素直が一番
人は、時として下手に思考に頼ってしまう。
心の動きや感情の揺れに身を委ね、素直に受け取っておけばよいことでも、思考がしゃしゃり出て、色々と分析して余計なことを考えてしまう。
往々にして、人は考えすぎることで墓穴を掘る。
深読みしすぎて、それがかえって裏目に出ることがある。
ある古い歌謡曲の歌詞に、こうある。
「人の心 裏の裏は
ただの表だったりして」
これは、本当にそうだと思う。
実は、人間はある意味それほど複雑な生き物ではない。
喜びを追及するゲームに挑む、冒険者であり、挑戦者。
でも、皮肉なことに人間は宇宙の王として、意識の力による創造が(制約はあれどある程度)可能なので「人間心理は複雑なのだ」という思い込みが力を発揮して、当人にとってそういう現実が観察される人生を送ることになる。
もちろん、完全なる神意識が、喜怒哀楽の壮大なドラマを楽しみにきているわけなので、何だって自由だし、複雑な方が面白いと言われればそれまでだ。
ただし。私の目から見て、自分でわざわざ複雑にしておきながら、その複雑さを楽しめていない人が多い。
楽しくないんだったら、やめればいいのに。
楽しくないのなら、もっとシンプルに生きればいいのに。
楽しくもない複雑さを創造する人が多い。
世の学問に、心理学というのがある。
あれって、絶対だと思いますか? 生きていく上で、必要だと思いますか?
それでメシ食ってる人種には申し訳ないが——
●あんなものなくても、十分幸せに生きれる。
一生懸命やっている人に失礼なので、やるなとか無くせとは言わない。
でも、なぜ心理学が生まれたのか、考えてほしい。
●目的は、自分の守り(防御)である。
もっと言えば、恐れが原因となって生まれたもの。
だって、そうでしょう。
なぜ、心理学なんて学ぶのか。
人間関係、うまくやりたいと思うから?
それって、「心理学のひとつでも学ばないと、素の自分には対人関係において適切に接する十分な能力がない」という、無意識の恐れがあるのでは?
人の心がどう動くのか、についてのからくり(パターン・法則)を知りたい?
そういうのを知識として知っておくと、安心するから? ……ということは裏を返せば、「知識がないと、安心が得られない」と思っている?
あなたは、宇宙の主人公なのです。
あなたがあなたの眼を通して見る世界は、あなたの世界観・ものの見方が反映した見え方になっています。言い方を変えると、あなたがあなたの世界を創っているようなものです。
心理学は、『人間という恐ろしくとんでもないことをしでかすこの生き物について、ある程度心のメカニズムが分かってないとどえりゃーことになる』という恐れが生んだ。犯罪心理学など、特にそうだ。
学んで楽しむのはいいが、楽しくないのならわざわざあなたの宇宙の真理に格上げせんでよろしい。
筆者の目からは、心理学は楽しくない。
なくても、喜びに生きる上でまったく問題ない。
まぁ、他人はいない・元はワンネスであり、個人の思考は存在しない、ということが腑に落とせれば、心理学は本当に無用の長物である。
●そもそも、人の心の裏を読もうなんて思うのは(読む必要が生じること自体)
無意識の恐れ以外の何者でもないでしょう?
自分は間違うかもしれない、と恐れるから待てよ、と裏を読む。
私は、皆さんにお願いしたい。宇宙は自由なところだから、好きなら複雑な、ややこしいドラマを生み出して楽しんでもいい。
ただ、苦痛ならやめてほしい。好きでもないのに、なんでわざわざ複雑にするんですか?
世間は「人間とはこういうものよ」という定義に、かなりきつく縛られている。
世の「文学」というものを見てみても分かる。
私は、世でなんとか賞を取るような高尚な文学作品を読んで、ほとんど面白いと思ったことがない。あんなもの読んでも、全然ワクワクしない。
めっちゃ悲惨で複雑で胸の痛むような、人と人の擦れ違いや分かり合えない様を描いたものが多い。もっといえば、そういう傾向があればあるほど、世間ではすごい文学だと思われるようだ。
どうだ! オレは世の中のことが良く分かってんだぞ! 酸いも甘いもかぎ分けられる、人の心の世界を知り尽くした私のこの心理描写・人間描写を見たか!
何だか、不幸自慢に見えてしまう。
ものすごい不幸を描けたら、その人は世を分かってる、みたいな。
重い世界が書ければ書けるほど、その人人間的にすごい、みたいな?
人間の心はそんなに単純じゃないのよ、とか。
複雑怪奇で、計り知れない闇をたたえているのよとか、やめましょう。
世の人が思うように、人間が最初からそのようにできているのではありません。
あなたがそのように決めるので、宇宙も親切にその願いに沿った現実を見せてくれるのです。全部(厳密には全部じゃないがほとんど)、自分で決めています。
もっと、あなたが人間のドロドロの愛憎劇をやりたいのなら、いいですよ。
そうでないのなら、あなたはいつからだって抜け出すことができます。
その気にさえなれば、あなたはこの瞬間からだって、意識ををシフトし、見る世界を変えることができるのです。
恐れが生み出す疑い(疑問)は、途切れることのない負のループを生み出す。
次のやりとりを見てほしい。
●お前は誰だ。
誰だというお前こそ誰だ。
誰だというお前こそ誰だというお前こそ誰だ。
誰だというお前こそ誰だというお前こそ誰だというお前こそ誰だ。
誰だというお前こそ誰だというお前こそ誰だというお前こそ誰だというお前こそ誰だ。
誰だというお前こそ誰だというお前こそ誰だというお前こそ誰だというお前こそ誰だというお前こそ誰だ。
…………
バカみたいですが、これは延々と、疲れ果てるまで続いていく。
恐れ×他者へのうたがい=終わりのない、不毛な探り合い。
でも、すべてを受け入れる心、宇宙を信頼する姿勢をもち、肩の力が抜けている人はどうか。
●私は、何々。あなたは?
私は何々。よろしくね。
やりとりは、これでもう終わり。
実にすっきり。
前者と後者とを見比べてください。
自分を守ろうとし、相手をわけのわからんやつ、と認識して身構えて生きると、ずっと相手(あるいは人間全般)に対する疑心暗鬼の心から抜け出せない。疑いがあると、そこに足踏みしてとどまってしまい、なかなか人生の次のステージへ行けなくなる。
しかし、疑いのない心・宇宙を信頼する心はその間にも、どんどんとその人生のステージを駆け上がり、足踏みする人の何倍もの喜びをつかみ取る。
(もちろん、三次元ゲームの中での話ですよ。幸福な人も不幸にあえぐ人も、完全であり同価値です)
360度回転したら、どうなります?
クルッと一周して、まったく元の状態と同じになりますよね。
究極に考えて考えて、考え詰めたら、最終的にたどり着く先は元の場所です。
結局、原点に回帰してくるだけです。
裏の裏はただの表だ、と最初に申しあげました。
まさに、そうなのです。だからこそ、こういうアドバイスが成り立つのです。
●あなたの人生から、恐れを取り除いてください。
恐れがあるから、怖いことを回避するための何かの知識や技術・テクニックがないとまずいという思考になります。そんな勉強は、喜びの追及というよりも、恐れから来る防衛です。
自分に何かが足りない。その足りないものを補わないと、生きていくのに十分ではない——。
それが、学問というものや世の勉強というものを面白くなくさせる元凶です。
すべての間違いは、物事の出発点が恐れだと見抜けないことから始まる。
では、今日のまとめに入ろう。
①人はそれぞれ宇宙の主人公であり、意識が直面する現実(幻想)の見え方ををかなりの程度決めている。
②そのことが分からず、現実が先にあって、それに自分が従うべきだ・人間心理を研究して要らぬ面倒ごとを回避する
③だから見える世界は自分が作っていることを忘れて、結果に過ぎない幻想世界を探求する科学・学問が盛んになった。
④それらは、自分たちにその知識が欠けていて、知らないとまずいという恐怖から誕生している。
⑤もちろん、喜びのために学問をする人もあるが、全体数から見ると少ない。
⑥あくまでも、好きで自分なりの人生ドラマを創る人であってほしい。
⑦人間とは、世の中とはこうだ! という楽しくない他者からの押し付け情報は捨てよう。
⑧裏の裏は、ただの表。だから、深読みして考え詰める、という苦しいことはやめよう。宇宙を信頼して、シンプルに生きるのが楽なようだ。
最後、一言でしめると——
●素直が一番。
これに尽きる。
頭で、ムツカシク考えないで。
もっと、心のおもむくまま生きてみましょ。
もっと、感情を信頼してあげましょ。
覚醒してみると、物事が実にシンプルなことが分かりますよ。
私は今、世の学問が出した法則やテクよりも、自分の奥深くの感情を信頼しています。そしてそれは、本当に自然体な世界です。
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