オカルトマニアはプレーンガールの夢を見ない

せんぷうき

第1話

「二週間くらい前から時間が跳ぶの。」

 「思春期症候群」を患っていると言った町野あかりは、放課後の空き教室に呼び出された古瀬薪太を正面から見つめ、静かにそう告げた。

「最初に聞いておくけど、からかっているわけではないんだよね?」

「からかってるなんて…絶対にない。『思春期症候群』とかそういう類の話に詳しいんでしょ?治癒方法っていうの?解決してほしいんだけど」

薪太からの疑念の問いを否定し、助けを求めるあかり。

「じゃあ、いつ、どんな風に、どこで発症したのかもっと詳しく教えて」

「助けてくれるの⁉」

「助けられるかはわからないけど、とりあえず協力する」

薪太の承諾にあからさまに喜ぶあかりを眺めながら、彼女と、彼女の患ったとされる病について考えを巡らせる。

 『思春期症候群』。そう呼ばれているいかにも胡散臭そうな病は、都市伝説とかオカルト的なものを好む薪太のようなマニアの中ではかなり有名なもので、『他人の心の声が聞こえた』とか、『誰々の未来が見えた』とか、『誰かと誰かの人格が入れ変わった』みたいな不思議な出来事のことを言い、他にも様々なうわさ話がある。

最近は薪太もちょうどこの話題について調べていたため、『思春期症候群」と聞いた時にはなんてタイムリーなんだと驚いた。


「―――――と、言うのが一般的に知られている思春期症候群ってわけ。まあ、でもこれは『症候群』って名前だから病気のように思われやすいんだけど、そもそもこの名称がついたきっかけは、二千年代に入ってからの…って聞いてる⁉」

自分の得意とする話題に、つい普段よりも熱く語っていた薪太がふと、あかりに視線をやると、彼女は耳にイヤホンを着けてスマホの画面を見ている。さっきまでは着けてなかったから、おそらく会話が薪太の一人トークショーになったあたりで状況を察してそっと放置してくれたのだろう。こんなオカルトマニアのマシンガントークにも怒らないなんてやさしいなぁ。正直止めてほしかった……。

「あ、話は終わった?」

薪太の視線に気づき、イヤホンを外しながら飄々とそんなことを尋ねるあかりに少しばかりショックを受けながらも、まあ今のは自分に非があったと思い、文句は言わずに話を本題に移す。

「とりあえず、町野さんの『思春期症候群』の症状は理解できた」

「おおー。それでそれで?」

「解決方法なんだけど」

「なんだけど?」

「悪いけど、全く分からない」

「分からんのかーい!」

残念な発表にもかかわらず、漫才師のような勢いでビシッと薪太の体を叩いて応えるあかりは、『思春期症候群』を患っているとは思えないほど元気で、薪太のほうが普通でないように思えてくる。思春期症候群を患っていても、普通はこんな軽い調子なのだろうか。

「『時間が跳ぶ』なんて症状は今のところ、どこにも前例が見当たらないんだ。」

彼女が説明した症状は、まさに、『時間が跳ぶ』という言葉通りのものだった。

突然時間が進み、数時間後の未来になる。跳んでいる間の時間は、自分も過ごしているけれど、自分だけはその数時間を省略して過去から未来に来たために過ごしたはずの時間の記憶がない。

すぐに解決できないことを知り、「そっか」と残念そうにため息をつくあかりに、薪太は「でも」と話を続ける。

「でも、すぐに治すことはできないけど、もしかしたら解決の糸口はつかめるかもしれない。

『思春期症候群』は発症の原因に、思春期の子供達の心が作用しているんじゃないかって説があるんだ。だから、町野さんの『タイムスキップ』も町野さん自身の気持ちが解決につながるかもしれない」

「タイムスキップ?」

「あ、それ、俺が勝手に名付けたこの症状の名前……。ゲームのチュートリアルとか、会話場面とか、興味なくて飛ばしたいときよく使うスキップ機能のあれ。この症状もそれになんか似てるから…」

つい自分が頭の中で呼んでいた名前を口にしてしまい、恥ずかしくなる。

いや、食い付くのそこじゃなくない?

「なるほどねー」と納得したのかしてないのか、大して興味のないような返事をする。

「じゃあ、このタイムスキップとやらの原因が私にあるなら、私はどうすればいい?」

「それは町野さん本人が一番わかると思う。何か、タイムスキップがおこる心当たりとかない?」

「ふつう、いきなり未来に飛んじゃうようなびっくり現象が起こった時に心当たりとかないと思うけど。逆に薪太君はあるわけ?」

「まあ…普通はないよね」


その日の話し合いはこれ以上進まず(そもそも少しも進んでないかもしれないが)、時間もかなり遅くなっていたので二人は教室を後にした。


「送ってくよ」

門を通った辺りで言った薪太の言葉に、あかりは少し驚きの表情を浮かべる。

「薪太君ってそんなキャラだったっけ?」

「違うだろうね。でも、タイムスキップが起こる可能性がある以上、危険だから」

「未来になるだけなのに?」

「この現象は発症者の主観からだと未来に行くだけだけど、実際は過去の自分がこの時間に来るってことでもあるから。この時間から未来に進むのはいいかもしれないけど、逆にこの時間に過去から飛んでくるのが危険なんだよ。過去では他のことをしてるのに、いきなり未来になって道を歩いてたら、普段なら安全だとしてもすぐに反応できない」

「確かにそうかも。今まではそんなこと起こらなかったから気付かなかった。でも、薪太君の家って結構遠いよね。それに、前まで自転車で通ってなかったっけ?」

「そこまで遠くないよ。歩いて三十分くらい。自転車は一か月前くらい前に壊れたから」

「それ結構遠くない?ていうか、一か月も経つならそろそろ買いなよ」

「まあ薪太君がいいなら、お言葉に甘えてよろしく」と言い、大げさに腕を振って薪太の少し前を歩きだす。

なぜか機嫌のよさそうなあかりの歩き方は、まるで小学生の運動会の行進のようだなと思いながら、薪太はその背中に続いていく。

「そういえば、今更だけど、よく私の話を信じてくれたよね」

「からかってないんでしょ?じゃあ信じるしかない」

「でも普通はすぐに信じれないよ。やっぱり普段から都市伝説とか信じてるから?正直、そういうの絶対あり得ないって思っちゃう派」

「僕も全部が全部本当だとは思ってないよ。でも、絶対ないって思うより、あるかもしれないって思ってたほうが楽しい」

ちょっとキリッ見たいな感じで言ったら、「そのセリフはありきたりだわー」とか、「ちょっとダサい」とかめちゃくちゃ言われた。

あかりの家は学校からかなり近く、歩き始めてから五分ほどで着いた。

明日も放課後同じ場所に集まることを約束し、あかりは家に入っていった。


翌日、登校中に降り出した、予報外れの雨のせいで、薪太は朝から急ぎ足で学校に向かった。

あかりとは、彼女が遅刻ギリギリで教室に入ってきたこともあり、空き時間もそれぞれの友人と過ごしていたので、放課後まで特に言葉は交わさなかった。

放課後、空き教室に行くとあかりはまだ来ていないようだったので何となく外を眺めて待つ。朝の雨は長く降り続けることはなく、すぐに晴れて水たまりすら乾き、正午ごろには雨が降っていたことなど感じさせないほどだった。

十分後にあかりは「お待たせ―」と言いながら現れた。

「ノートありがと。薪太君のノート超詳しいね。これなら授業スキップしてもノート見るだけで理解できる」

薪太は昨日の帰り、あかりに自分の授業ノートを貸していた。授業をタイムスキップで省略してしまった際にノートを見ても、授業を受けたこと前提で書かれたものだと理解できないかもしれない。その点、薪太はノートを見ただけでも理解できるようにまとめていた。

「にしても、よくこんなに毎回細かく書けるよね。こんなの普通出来ないよ」

「じゃあこれを一か月くらいは書き続けてる僕はかなりの秀才だね」

「私、結果主義だから、秀才かどうかわかるのはテスト後だね」

厳しいな。正論だから何も言えんけど。

「それより、今日はタイムスキップは起こったの?」

反論できないので、話題を変えることにする。もともとこれが本題だし。

「起こったよ!ほんとびっくりしたんだから!朝起きて顔洗って歯磨いてたら、昼になってるんだもん!」

「それは驚くだろうね」

「いやいや、ちょっと驚くなんてもんじゃないって。口の中が歯磨き粉から急にハンバーグに変わったときの気持ちわかる⁉」

確かに想像するだけでも気持ち悪い。だけど、僕に当たらないでほしい。

話を聞くと、今日はその一回だけしか起こらなかったらしい。

「やっぱり回数も時間も規則性がないな」

「まだ解決には時間がかかりそうだよね」


結局その日も進歩せず、早めに切り上げることにした。

帰り道、昨日と同様あかりの家まで一緒に歩いていると、あかりがある提案をしてきた。

「ところでさ、今日って金曜日でしょ」

「そうだね」

「つまり明日から土日で、薪太君は暇になるわけでしょ」

「そうかな?」

休みだからって予定がないこと前提なのはおかしくないだろうか。まあ、ないんだけど。

「そして、明日の天気は晴れ!さすがに二日連続で予報が外れることはないと見た」

あかりは大げさに自分の傘を青空に指し示す。

「だから、明日ちょっと付き合ってよ。私と一緒に行動してたら、タイムスキップが起きた時に何かわかるかもしれないし」

「そういうことなら。ちなみにどこに行くの?」

「どこに行きたい?」

「ノープランかよ!」。

「いやいや、私としては行きたいなあとか思っている場所が決して全然ないわけではないんだけど…。決して。あっ、じゃあ今日先生が朝言ってたおすすめの映画行ってみようよ」

完全に今考えついた感じだったのは無視する。案外彼女も休日は暇なのかもしれない。

そういえばそんなことを業務連絡もまともにしないで長々と話していたなと担任の姿を思い出す。多分担任も薪太と同じ口の人間なんだろうな。


「桜島麻衣の演技すごかったね。あの人が私たちと同じ高校生だなんて信じられない」

パンフレットを広げながらあかりが話す。桜島麻衣とは、さっき見た映画のヒロイン役だった女優のことだ。

土曜の午前に待ち合わせた薪太達はさっそく映画を見終えて近くの喫茶店に入っていた。

「やっぱりああいう人って他の人とは違う、特別なものがあるんだろうね。才能にしろ、美貌にしろ」

桜島のインタビュー記事を読みながらふむふむと上から目線でそんなことを言う。

「特別って点だけ見れば、思春期症候群なんてものを患ってる町野さんも大概だけどね」

「それはまた違うでしょ。でもまあ、確かに特別な存在ではあるね、私」

少し意地の悪いことを言ってしまったかもと一瞬思ったが、あかりは特に何も感じていないようだ。

「私、特別!」などと言いながら決めポーズをし始める明かりを見て苦笑する。

「僕が先に言っといてなんだけど、この状況でそこまで能天気になれるのもそれはそれでどうかな」

「ボクは特別じゃないって思うよりも、特別だって思ってたほうが楽しいぜ」

変なしゃべり方であかりが言った。どや顔で。

それには反応しないで薪太も買ったパンフレットを取り出す。

「桜島麻衣みたいな有名人でもさ、思春期症候群が起こっちゃうような悩みとかあったりするのかな」

目線はパンフレットに向けたままあかりがつぶやいた。

「そんなの知らないよ、どんなものが思春期症候群になるのかだって分からないし…。でも、大きかれ小さかれ誰にでも悩みとか、心に秘めたことくらいあるんじゃないのかな」

薪太もページをめくりながら答える。

「薪太君はあるの?」

不意に話の矛先が自分になり、驚いてあかりのほうを見る。

「さあ、どうだろう」

こちらを向いていたあかりと一瞬、目が合ってすぐに逸らした。


喫茶店で昼食を食べ終えた後、無計画な二人はやることがなく途方に暮れるかと思いきや、意外にも退屈はしなかった。計画がなかったからこそなのか、思いつくままにいろんな場所に行った。ははしゃいで、食べて、遊び続けた。もちろん、行く場所を次々に決めていたのはあかりであって、薪太ではなかったものの、休日にあまり外に出ない薪太にとっては新鮮だった。

新鮮で、充実していて、とてもあっという間に過ぎていったように感じられた。

「歌いますか!」

夜の街にひと際きらきらと装飾が光るカラオケ店を指さして言ったあかりは、まだまだ元気そうで少し呆れたけれど、それでも彼女がまだ遊ぶ気でいることに安堵していた。あかりは薪太の返事を待つことなく店のほうへ向かう。夜の十時を過ぎたこの時間に二人のような高校生が行くのはよくない気はしたが、それでも今日はいいかと思った。

「うーん、歌ったねぇ」

ガラガラの声であかりがつぶやいた。

カラオケボックスで十時間近く歌い続けて夜を越した後、再び喫茶店にいた。さすがのあかりも疲れているようで、喫茶店のソファでぐったりしている。

「こんな風に朝を迎えるなんて初めてだ」

「私も。この感じじゃあプールは行けそうにないね」

まだ今日も遊ぶつもりだったのかと絶句する。でもそれはそれで、楽しそうだなとは思った。

結局この二日の間、タイムスキップは起こらなかった。

「じゃあまた明日」

日曜日は喫茶店に行くだけで、その後はあかりを家のまで送って解散になった。

「付き合ってくれてありがと」

家に入る前にあかりが薪太に向かって言った。

「こちらこそ」

なんとなく咄嗟にそう返事をすると、「なんで薪太君がお礼を言うの」とあかりが笑った。


月曜日、授業が終わると薪太はいつもの空き教室へ向かう。今日もあかりに声をかけるタイミングがなく、まだ話していない。いや、タイミングがなかったわけではない。そう、薪太は認める。なかったのは勇気だ。クラスメイトがいる中で彼女に話しかける勇気、それが無かったのだ。だけど、薪太は「明日は」と、思う。

明日は話しかけてみよう。

そんなことを考えながら空き教室で一人待つ。

しかしその日、いくら待ってもあかりはやって来なかった。

午後八時に近づき、薪太は空き教室を出た後、少し迷いはしたが、あかりの家に向かった。

学校には来ていた。何かあったのだろうか。

あかりの家のベルを押すと、少ししてから聞き覚えのある声がスピーカーから聞こえた。

「はい」

「古瀬です。町野さん?今日どうしたの?」

「古瀬君?今日?えっと、出ますね」

その声を聴き、薪太は違和感を覚える。

家から出てきたあかりは、不思議そうに薪太を見る。

「古瀬くん、どうしたの?」

「どうしたのって、今日の会議は?思春期症候群の…」

「会議?思春期症候群?何のこと?」

あかりの受け答えと怪訝そうな表情を見て薪太の違和感は大きくなり、一つの可能性が頭をよぎる。そしてその可能性はすぐに確信に変わった。

「もしかして、忘れたのか?スキップしたのか⁉」

タイムスキップが起こる以上、あり得ない事ではない。スキップした地点とスキップの到着地点の間に存在した時間は本人の記憶には存在しないことになる。受けた授業の記憶がないように、食べた弁当の記憶がないように、四日間をタイムスキップして今日が到達地点ならば、薪太と過ごした記憶も無い。

しかし、薪太の頭をよぎった可能性はそれではなかった。

よぎったのは「彼女が演じている」という可能性。「なんて」と薪太は続ける。

「なんて、考えるとでも思ったのかよ!」

あかりは何も言わずに薪太を見つめる。

「タイムスキップで四日分の記憶がないとか、そんな風に考えると思ったのか!」

あかりは薪太をまっすぐに見つめ、静かに答えた。

「そっか。薪太君はさすがだね」

彼女が相談してきた木曜日から、引っ掛かるところはあった。それが次の日に確信に変わった。

「タイムスキップなんて、一度も起こってないんだろ?」

「うん。嘘をついてごめんなさい。本当に最低だと思ってる。薪太君にしてきたことも、私の考えも。だからもう終わりにしようと思ったのに、薪太君は気づいてたんだね」

薪太に謝るあかりの表情は、とても悲しそうで、だけどその顔はとても真剣で、彼女が最初に言っていた言葉を思い出す。からかっているなんて絶対にないと言ったあの真剣な表情を。

「からかってないんだろ⁉じゃあ、なんで…」

薪太の問いかけを遮るようにあかりが言葉を重ねる。

「それにしても、なんでばれちゃったんだろ。自信あったんだけどなあ」

「……金曜日に起こったって言ってたタイムスキップだよ。跳んだはずの出来事を君は覚えてた。その前から違和感はあった。二週間も前に患ったにしては、君の行動は用意が無さすぎるよ」

跳んだはずの午前中、教師が言っていいたおすすめの映画を彼女は覚えていた。薪太が降られた予報外れの雨だって彼女からしたら飛んでいた時間に起こったものだ。それなのに雨が降ったことを覚えていただけでなく、下校の時に迷わず自分の傘を探し出していた。

「そうだよね。確かに、本当にランダムで時間が飛んでいたなら、もっといろいろ対策するはずだよね。

例えば、思春期症候群やタイムスキップについて詳しく調べたり、授業を飛ばしても理解できるようにノートを書いたり…、自転車より歩いたほうが危なくないもんね」

その言葉を聞いて、思わず薪太はあかりを見る。

あかりは薪太を見つめたまま、悲しそうに続ける。

「思春期症候群を患っていたのは、タイムスキップが起こっていたのは、君の方なんだよね?」


『ふつう、いきなり未来に飛んじゃうようなびっくり現象が起こった時に心当たりとかないと思うけど。逆に薪太君はあるわけ?』


普通はないのかもしれない。

何もない、ただただ過ごすだけの毎日にいつから虚しさを感じるようになったのだろう。いつから、楽しそうに生活する人を見て、自分はそうではないと思ってしまうようになったのだろう。

だからといって、つまらない日常を変えることも、楽しみを見つけることもしなかった。ハマった都市伝説だって退屈を埋めるための道具でしかなくて、心の底では信じていなかった。

そんな薪太にとっては人生さえ興味のない、跳ばしてしまっても構わないようなものだった。

「私はそんな薪太君を見て、この嘘を思いついたの。本当にごめんなさい。君が困っているときにこんな嘘をついて興味を引いたんだよ。君のことが好きだったから」

あかりの告白は小説や漫画でよく見る光景とは全然違っていて、甘い雰囲気なんてかけらもない、ただ、自分の犯した罪を責めるだけの言葉だった。

「私はこんな方法でしか、君に近づくことができなかった。本当の私は何も特別なんかじゃない。ただの嘘つきな普通の女の子なんだ。だけど、嘘を重ねる度につらくなっちゃって……。だから、これで終わりにする。薪太君には本当に悪いことをしたと思う。ごめんなさい。また明日、学校でね」

別れの言葉を告げると、あかりは家へと歩き出す。薪太はその背中を見つめるだけで何もできずに立ち尽くしていた。

あかりの最後の言葉が頭の中で繰り返される。

彼女は「また明日」と言ったけど、明日、彼女と話すことはないだろう。明日どころか、これからずっと。あかりと薪太の関係はただのクラスメイトに戻り、またいつも通りの毎日がやってくる。

「また…いつも通りの……」

引っ掛かりを感じて繰り返す自分の声を聴いて、薪太は気づく。

「待って」

頭で考えるよりも早く、声があかりを引き留めようとしていた。

あかりは振り向きさえしなかったが、立ち止まる。

「僕は、思春期症候群だった」

「知ってるよ」

依然として薪太を見ないものの、言葉を返してくれることに安堵する。

しかし、自分が言おうとしてることがまとまらない。

「今までさ、なんか毎日がつまんなくて、こんなんなら生きてても意味ないなとか、早く終わったらいいのにとか、思ってたんだよね」

思春期症候群は思春期の子供の心が起こす病。薪太に起きたのもそのせいなのだろう。退屈だと感じていた日常がスキップ機能を使っているかのように早く進んでいった。

「自分の願望が引き起こしたのに、起こりだしたら逆にすごい不便でさ、元に戻りたいとか思い始めるんだよ」

自分で話しながら、本当に間抜けな話だと改めて思う。

「必死になって治す方法を調べたけど全然だめで、だから町野さんに助けを求められたときはすごい驚いたけど、少しうれしかったんだ。同族意識みたいな」

話ながら、あかりと過ごしたわずかな時間を鮮明に思い出す。

「嘘だってわかったときは正直残念だった。でも…、それでも君を責めようなんて考えなかった。その後も一緒に過ごすくらいだしね」

まだその時は考えもしなかったその理由を、今ならはっきりとわかる。

「さっきも言ったけど僕は思春期症候群『だった』んだ」

あかりと過ごした土曜日と日曜日の間、思春期症候群が起こらなかったのはあかりだけではなく薪太もだった。

「僕の思春期症候群は治ったんだ」

その言葉にあかりが薪太のほうを振り返る。

あかりと過ごした二日間、タイムスキップが起こらなかったのは、単なる偶然ではない。

原因の感情がなくなったら解決するかもしれない。

そう知ったものの、結局なくせなかった退屈だという感情。それが、彼女と過ごしている間になくなったのだ。

あかりと過ごした時間は楽しくて、だからこそあっという間で、薪太にとってはそれこそ時間をスキップしているかのようだった。

「君のおかげなんだよ」

あかりが「違うよ」と小さく否定する。

「君といるのは、楽しくて、幸せで、一秒だってスキップなんかしたくないと思ったんだ」

あかりのことが好きだと認める。彼女だったからこそ、一緒にいて楽しかったんだと思える。

「だから、もっと君と一緒にいたい。僕は町野さんが好きです」

あかりがそれを否定するかのように首を横に振る。

「違うよ。勘違いしてる。そんなことないんだよ。君が私に興味を持ったのは、思春期症候群を患ってる私なんだよ。私は君が思ってるほどいい人でも特別な人でもないんだよ」

最初はそうだったかもしれない。あかりが嘘をつかなければ、薪太にとってあかりはただのクラスメイトのままだったのだろう。だけど、今あかりを好きでいる理由にそんなものはないと言い切れる。

「別に特別じゃなくていいんだ。特別な何かがなくたって、何か理由がなくたって僕は君と過ごした時間が幸せなんだ。普通の君が好きなんだ」

思春期症候群かどうかなんて関係なく、あかりが好きで、彼女といることそれだけで、薪太にとっては特別なのだろう。その理由が好きというだけでいけないわけがない。

「だから、また明日」

彼女がさっき告げたのと同じ言葉。だけど薪太はあかりが言った時よりも強く思いを込めてそう言った。


教室に入ると、彼女はすでに席に座って友人と話していた。

荷物を置いた薪太は彼女のもとへ歩き出す。あかりはそれに気づいて、少し恥ずかしそうに薪太のほうを向いた。

「おはよう、町野さん」

周りのクラスメイトが驚いているように感じたけど、気のせいかもしれない。

あかりは照れくささそうに、だけど少しうれしそうに薪太を見つめる。

「おはよう。急に積極的になったね」

照れ隠しなのか、あかりはそんなことを言う。

「まあね、今日の放課後話があるんだ」

「愛の告白かい?」

いつもの調子に戻ったあかりはなかなかに手強い。

「そうだよ」

「意外にも、フラれちゃうかもよ?」

「そんなの、ダメだって思うより、うまくいくって思うほうが楽しいよ」

「うん。そうだね」

嬉しそうにあかりが笑って言った。


始業のチャイムがなって、席に戻る。

チャイムを聞きながら今日もまた一日が始まるんだと感じる。

不思議なことなんか起こらない、いつも通りの一日が。

だけど、薪太はそれを楽しみに感じていた。


                    おわり

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