ユキノシタのせい


 ~ 十二月四日(水) 八百キロ ~


 ユキノシタの花言葉 無駄



 今月と。

 来月で。


 授業はおしまい。


 残された貴重な時間で。

 せめて一つでも何かを学んでおきたい。


 そんな俺だというのに。

 大学受験対策とやらのせいで。


 授業内容が難し過ぎて。

 まったくついていけません。


 ……でも。


「いいか? 俺は大学受験組とそうでない者とに差があるなんて思わん」


 やたらと難しい英文を板書し終えた先生が。

 振り返りざまに言うのです。


「必要があるから必死になって覚える者。必要がないから考えようとしない者。差があるとすればそこだけだ」


 そして俺たちを見渡しながら。

 怖い話をします。


「人というものは、楽な方へ転がりやすくできている。苦しいことを自分に課すことに慣れた者はその歯止めをかけやすいのだが、そうでない者は流される。……社会に出ると、今以上に学ぶことが多いというのに、だ」


 なるほど。

 勉強というものは、その知識によって何かを成すということ以外に。


 苦しいことに耐えうる、人として根本の部分を鍛えるという意味もあるのですね。


 きっと、今まで何度も同じことを聞いてきたのでしょうけれど。

 初めて耳から頭に入ってきた言葉。


 俺は大切なことを教わって。

 早速実践しようと思いました。


 頑張って頭と心を鍛えるつもりで。

 せめて今日の授業は食らいついていこうと。


 そんな決意を胸に、一つ頷くと。


 ……袖が。

 左側の袖が。

 

 くいくいと引かれるのです。


「ねえ、暇なの。昨日見たドラマの話を聞いて欲しいの」


 この、既に楽な方へ転がり切った人は藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、何の冗談かドレッドにして。

 頭のそこいらじゅうからユキノシタを生やしている女の子。


 せめて、今のいい話の。

 冒頭の一文字くらいは理解させてあげないと。


「いいですか? 君も遊んでないで、何か一つでも学ぶのです」

「……じゃあ、あそこに書いてあるThatのスペル覚えたから、後は遊ぶの」

「ええい、俺はちゃんと授業を受けますので。君は週末の試験の準備でもしててください」


 俺は穂咲を放っておいて。

 授業に集中します。


 すると、今まで聞いてきた。

 金言の数々が耳に蘇ってくるのです。


 高校は義務教育ではない。

 自分の遺志で学ぶために来る場所。


 だから、時間を無駄にせず。

 学びたいことを思う存分学ぶように。


 ……入学してすぐ。

 教わった事。


 もし、できる事ならば。

 あの頃の俺に。


 もっとこの言葉の意味を真摯に捉えるように伝え……。


「ええい、袖を引きなさんな」

「……鉛筆、一本も無いの」


 え?

 確か君が受けるところ。

 シャーペン可でしたよね?


 邪魔で邪魔でしょうがないですが。

 放置してもなお邪魔をされそう。


 俺は仕方なく穂咲の方へ振り向くと。


 目に入って来たのは。

 真新しい鉛筆が三本と。

 鉛筆削り。


「……あるじゃない」

「新品は使いたくないの」


 おっしゃることは何となく分かりますが。

 どうにも納得しかねる。


 そんな俺をよそに。

 何かを閃いたらしい穂咲は。


 俺のペンケースから勝手にシャーペンの芯を取り上げて。

 全部を机にぶちまけて。


 それらを束にして。

 輪ゴムでとめて、ドヤ顔を俺に向けるのです。


 ああ、もう。

 授業を真面目に受けたいと、いくら俺が望んでも。


 無駄なのですね。


「……それで書けるもんなら書いてみろ」

「むう。一本だけ出てる状態じゃないと書きにくいの。尖ってるもんない?」

「君の発想以上に尖っているものはこの世にありません」

「あ! 良い事思い付いたの!」


 そしてエッジの利いた発明品を机に置いて。

 あれだけ削るのを嫌がっていた鉛筆をがりごり削り始めたのですが。


 その先端が、十分尖ったところで。

 先ほどの、芯の束に。

 お尻の側からぐっと押し込むと。


 鉛筆の形通りとは言わないまでも。

 シャーペンの芯の束を。

 うまいこと先端だけ飛び出させることに成功したのです。


「ふう! これで先っちょが尖ったの」


 なんという本末転倒。

 でもそれより。


「……君、遊んでいる間に手が黒くなってます」


 俺の指摘に。

 じっと指を見つめていた穂咲が。


 飲み終えて、机の上に放置していたジュースの缶を。

 ハサミで切ろうとし始めたので。


 慌ててその手を止めました。


「ストップなのです! それ、絶対に指を切ってしまうやつ!」

「切らないの」

「スチールですし、絶対無理! なんで切ろうと思いました?」

「直で持つと汚れるから。四角く切って巻きつけようと思って」


 ほんと尖った発想!


「紙とかでいいじゃない!」

「だっさいの。金属の方がかっちょいいの」

「だったらせめて違う方の缶にしなさいよ」

「違う方?」

「アルミ缶の話です」

「……メルヘンなの。どんなお話?」


 ん?

 またいつものごとく。

 変なことを言い出しましたけど。


 ええと。

 想像するに。


「ある、ミカンの話ではなく。アルミ缶」

「…………そんなの、初めから分かってたの」


 一瞬、勘違いに気付いた顔をしたくせに。

 鳴りもしない口笛を吹きながら誤魔化そうとする穂咲さん。


 芯の束の書き心地を確認しているうちに。

 また何かを発明したようで。


 鞄から割り箸を取り出して。

 それで芯の周りを囲んで。

 輪ゴムでとめて。


 ……君。

 それ。


「ドヤ顔で振り向かないで下さい」

「ふふん! 完璧なの!」

「はい。大昔の人もそう思ったのでしょうね」

「でも、これじゃ持ちづらいの。太くすればいい?」

「いいえ。大昔の人は、そうは思わなかったでしょうね」


 そして、昔々に発明されたであろう画期的な品を。

 これでもかと割り箸で増築して。


 とうとうマイクのような太さにしてしまったのですが。


「……逆なの。もっと持ちづらくなったの」

「ええ。そうでしょうね」

「多分、割り箸を二膳くっ付けたくらいが持ちやすいの」

「ええ。そうでしょうね」

「はっ!? 二膳くっ付けたら真ん中に隙間できるでしょ? そこに芯を入れたら完璧なの!」

「世が世なら、君は天才としてもてはやされたことでしょうね」

「そんで、四角形だと持ちづらいから、周りを削って六角形くらいにして……」

「そして完成した品がこちらという訳ですね」


 呆れた穂咲からマイクを取り上げて。

 お料理番組よろしく。

 完成形を握らせてあげると。


「…………もったいないの! なんで新品削っちゃったの!?」

「そっちに反応しますか。自分で削っておいて俺のせいにしない」

「あたしがそんなもったいないことするわけ無いの。でも、一本削ったら二本も三本も同じなの」


 そう言って。

 ふてくされながら二本目の鉛筆を

 ごりごり削り始めました。


「やれやれ。……この太いの、バラしていいですか?」

「マイクくらいの太さあるの」

「ええ」

「せっかくだから、道久君が作曲したラブソング歌うの」

「まだ出来ていませんが……、これ持って?」

「それ持って」


 話題にはなりそうですね。

 俺は肩ごとため息をついて。

 ぎちぎちに巻かれた輪ゴムを外しながら。


「……では、武道館でも目指しますか」


 ぽつりとつぶやいたら。

 穂咲は急に椅子を跳ねのけて立ち上がって。


「それ! 待ちに待ってたの!」


 俺を指差して。

 大声をあげたのです。


「え? それってなに?」

「こら、藍川! そんな騒ぎ方をしたら秋山のせいに出来んだろう!」

「おい」


 呆れた先生の声に反応したのは俺だけで。

 当の本人は、夢中になって意味の分からないことを叫び続けます。


「今にミカン缶とモモ缶は席巻されるの! 凄い時代がやって来たの!」

「いつも適度に訳が分からないのですが、今日は度が過ぎて分かりません。君という存在が」


 何を言っているのか。

 皆目見当が付かないのですが。


 察するに。

 また何かを聞き間違えました?


「早速、帰りに探してみるの! いや、今から探しに行こうか……」

「そんなに外に出たいなら、廊下で立っとれ!」

「いえいえ。廊下に出したりしたら、その足で買いに行っちゃいますよ?」

「何をだ?」

「知りません」


 先生は、眉根を寄せてしまいましたが。

 分からないものは分かりませんって。


 それより、穂咲を外に出して。

 問題でも起こされたらたまりません。


 俺は仕方なく身代わりになって。

 廊下で穂咲語の解読です。


 モモ缶が席巻されるとか言ってましたっけ?

 何のことでしょう。


 その直前に、俺が言ったことといえば…………。



 あ。



 武道館。



「ブドウ缶じゃねえ!」

「やかましい! 九段下までランニングしてこい!」

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