サザンカのせい


 ~ 十二月十日(火) 三千キロ ~


 サザンカの花言葉 飾らない心



「そのお話、面白いのだよロード君!」

「教授の感性がいまいちわからないのですが。そんなにインド人のお話が面白いのですか?」


 いつものお昼休み。

 ビーフシチューを作るこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき教授。


 軽い色に染めたゆるふわロング髪をターバン風に巻いて。

 サザンカの枝を挿しています。


 そんな髪ですし、今日はカレーなのかしらと思っていたら。

 まさかのビーフシチュー。


 まるで週末。

 我が家で起こった事件と同じなのです。


「で? そのインドの方はまだロード君パパと一緒に仕事をしているのかね?」

「いえ、先日仕事を終えられて、今頃沖縄観光中なのです。……いや? 今日の朝、インドへ出発だったかな?」


 父ちゃんが、海外から来た方と二週間。

 一緒に仕事をしていたらしいのですが。


 食事もご一緒していたらしく。

 ずっとカレーばかり食べることになったらしいのです。


 そして一昨日の日曜日。

 父ちゃんが、いつものごとく。

 朝から台所へ立ったので。


 カレー作りを始めたのかと思いきや。


 さすがに食べ飽きたと言って。

 初めてのビーフシチューへ挑んだのです。


「まるで一昨日の再現。お肉を岩みたいにしないようお願いいたします」

「朝から夜まで煮込んだら、硬くなって当然なのだよ!」


 そんなお料理の基本など。

 俺にも父ちゃんにも知る由もなく。


 せめて教授に意見してもらえたら良かったのですが。

 君は、泣きわめくおばさんの相手で手一杯でしたもんね。


「そうだ。教授、テストをまたすっぽかしましたよね」

「仕方なかろう? ママがあんなだったし」

「普通は試験を取るものなのですけど、教授の場合沢山申し込みすぎてどうでも良くなってるフシがあります」

「むう。今週末は本気出す」

「教授の本命校ですからね。ちゃんとしてください」

「ロード君も今週末、頑張りたまえよ?」

「もちろんなのです」


 俺も、練習試合のつもりだった一昨日の試験を見送ることになりましたが。

 教授から、いらんクセをつけられた心地です。


 でも、次を逃す訳にはいきません。

 例えどんな邪魔が入ろうとも試験を受けなければ。


「そう言えば、あれはできたのかね?」

「え? なにか約束してましたっけ?」

「ラブソング」

「まだ言いますか」


 鍋にお玉を突っ込んで。

 くるくると回す教授を見つめていた俺には。


 確かにそんな詩が浮かびそうなものですが。


 でも、今は色気より食い気。

 甘いシチューの香りに、思わずお腹を鳴らして。

 無言の催促をするばかり。


「よし! そろそろ完成なのだよロード君!」

「待ってました!」

「では、ここに秘策のトッピングを……? ロード君!!!」

「はい?」

「これ、焦げ付かないようにかんましといてくれ!」

「ちょっと! 教授!?」


 そんな言葉を残して駆け出した教授が向かう先。

 教室の、窓側の一番後ろ。

 三井さんの席なのです。


 大声からの猛烈ダッシュに。

 クラスの全員がおしゃべりをやめて。

 教授たちへ視線を向けるのですが。


「……三井さん、なにがあったの?」


 どうやらいつものレーダーが。

 三井さんの涙を捉えた模様。


 でも、俺には俺の仕事があるので。

 加減が分かりませんが。

 なべ底とか縁とかに当たらないよう。

 お玉をぐるぐるさせながら聞き耳を立てます。


「な、何でもないのよ、藍川さん」

「なんでもなく無いの」

「だって……、藍川さんに話すと悲しませるかもしれないから……」

「気にしないで欲しいの。三井さんの力になりたいの」


 すぐお隣りの席に座った向井さんも。

 どうやら三井さんの様子が気になっていたようで。


 穂咲に並んで。

 彼女の手を優しく握りながら。

 話すように促します。


 すると三井さんは。

 涙を零しながら顔を上げて。

 とつとつと語り始めたのです。


「一昨日、私が短大の試験に行っている間に、飼い犬が死んじゃったの」


 三井さんの告白は、小さな声だったのですが。

 鍋の音しかしない教室では。

 廊下側、一番前の席に腰かけた柿崎君ですら。

 下唇を噛んで、ぐっと胸を抑え込みます。


「朝から具合が悪かったのに、なんで試験なんか行ったんだろう……」


 看取ることが出来なかったことに。

 悲しみと自責とが、ない交ぜになった涙があふれだしているのでしょう。


 何と声をかけたものか。

 悩む俺たちの耳に。


 教授服をその場で脱いだ。

 穂咲の声が聞こえました。


「そんなのしょうがないの」


 ……この言葉。

 一見、冷たいようですが。


 飾らない心で語る穂咲の言葉は。

 胸の一番奥までしっかりと届くのです。


「きっと、試験に行かなかったらワンコちゃんはもっと悲しい思いをしたと思うの。三井さんは、ワンコちゃんが一番喜ぶことをしてあげたの」


 ……許された。


 そんな思いが嗚咽となってあふれ出した三井さんが。

 穂咲をぎゅっと抱きしめます。


 思わず、あの白い村の教会に佇む。

 女神像を見ている心地で穂咲を見つめていると。


 クラスの至る所から。

 鼻をすする皆さんに。

 笑顔の花が咲いていくのです。



 ……そして、三井さんが落ち着いて。

 ありがとうと告げられた穂咲が。


 俺のYシャツを羽織りながら。

 実験場へ戻って来たので。


 もらい泣きを腕で拭いながら。

 俺は教授へ話しかけました。


「……心を飾らないというのは、実に美しいものなのです」

「何の話かね?」

「教授を褒めているのですよ」


 そんな言葉に。

 珍しくタレ目を丸く見開いた教授は。


 照れくさそうに、俺からお玉を奪い取り。

 そして……。


「んなっ!? 何をやっているのだねロード君! 焦げ付いているではないか!」

「え?」


 優しい空気で包まれていた教室が。

 途端にいつもの日常に戻る叫び声。


 そして、またやらかしたのかあいつはと言わんばかりの視線が。

 俺の背中にぐさぐさと刺さるのです。


「だって、かき混ぜていろって……」

「なべ底どころか周りもこげっこげではないか! これでかんましてたとか片腹痛いと告げる以外に私は術を持たんよ!」


 あ、そうか。

 鍋肌をかき混ぜなきゃいけなかったのか。


 でもそんなお料理の基本など。

 俺には知る由もなく。


「ええい、責任をもって食べたまえ!」


 教授は自分のシチューの上にスライスチーズで蓋をして。

 俺には焦げで蓋をしたのです。


 飾らない心を褒めたばかりですけど。

 俺には、ちょっとは飾って欲しかった。


「……蓋、取り外して食べていいですか?」

「トッピング! 飾りは大事なのだよ!」

「台無しなのです」


 結果、飾りも時には大切だよねという教訓と共に。

 俺はビーフシチューが嫌いになるような目に遭わされたのでした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る