意識が現実化すると言い張るなら

 意識が現実化する、と言い張るなら。

 しかも、それが『100%』だなどと言うなら。(※100%自分原因説 筆者注)

 その人にひとつ言いたいことがある。



●家に鍵をかけるな。



 読者はみんなジェントルマンだと思いたいので、きっと「鍵をかけない国もあるし、超田舎に行ったらかけてないよ」という低レベルな揚げ足取りはいないと信じる。賢明な読者は、私が何を言わんとしてるかにフォーカスしてくれると期待することにして、お話を続けよう。 

 皆、家に鍵をかける。かけ忘れはあっても、忘れない限りは皆かける。

 外出時に必ず鍵をかけるのは、空き巣に入られないためである。留守中に、悪意ある者が侵入するのを恐れてのことである。

 在宅中も、鍵をかける。留守中を狙う悪人ばかりではない。ドアが開きゃ人のいるいないに関係なく侵入してくる危ないやつもいる。



 鍵をかけるということは、意識の中で「そういう悪いやつがいる」と認識しているからにほかならない。恐れるということは、裏を返せばその恐れる対象の存在を「認めている」ということである。

 これは、意識が存在に力を与えていることになる。重要と供給の関係だな。恐れるので、その期待通りにその対象が存在を獲得する。 

 じゃあ、この世界から空き巣泥棒を無くすためには? 意識が現実化する、というスピリチュアルの流儀で考えてみると——



●恐れを捨てる。

 悪いやつがこの世にはいて、自分に被害を与えてくる、という意識を捨てる。

 そしたら意識が現実化するので、恐れの対象(泥棒)を生みださない。



 この世界のすべては意識の投影だというスピリチュアルが真理だとすれば、この世を良くする、つまり景気を上げ雇用を促進し、皆がある程度豊かになって泥棒しようなんて思わなくなる、という現実的手段では泥棒を根絶できないということだ。。

 なぜなら、人類の中でたった一人でも鍵をかけ、泥棒を恐れていたら、その一人の意識ゆえに残りみんながどんなにパーフェクトでも泥棒を創造してしまうからだ。



 筆者は、100%意識がつくっている主義の人って卑怯だと思う。

 だって、そういう人でもきっと家に鍵をかけているだろうから。いいや、私は本当に家に鍵をかけないと言える人がいたら、私は頭を下げて謝る。その方は卑怯でない例外と認める。



 もしあなたが「思考(意識)は現実化する」と日頃主張しておいて、一方で家には鍵をかけるって矛盾してない? あなたが率先して良い実践をしなくちゃウソになるでしょ?

 あなたがまず、鍵をかけて悪を恐れるのをやめなさい! 恐れが、決めつけが好ましくない現実を生むというのなら、一切手放せばいい。宇宙すべてを愛として、防御をやめ両手を広げて受け入れたらいい。

 それが本当にできるなら、筆者は意識万能主義も素敵だと思うんだ。でも、口では意識がすべてだって言っといて、私生活では当たり前のように鍵をかけるって神経を疑うんだ。

 それともスピリチュアルは商売の建前上? 現実には世の中は物騒だから、って意識なのかい?

 ちょ待てよ。まずは意識からでしょうよ! 先生?

 本気で犯罪を止めたい、って思ってないんだ? だって、意識を「恐れ」のあるままにしているんだから。世を変える気がない、と思われても仕方がないでしょう。



 筆者は、家に鍵をかける。だって、泥棒に入られたら困るからだ。

 私は、意識が現実化しないという立場を取っているので、泥棒を恐れても、悪があるということを前提として認めても、何の罪悪感も引け目も湧かない。


 

●だって、この世で生きる上で当たり前のことをしてるんですもん!



 フツー、鍵をかけるなんて何の悪いことでも、問題でもない。

 普通に生きている人にとっては!

 意識万能主義のスピリチュアルだけである。意識があなたが見る世界すべてを作っているなどという理屈を持ちだすから、本来問題にならないことが問題になっちゃうのである。

 意識がすべてをつくるのだから、悪を想定しての対抗策は、悪に具体的な力を付与してしまうという理屈になる。自分で好んで持っている信念が、逆に自分の首をしめてくるような形だ。



 保険も入るな。だって、病気になるとか死ぬとか、具体的なイメージでもって心配するからでしょ?

 一切心配するな。心配するから、意識が力を与えるわけでしょ?

 でもやっぱり、人間として生きる限り無理だ。防御しないで、身を守らないで生きろなんて酷だ。

 皆がマザーテレサやキリスト、ガンジーやナウシカのようには生きられないのだ。

 選ばれし、「できる人生シナリオ」の人には可能だ。だが、間違っても万民に奨励するものではない。



 今回のお話の趣旨は、「意識がすべてを生んでいる説は間違っている!」という所にはない。

 ただ、それを真実とする人がいるなら、生き様を貫きなさいよ。でないと口だけじゃん? と思っただけ。意識がすべてと言っておきながら、その先生が家に鍵をかけて泥棒を恐れたり、災害を恐れて備蓄したり、保険に入りまくったり、挙句の果ては地下にシェルター作るとか。それって——



●言ってることとやってることが一致していない。



 いい悪いとか、正しいとか間違っているじゃなくて——



●カッコ悪い。



 筆者は、この世界は陰陽のバランスにより、すべての可能性が常にもれなく存在し続けると思っているので、変に夢見ない。鍵もかける。保険も気にする。心配や恐れこそが問題なのだ、と気をもむことはない。

 確実に存在するものに対策を講じて、何が悪い。天空の城ラピュタに登場する海賊・ドーラの名言にもあるではないか。



●……当たり前だ。海賊が財宝を狙って、何が悪い?



 この世ゲームに人間キャラとして参加するということはいいことばかりでなく、すべての可能性が常にそばにある、ということだ。その前提の中で、自分ができる最善のことをしていくだけだ。

 それを、あなたがちょいと「悪はない」「怖がったり、信頼できないからそういう意識が問題を生むんだ」と思ったところで。やせ我慢して「ない、ない」と呪文のようにつぶやいたところで、今日もニュースは残酷でやるせない現実を伝えてくる。

 目を覚ましな。普通はこの言葉、宗教やスピリチュアルをやっている人が、やってない一般ピープル向けに言うことが多いんだろうが、逆だね。スピリチュアルやっている人にこそ、「目を覚ましなさい」と言いたい時もある。



 スピリチュアルでよく、「皆の意識が変わるなら、明日からでも世界は変わる」と言うことがある。

 でも、現実変わってないでしょ。なぜ?

 皆、意識を変える気がないからである。理屈は正しいと知的には認めているが、自分が責任を負う気はないということだ。

 自分がまず、率先して鍵をかけないとか、悪を想定しないとかする勇気はない。誰かがしてくれればとは思うが、自分が先陣を切る気はない。

 もしかしたら「やっぱりそんなこと実践したらマズイことになるんじゃ……?」 ってホンネでは思ってしまうのかもしれない。

 だからね、100%自分原因説の人さ、やせ我慢はしなくていいよ。



●鍵かけていいから。

 あらゆる現実的脅威に対し、想定して対策講じていいから。

 皆やっているんだ。あなたにもその権利はある。

 精神衛生的に健康に、それをする権利もあるから。



 意識がすべてを生んでいるのに、自分ってダメだなぁ! そういう認識こそ、自分に対するイジメである。

 もっと、自分をいたわりましょう。それでいいんだよ。心配していいんだよ——

 私って、何て優しいのだろう!(自画自賛)

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