技術を駆使し、その状況に最も適した武器を選ぶゆとりがある。

 ゆとりがあるので、「自分の本心からの行動ではなくても、その場ではいいだろうと思える選択をあえて建前として取れる」という器用な芸当も可能だ。  

 犬のおまわりさんが人間的な言語を扱えるのも、余裕のある時である。



 しかし、エゴ (自我)にとってとんでもなく不都合なことが起きたら?

 逆境、という名のアクシデントがその身に降りかかってきたとしたら?

 輪廻の輪を出そうなくらいの精神ステージの高い人は例外として、「心に余裕がなくなる」。そういう状況こそ、ゆとりのある時限定の武器を使う余裕も消え、むき出しのその人の「正味の人間性(ゲームスコアとしてのありのままの成果)」が現れてくる。

 子猫が泣き止まず名前や住所のヒントも得られず、苦境に立たされた犬が人間の言語で話すのをやめ「ワンワンワワーン」と犬に戻って泣いている。これが、正味の姿である。



●だから、人の評価というものはその人が成功している時や絶頂期にやると誤りやすい。その人が逆境の時にこそ、その時取る選択や行動を見てより本当に近い評価ができるというもの。



 世の人は得てして、人を評価する時(特に良い評価を下す時)というのは、その人のノリに乗っている時にやってしまう。すごい実績だ! それを生んだこの人は何と素晴らしいのだ、と。

 でもそれは、本人の内容以外にも様々なエネルギー的力学(周囲、ひいては社会全体の流れや気まぐれ、それが引き起こす瞬発的な盛り上がりの要素)が絡んで現れることなので、すべてその人の実力のゆえだと思うと、あとあと読み間違う。



 だから、私もそのことを覚えて、今を生きようと思うのである。

 うまくいっている時だってもちろん大事でないわけがないが、そうは言ってもとりわけ波形で言えば下の時期にさしかかった時こそ、人の真価が問われると思う。その時期は、善人悪人関係なく、精神性の高低に関係なく巡ってくる。スピリチュアル好きの皆さんお得意の「意識の在り方において信じれば、免除される。避けられないと思うから避けられないだけ」という性質のものではない。

 ガンジーだろうがキリストだろうがマザーテレサだろうが、免除されない。



 皆さんも時期は違えど、「あ、来たな」と思う時が来るだろう。

 もう来ているかもしれないし、しばらく前にもう通過した、という人もいるだろう。ちなみに筆者の場合はまさに「今」である。

 うまくいっている時期以上に、そこが一番大事なのだということを、覚えておいてほしい。一番、これまで生きてきた集大成を生かす時だ。

 その機会をものにすることができたら、きっと次に羽ばたく足掛かりを探すことができるだろう。



【余談】


「犬のおまわりさん」の歌詞を、八代亜紀の『舟唄』のメロディーにのせて歌うと、とっても味わい深いですよ。さぁ、あなたも熱唱してみましょう!

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