第26話 その二十六

手紙は昔、消(しよう)息(そこ) とも読んだ。消息はそのときどきの状況のことだが、元の意味は生死だ、生きていること、元氣なことを明確に伝えるのが基本となる。


 拝啓と敬具

 手紙が他の文章と違い書きにくいのは、手紙独特の形式や用語があるためだ。たとえば、拝啓・敬具と前略・草々の使い分けについて迷ったことはないだろうか。

 前略とは言うまでもなく、前文を省略しますという意味。前文とは、用件に入る前の各種あいさつで、時候や、相手の様子を尋ねるあいさつ、自分の様子を伝えるあいさつなどがある。

 まどろっこしい前置きは省き、すぐに用件から入るほうが、時間と紙の無駄がなく合理的な場合も確かにある。ただし氣をつけるべきは、前略・草々は改まった手紙には不向きだということ。前略はいわば、「あいさつ抜きで始めます」と言う宣言であり、草々は「ぞんざいでごめんなさい」という意味となるからである。不用意に使うと失礼になる。

 今から八十年近く前に出た「正しき書簡文の知識」には、次の記述がある。

「前略」と書く手数で「拝啓」と書いて、直ちに要件に入ればよいのであるから、なるだけ、「前略」や「冠省」を避けて「拝啓」を用い度(た)い


 前略の代わりに拝啓を、草々に代え敬具を使って支障の出る手紙は皆無だ。

 そもそも拝啓とは、あなたに敬意を表して申し上げます、という意味。そして敬具も同様に尊敬して申し上げましたという意味だ。

 この姿勢こそが日本の手紙の美質の核心といえる。すなわち用件を敬意でサンドイッチするのである。

 相手の状況や氣分に土足で踏み込むのではなく、うやうやしく立ち去るのが、日本人の感性にぴったり合う。そしてその姿勢を、目上、同等、目下に対して、分け隔てなく貫くのも、日本の美風の一つといえる。

 ただし、やたらていねいなのはいけない。千年前の平安の昔、拝啓、敬具にあたる頭語と結語を、次の語で書いたこともあった。

 誠惶誠恐謹言

 誠に恐縮して誠に恐れ入り、謹んで申し上げます、という意味になる。これを今それほど改まる必要もない手紙に使用すれば、いわゆる慇懃無礼ということになってしまう。


 文豪に学ぶ 手紙のことばの選びかた

  東京新聞 中川 越

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