ただ泣きたくなるの
私は大学時代、学生生活を思いっきりエンジョイしてやるぞ! という気合をもって入学した。
高校生の時は成績はそれほど良いとは言えず、大学に入るのだって模試の判定は良くなかった。だから、合格できたことが奇跡に近かった。入れたからには俄然、やる気も出てくる。高校時代、本当に色々大変なことがあった(後日書くかもしれない)ので、絶対に幸せになって巻き返したかったのだ。
実家を離れての下宿生活。人間関係も環境も、すべてリニューアルされる。
心機一転、ここからがチャンスだ! まさに、そう期待に胸を膨らませた私だったのだが、入学早々にある新興宗教に関わることになるとは、夢にも思わなかった。
入学して迎えた5月のある日の昼休み、ある先輩の男子学生に声をかけられた時が、その波乱万丈の物語の幕開けだった。
若者の獲得を重要視する新興宗教は、イベントサークルだとか国際情勢研究会だとか、そういう穏やかな名前の仮面をかぶって学内で学生に声をかけて勧誘する。
勧誘されてどこへ連れていかれるかというと、何故か学内ではない、学外の建物に連れて行かれる。その時点で十分怪しいのだが……
そこで、宗教であることは伏せられ、初心者用に無難に薄めた『教義』を聞かされる。そして、段階が進めば2日、6日などの合宿セミナーを薦められ、それらに参加すると最後の最後にここがどこか、ということが明かされる。もちろん、その段階まで聞けばかなりの確率で「好意的」になっているはずだという計算があってのこと。
私は見事にその流れに乗ってしまい、私の普通の大学生としてのキャンパスライフは、入学して1ヶ月で終わりを告げた。
その宗教の教えに痛く感動した私は、本気でこの道を行く決意をした。
私は親に内緒で、その新興宗教が持つ『学生寮』へと移った。
もちろん、親に対してはちゃんと下宿に住んでいると思わせる。定期的に部屋へ帰って掃除をし、親が来ると連絡を受けたら即座に戻るのだ。
学生寮には、大人の寮長を含め20人余りが暮らしていた。
この教えを知って以降は、一般社会を「俗世」として、できるだけ影響されないようにという教育を受ける。信仰を純粋に保つために、学校の授業以外は寮に戻る。外で勝手に遊ぶなどもってのほか。
自由になるお金はなく、仕送りもバイト代も、いったん寮長に全額預ける。そこから、ノートがいるだの昼飯代がいるだの、申告して必要な額をもらう。
だから、信仰が同じ仲間同士以外で他人としゃべるのは、『伝道目的』だけという有様だった。
そこでの生活も二年目に入った頃。
一年先輩の、三年の女子学生が伝道されて、入寮してきた。
仮に名前を『上野さん』としておこう。
私は、一目で好感を抱いた。これまでに紹介してきた「れい」や「浅谷さん」と比べたら、美人タイプではない。美人ではないが、「優しいお母さん」というイメージが私には連想された。
女として、性の対象としてギラついた目で見るというよりは、どちらかというと母を見る感じ。『思慕』という言葉がちょうど似合うだろうか。付き合いたいとか抱きしめたいとか、そういうんじゃなくて、もっと穏やかで落ち着いた恋慕だった。
決して、現実問題として彼女が年上だったからではない。年齢とかそういうのに関係なく、彼女は私にとって『母性の体現者』だったのだ。
実際、彼女は優しかった。彼女を見るのが最後になる瞬間まで、私は怒った姿を見たことがない。
もちろん人間なのだから、色々あるはずだが。私が前述のようなイメージを彼女にかぶせていたので、そう見えていただけかもしれない。
ある日のこと。
私は大学での授業が休校になり、寮に戻って昼食をとった。その時たまたま、食堂に上野さん一人だけがいた。
彼女はもう食事を終えかけていたので、大して会話はできなかった。
タイミングよくというか、なぜかそこにミスタードーナツのシュガーレイズドがひとつだけあった。上野さんはいたずらっぽい目をして、「一緒に食べない? ほかのみんなにはナイショだよ」と言った。
上野さんはおもむろに、ドーナツをザックリ半分にちぎった。
そして、半分を私に手渡しながら、言った。
●ドーナツ、はんぶんこね!
知ってる? 何でもね、全部をひとりで食べるよりー
好きな誰かと半分ずつにするほうが、とってもおいしいんだよね!
上野さんはあくまでも無邪気だが、私はその言葉の真意を思わず考えた。
この場合の好きって……あっちじゃないよな? 仲間として、だよな?
状況的に冷静に分析したら、そうとしか思えない。でも、どこかの願望の部分では、願わくば男としてであってくれたら……と考えた。
でも私は、その「不健全」な考えを頭から消し去った。
教祖の認めた結婚相手以外はダメだ、というのがその宗教の教えだったから。
それは、持つことを許されない恋の夢だった。
なぜだか、あの時のドーナツの味が忘れられない。
私は今でもよくミスドでシュガーレイズドを買って食べてみる。
でも、あの時上野さんとはんぶんこずつ食べたあの味はもうしない。
当時宗教のセミナーのスタッフとして、私はよく車での送迎を担当した。上野さんもしばらくしたら女性のリーダー的立場になり、よく彼女を車で送迎したものだ。
多忙な彼女は、後部座席でよくウトウトしていた。その寝顔をバックミラーで見ていた時に、カーステレオでよく中山美穂の「ただ泣きたくなるの」が流れていた。ちょうどそのシングルがヒットした時代でもあり、流行りの歌をテープに編集したものをBGMとしてしょっちゅう流していたが、その中の一曲だったわけである。
2~3年、上野さんとは同じ目的を持つ同志として仲良くしたが、教団内で人事異動があり、彼女は遠い地へと赴任していった。
その後、私は心配した家族によって監禁され、脱会を迫られた。紆余曲折はあったものの、結果としてその宗教を離れ、ゴタゴタして一年留年はしたが、無事大学を卒業した。もうね、この世の勉強なんて見下して、教義の勉強ばかりしてたからね。よく、最後はちゃんと卒業できたもんだと思う。
その後、私は将来の夢を保育士に変更し、あらためて保母資格を取る努力を開始する。二年間はしゃかりきに勉強し、その後障がい者施設に就職。そこで、浅谷さんと出会うことになる。
今となっては、上野さんがどこでどうしているのか皆目分からない。
いつまでも、上野さんとドーナツをはんぶんこした思い出が忘れられず、私は上野さんをモデルにひとつの短編小説を書いた。それが——
『はんぶんこ』 (カクヨム内・筆者の短編小説)
https://kakuyomu.jp/works/1177354054890330927
このお話である。もし、興味をお持ちいただけたら読んでみてください。
私の上野さんへの思いが、フィクションではあるがそのまま詰め込まれた作品になっている。
実は、上野さんの事例とほぼ並行して、ある女性とも色々あった。それはまた、後日に書いてみよう。
上野さんとの出会いを通して、はんぶんこ……つまり『分かち合う』という行為に関する学びを得た。その私なりの結論が、以下である。
●分かち合う、とは何か。
損得。利害。建前。常識。そういうものを含め、何かの行動を選択する上で縛りとなるすべての前提条件を無視して、ただ無垢な、素直な思いだけに従って行われる行為全般を言う。
ものを半分ずつにする、という文字通りの行為だけではなく、他者に対して素直な気持ちで何かを言ったりしたりできたら、それはすべて『分かち合い』となる。
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