歯医者と幻想世界

 歯医者さんに行くと、痛い治療をされる前こう言われることがある。



『痛かったら、手を挙げて言ってください』



 これは、少々ひねくれた見方をすると——



●痛くてもやめない、という意味である。



 痛かったらちょっと休憩させてあげるけど、やることは最後までやるからね、という宣言でもある。



 我々が人類としてこの世界をスタートさせ、時間という名のレールを追いだしたのも、そのようなものである。

 我々が自覚できない神意識(大元とはいえ、何かを生みだすという意図をもちなおかつ「行為ができる」存在なので、「くう」とは関係がない何か)は、このゲーム開始時に相当の覚悟と言おうか、決意をもってスタートボタンを押した。



 神としての記憶を消してまで、大掛かりにしたゲームに没頭してみたものの……

『これやっぱ、ちょっと辛くね?』

 そう感じて歯科治療中のように、手を上げてみる。だって先生が「痛かったら言ってくださいね」と言ってくれたからである。

 確かに、ちょっと手を休めてはくれる。でも、頃合いを見計らって、また「そろそろいきますね~」なんて言って——



 チュイイイイイイ~ン



 ブシシシシシシシシシ

 グヘヘヘヘヘヘヘヘヘ



 ……実際は、こんなに怖くないかな?

 そう。一定の目標(今日の治療では、ここまで済ますぞと言う)は、達成する気なのだ。でないと、簡単には帰せない。

 そもそも歯医者は、いくら客商売だとはいえ、足を踏み入れた以上は「患者側にも最大限治療を円滑に進めるための協力といおうか、我慢と忍耐」が要求されるものなのだ。これに文句は言えない。だって、『治りたいんでしょ』?



 魂の目的は、そのシナリオを味わい完遂することである。

 個々の人生という名の脚本を、幕まで見事に演じきることである。あなたらしさを、最後まで表現し続けることである。それはそれは、膨大なエネルギーの要る行為である。

 神意識が正体である人間がもともと持つパワー、生みだせるエネルギー量は建前上は無限である。しかし、この世界ではあえてリミッター付き50㏄バイクみたいに、幻想上の「限界」というのがある。

 そういう時、人はしんどさを感じるので、治療上の「休憩」はあったほうがいい。しかし、あなたのエゴ(この話の流れでは悪い意味ではなく、単に自我意識を指す)が休んでも、世界の時間は回り続ける。あなたが寝てる間も、全体としての舞台設定は変化し、常に動き続ける。

 つまり、あなたが休んでも、あなた自身や状況も刻々と変化する。この世界は歯医者のように、再び立ち上がるあなたを待ってはくれる。でも、あなたに「魂の目的を満了させる気満々」なのである。

『さぁ、そろそろ治療を続けてもよろしいですか?』



「ありのままでいいよ」

「今のあなたがすでに、100%なんだよ」

 その言葉は、ある側面からは真実である。でもそれは「この世界のすべてがゲームであり、壮大な遊戯であり演劇」という上の次元から見た場合に成立する論理である。間違ってはいないがこの世という現場では役に立たない「根源論」「存在論」としての定義でしかない。

 または、傷付き疲れた魂が一時羽を休め、再び飛び立つ力をため込むまでの「方便」として成り立つのみである。



●ありのままでよくない、のがこの世界である。

 ゆえに常に一定に留まらず、常に変化・発展・向上することを求められる。

 なぜなら、そういうゲームだからである。そのままですでに完全、ありのままの存在だけで完璧という考え方は、使い道を誤るとせっかくの人生ゲームを混乱させる。



 もちろん、宇宙は転んでもタダでは起きないいやらしい性格で——

 ゲームが混乱する状況も行き詰る状況も、それはそれで体験のコレクションとして重宝し、回収をする。我々は何をどうしても、結果として宇宙(あるいはその大元)を満足させる結果となるのである。ただ、あちら側の視点に立てない(あえてそれを捨てた自業自得的な面はあるが)我々だけが、ゲームの駒として使われる分リアルに苦しいし、つらい。

 でも、逆にうれしいこと、願いが叶うことがあったら、うれしさもひとしおである。でもそれは、人がスピリチュアルな進化を重ねて究極の次元に近づけば近づくほど、その感覚は薄れる。それは、本当にいいことだろうか?

 陰陽の幅のある、すべての「感覚」は、人間の特権である。時々、辛いこともあるけどね。



 今日も、歯科治療は進む。

「さぁ、今日はここまで削って、型どりしてから仮埋めしときますね~」

 今日の苦労は終わった。その分、喜びも面白さもあった。いずれにせよ、着実に治療は進んでいる。

 いつ完治するのかなんて分からない。それは、先生しか分からない。

 まぁいいや。私は先生を信頼して、歯を任せるだけ。そして、その結果を体感するのが私の役目だ。

 


 時々、手を挙げて休みたくなることもあるけれど、いつだって地球は回り続け、物語は進行中。その渦の中に自分はいるのだという事実の前に、今日も私は覚悟を決める。

「痛くてもやめない」治療のために、私は今日も重い腰を上げる。

 でも回数を重ねていくうちに、最初はくだけ腰だった私の腰が、最近上がりやすくなったのに気づけたりした時がうれしい。

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