愛の循環

 皆さんは、『死海』という湖のことを聞いたことがあるだろう。

 アラビア半島北西部に位置する塩湖。地理的には、イスラエルとヨルダンに隣接する。かつては、イエス・キリストが活躍した舞台でもある。

 地域湖面の海抜はマイナス418mと、地表で最も低い場所である。



 海水の塩分濃度が約3%であるのに対し、死海の湖水は約30%の濃度を有する。

 この濃い塩分濃度のため、湖水の比重が大きくなり、結果浮力も大きいので、人が死海に入って沈むことは極めて困難である。だから、プカプカ浮いたまま読書ができてしまうほどである。

 また、濃い塩分濃度のゆえに生物の生息には不向きな環境であるため、湧水の発生する1か所を除き、魚類の生息は確認されていない。死海という名称の由来も、ここにある。 

 でも、一部の塩分を好む細菌類にとっては快適な場所である。陰陽の二極性の世界は実に面白い、と思う一面である。



 この死海という場所は、私たちにある大事なことを教えてくれている。

 それは——



●愛の循環



 ……というものの大切さである。

 死海は、なぜあんなにも塩分が濃いのか?

 それは、循環しないからである。入ってくるばっかりで、出て行かないからである。循環しないから、どんどん水は淀んでいき、塩分も溜まっていく。

 おかげで、プカプカ浮いて面白いな、という以外は問題だらけの湖。

 生物も、ろくに生息できない。



 これを、人間だと考えてみたら、どうだろう?

 人からもらうばかりで、受けるばかりで、与えることをしない。

 ケチで、貯め込みはするが出し惜しんであまり出さない。

 愛されることのほうを願い、愛することをしない。

 これでは、死海のように入る一方で循環しないから、命の存在・愛の存在としては破たんしてしまう。食べるばかりで、トイレに行かず絶対出さないようなものだ。

 想像するだけで……イヤだ。 



 この宇宙の営みは、まさしく『循環』である。

 命はめぐっていく。愛は流れていく。

 お金もまた、「天下の回り者」とかいう表現をする。貯めておくものではなく、流すものである。流すことによって、また新たな流れが入ってくるのだ。

 そして常に、フレッシュな状態でいられるのだ。

 私たちはどうしても、今の自分の経済状態を分析して、ネガティブなエネルギーオーラを出してしまう。

 高い。買えない。

 貧乏。節約しなきゃ。我慢しなきゃ。

 ああ、もったいない。今出費すると、あとで大変——。

 


 貯めるから豊かになる、という発想はこの際破壊しよう。

 まず先に、喜びをもって流すことで、それがあなたにとって十分な量として帰ってくる。すべては、エネルギーの循環だからである。 

(注 : お金自体がエネルギーではない。お金を扱う私たちが付与する感情エネルギーが、意味を持つのだ)

 私たちをして、出し惜しみをさせ循環を阻むものは、『恐怖』である。出しちゃったら、あとで入ってくる保証などどこにもないのだから、欠乏するかもしれない——

 そういう、存在もしない将来をノータリンな自我でシュミレーションしての、恐れである。そこには、『信頼』がない。 

 だから、思考で計算して、一定量を守ろうというショボい発想ではなく、大きく流して、大きく受け取ろうという意図を持ちたいものだ。

 恐れる背景にあるのは……



●放っておいたら、自然に欠乏する方向へ行く世界



 そのように、あなたが自分のいる世界を評価・判断しているからだ。

 世知辛い世の中だ、と自然に考えているからだ。

 意識の前提がそれだと、表面的にどんな努力を重ねても、限界がある。

 現実的な行動努力以前に、意識の問題にアプローチするほうが建設的である。

 私は、この世界は豊かな世界である、と思っている。それは、そういう現実があるから、それを根拠にして言っているわけではない。目の前の現象など、関係ない。

 今ここにおいて、私は豊かであり、「豊かさの体現」以外の何者でもない。

 だから今の私は、別にお金持ちではないが、素敵な人間関係に恵まれて、やりたいことに打ち込めて、という恵みが与えられている。

 ある人が書いていた。豊かさを測る尺度は、所持金の大小ではなく……



●自由になる時間で測ることができる。

 自分が心からやりたいことに、どれだけ時間を割くことができるか。



 だから、この尺度で行くと、お金持ちでも忙しすぎてしたいことの時間が取れない人は貧しいのである。

 あるいは、忙しいがその「忙しい内容=自分が本当にしたいこと」な場合は、上記の限りではない。



『損して、得取れ』ということわざが、日本にはある。

 意味は、「一時的には損をしても、将来的に大きな利益になって返ってくるように考えよ」ということ。

 私たちが、目先の損得よりも、本当に魂が望み喜ぶものを選択していくなら、友である宇宙は、必ず責任をもって良いように導いてくれる、ということである。

 もちろん、誤解のないように言えば、「最終的に得を取ること」を狙って「損を選ぶ」のではない。あくまでも、宇宙の自然な流れに「お任せ」した中で、自然と起こってくることである。

 例えばイエス・キリストも自身は誤解され処刑され、表面的には損を引いた形だ。

 でも、人をゆるすという愛の選択は、キリストの死後二千年たった今でも、多くの人々に感動を与えている。

 彼の生きざまに触れる人物の、魂の気付きを加速させ続けている。

 まさに、地球規模での「損して得取れ」を実践した、偉大な覚醒者なのだ。



 豊かになる秘訣は、これまでは知識やテクニックだったかもしれない。

 がむしゃらに努力する(働く)ことだったかもしれない。(それももちろん大事ではあるが、そこだけに目を奪われては大事なものが見えなくなる)

 実力やコネ、その人によって差の出る要素だったかもしれない。

 しかし、これからは違う。

 


●本来豊かである、ということを現状に関係なくどれだけ気付けるか。

 どれだけ、豊かになることにおいて本気か。

(本気の意味を取り違えないように。深刻と真剣はまったく違うものである)

 損得勘定や未来への恐れを超えられるほど、楽しいこと打ち込めることに巡り合えるか。



 私も今、そういう状態である。

 この世界に生きているので、多少は生活のことやお金のことも考える。

 でも、それを考えすぎて恐れに取りつかれたり、心配のせいで今ここを楽しむことを邪魔させたりはしない。

 


 私は、愛の循環に生きている。

 その自覚さえあれば、絶対に大丈夫。

 そういう状態なら、逆に不幸になることの方が難しいはずだ。

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