自分に恥じるところがないならマル

 スピリチュアル・ブームの遺産というか、「悟り」ブームの弊害というか……

「覚醒した」「悟った」と名乗りを上げる人が増えた。

 ストレートに言ってはなくても、何となくそれを匂わせるようなものも含めたら、相当な数にのぼる。これを「時代的な恩恵を反映した良いこと」と見るか、そうでないかは個人で印象が違うことだろう。

 皆さんもお分かりのように、無数にいる(自称)覚醒者は、その言ってることや文章から受ける印象は実に「ピンキリ」である。大勢に慕われて有名人になるようなのもいれば、まったく相手にされないで、いつの間にやらそそくさと消えているものもある。

 なぜ、同じ「悟りに達した」という人物の間で、現れる結果がこうも違うのか?

 もちろん、一人ひとり「宇宙に定められたシナリオが違う」と言ってしまえばそれまでであるが、それでもあえてひとつの理由を挙げてみよう。



●この世界では、「一般論」や「普遍的共通原則」は厳密な意味では役に立たない。だって、人はそれぞれ自分がもっている世界(認識世界)以外のものには触れられないから。



 あなたは、生まれてから死ぬまでの間、自分という自我が捉えた映像と、自分という独自のオペレーティング・システム(OS)が吸い取った範囲でしか、ものを考えたり感じたりできない。

 もちろん、ゲームの最初に配られたトランプの手札の違いにより、個における違いというのは最初に生まれ、それによってもどんなOSに進化していくのかも個人で全然方向性が違う。

「人には親切にしよう」という一般論があったとして、でもここで問題となるのは「厳密にはどの程度まで優しくしたらいいのか。どの線から、見てみぬふりはいけないのか。どの線からは、行き過ぎやおせっかいになるのか」という基準が人間同士でまったく一致しない、ということである。

 マザー・テレサのような人物であれば、とことんまで親切をするだろう。命まで懸けるくらいに人を助ける人もいる。また、自分の立場や仕事、利害に影響しない範囲において親切にしようとする人もいる。

 例えば横断歩道で困っているお婆さんと一緒に渡るとか、荷物を持ってあげるとか。でも、自分が待ち合わせや仕事に遅れてしまいそうな時は、困っている人がいるのに気付いても、心の中で「今日は勘弁ね!」と一言謝りつつ、足早に通り過ぎる。

 また、極端な人になると、「むやみに手を貸して甘やかしてはいけない。体の不自由な人こそ、体を動かさないと。ちょっと無理するくらいの方が筋力維持に繋がるし、リハビリにもなる」と考え、あえて何もしない人もいる。電車で老人が立っていても、「立っとくくらいの方が運動になってよろしい」などと自分で納得して席を譲らない人もいる。



 今挙げた例のように、宗教やスピリチュアルが提唱する、短文で表現できるなんらかの「生き方指南」や「原則性・法則性」というものがあったとしても、人類全員で寸分違わない共通認識やまったく一致した応用など不可能である、ということ。この事実を個々人の「悟った」という基準の話題に当てはめると——

 


●偉大な覚者からそのヘンにゴロゴロいる「悟った人」にまで、共通すること。

 それは、全員悟ったと捉えるその基準が違う、ということ。



 頭の中や胸の中を開いて見せ合いっこするわけにもいかないし、答え合わせも不可能。(確信犯的便乗犯は除いて)本人は大まじめなのだが、この世シナリオの定めるルールにたまたま本人の言動がそぐわないと、残念だが認めてもらえない。

 筆者は一時期、「自称覚醒者」に悩まされたことがある。ぶしつけなメールを送り付けてきて、宇宙意識があなたのことを「ニセモノ」と判断した、とか笑えるようなことをいっぱい言われた。でも、人間とは不思議なもので、最近そういう人もちょっとだけ「好きになってきた」。



 昔のある時期、妙に気になって更新を見守っていたふたつのスピリチュアルブログがあった。両者に共通しているのは、ブログ主が「自分は悟った」と言っていること。そして言っていることのスケールはでかいが、「この人大丈夫か?」という領域にまで、妄想がぶっとんでいる。

 他人事ではあるのだが、こんな危ない内容で、更新がいつまで続くかしら? 読者が増え、本当にそんな「世界征服」みたいなことが実現するのかしら? なんて思って、ちょっと面白がってしまった。

 結果論であるが、そのふたつのうちひとつは、ブログ主が更新をやめる旨を開始後数か月もたたないうちに宣言していた。それまでのものすごい『迷作』なブログ記事も含め、ある日を境にすべてが削除された。

 もうひとつは、ブログ自体はそのまま削除されず残っているが、更新がだいぶ昔のある時点で止まってしまっている。もちろん、しょっちゅう更新する人ではないみたいなのでただ忙しいだけなのかとも思ったが、それにしても言ってる内容からしたら 「そのビジョンをマジで実現していく気やったら、そんなにチンタラしててええのん?」 と、他人ごとなのに心配になったものだ。

 確かにこのふたつのブログは煙たいし怪しかったが、その辺に転がっている似たようなきれいなこと、嫌われない無難なことを言った「優等生風スピリチュアルブログ」よりは好きだった。

 だから、筆者としてはヘンな話「頑張ってほしかった」。だって、その人なりに大真面目だからこそ、魂を懸けて確信したからこそ、大それた無茶な夢でも本気で抱き、勇気をもって初心貫徹してほしかったなぁ、というのが私の思いだった



 この世界に、究極には優劣はない。

 皆、それぞれが植えられた場所で、与えられた体や感覚的才能で、スタート時の人間関係・経済状況で、その後を生きないといけないからだ。その後何を獲得し、どんな人間形成がなされていくかは、本人の努力による部分よりも「流れで、仕方がない(不可抗力)部分」が占める割合のほうが多い。

 真理をつかんだ! みたいなことを申告している人の中には、どうしても一般ルールや常識感覚に照らし合わせて、ちょっとおかしい人も多い。(ああ、私も?)

 でも、私は自分の価値観から「これはおかしい!」と一刀両断するよりも、次の点を見て最終評価をしたい。



●どれだけ長く、それを言い続けてられるか。



 やっぱり、内容どうこうよりここだと思う。

 もちろん、常識的に逸脱した「この人危ない」と思われるような内容であれば、それを言い続けることは当たり前のことを言う無難なスピリチュアルブログに比べて、続ける難易度が高くはなる。 

 何もそれは、表面的に続くことだけが大事なのではない。

 かつてのガリレオ裁判の例もある。地球は平たい、という常識の優勢な中世社会において、地球は丸く動いていると主張するガリレオは糾弾された。世間的な強制力で、ガリレオは「私が間違ってました」と言うしかなかった。でも、彼は裁判所をあとにする時、こう言ったとか言わなかったとか伝えられている。

『それでも、地球は動く』。

 だから、色んな圧力によって表面的な活動停止に追い込まれても、その人の中で初心の炎がともされ続けているなら、素晴しいことだ。

 だから私は、内容がどうこうよりも「いつまでその減らず口を叩いていられるか」こそが、その信念なり活動なりの本当の評価になると思うのだ。



 筆者は、メッセージ発信活動を開始してからもう10年ほどが経過することになる。

 精神世界ジャンルで活躍する大御所に比べれば、私などちりあくたのような存在だろう。(私が同じ土俵に立つのすら認めたくない人もいるかもしれないが)

 確かに、私を取り巻く現象の起伏というのはある。今はちょうど、耐え忍ぶ時期である。でも、私の胸の中にある思いは、炎は相変わらず燃え続けている。

 内容が正しいのどうこうではなく、覚醒したのがホントかウソかどうこうではなく、その点だけは誇れる。自慢できる。私は決して折れない。

 何かの圧力で折れるくらいなら、最初から発信などしていない、という強い自負がある。



 筆者の発信スタイルや内容の関係上、私を嫌う人は少なくない。

 人は皆、他人の評価で一喜一憂し、過度に気にして「世に受け入れられるように」自らの中身を微調整していく賢さを持っている。確かに、人生にはそうすることが有効なケースもある。しかし、「賢者テラ」と名乗るその賢者という部分は、今言ったような賢さとは無縁。

 不器用でも、自分がこの世で「これ」と思ったことを思い続け、やり続けるということ。それこそが私のモットーである。

 もちろんそれは、自分自身の趣味の範疇である。他人への強制力はない。

 他人側で勝手に私の発信を読み、自己責任で取り入れてくれる分にはいいが、賛同しない人にまで説得して分からせようとは思わない。



●人は私を色々に評価するが、他人の評価などどうでもいい。

 私は、他人に認めてもらうために活動しているのではない。あなたの覚醒者像や人格者合格基準にかなうために生きてはいない。

 自分自身の納得のために生きているのである。自分自身が、世界に恥じない在り方をしていることを確認し続けるだけである。



 どんなに人から認められても成功しても、自分で自分に恥じる部分や妥協した部分があるなら、それは虚しい。幸い、世間的には成功からは遠いかもしれないが今の私には、一切自分に対しても、お天道様(宇宙)に対して恥じるところはない。

 だからこそ、何事も続けられるのである。

 踏まれても、潰されても、別の形でしぶとく生き続けることができるのである。

 私の胸の内のともし火は、誰であろうが消せないのである。

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