イオノプシスのせい


 ~ 十二月二日(月) 二百五十キロ ~


  イオノプシスの花言葉 美しい人



 十二月。

 今年も、残り一ヶ月。


 例年なら、試験の準備に追われて。

 浮足立つ暇も無いのですけれど。



 今年はいつもと違う。



 ……だって。

 浮足立つ暇どころか。

 息つく暇すらありません。


 指輪にオルゴールに、辞書が部屋にあった理由探しに。

 俺の試験にこいつの試験に。

 仕事の準備も晴花さんと会長と共に始めなきゃだし。


 挙句に。


「瑞希ちゃんに付きっ切りで、週末がまるで潰れてしまいましたね」

「なの」


 俺は他に予定がなかったからよかったものの。

 試験を捨ててまで瑞希ちゃんのそばにいてあげたこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪をソバージュ風にして。

 イオノプシスの鉢をまるっと乗せているのですが。


 そんな君はいつも。

 課題ばかりの俺に。

 さらなる難題を押しつける。


 伏し目がちにカップの中を覗きこみ。

 食後のホットココアで一息つく君。


 ……紐とか使って無いのに。

 どうして鉢植えが落ちないのです?



 フライパンピザで膨れたお腹をさすりつつ。

 物理法則を無視した鉢植えに首をひねっていると。


「穂咲~。試験、どうだった?」


 そばを通りかかった新谷さんが。

 声をかけてきたのです。


「あ! こころちゃんなの! ちょうど、一文字違いだなーって思いながら飲んでたとこだから、一杯飲んでくの!」

「え? 一文字?」

「すいません。こいつ、ココアちゃんを飲んでいたのです」

「ココアちゃん?」


 あ、しまった。

 『あ』と『ろ』を言い間違えないように意識していたら。

 つい、『ちゃん』をつけっぱなしにしてしまいました。


 恥ずかしさを誤魔化すために。

 俺の席へ無理やり座らせて。


 穂咲の淹れたココアのカップを横取りして。

 恭しく差し出します。


「え? どうしてお姫様扱い? なにか誤魔化そうとしてる?」

「う。いえ、今のはちょっと言い間違い……」

「こころちゃんは、何でもお見通しなの。実は、試験に行かなかったの」

「ええっ!? なんで?」


 俺の言い訳はスルーして。

 しょぼくれた穂咲の手を取る新谷さん。


 なんだか、俺一人。

 妙な空回りをすることになりました。


「あのね? 瑞希ちゃんと一緒にいてあげてたから……」

「あんたねえ。まあ、穂咲らしいっちゃ穂咲らしいけど」

「うう……。でも、一つ良いことがあったの」

「良いこと?」

「こころちゃんの手、ふにふにのすべすべなの」


 殊勝にしていたかと思いきや。

 鼻の下を伸ばして新谷さんの手の感触を味わっていましたか。


「おやめなさいな。女性だってセクハラになるのですよ?」

「邪魔しないの。道久君はそっちでラブソングの作曲をしてればいいの」

「作詞ね」

「……ねえ、秋山。穂咲、こんなで大丈夫なの?」

「新谷さんに憧れてるのは今に始まった事ではないでしょうに」

「そっちじゃなくてさ」


 ああ、受験のお話でしたか。

 ご心配、ありがとうございます。


「穂咲が行きたい学校の試験、来週末なので」

「ああ、そうなんだ」

「次のは、ちゃんと行こうかなって思ってるの」


 なんですか?

 その曖昧なお言葉。


「ほんとにちゃんと行きなさいよ? 大丈夫ですか?」

「道久君はなんにも心配しないでいいの。自分の試験に行くの」


 心配するなと、君に言われても。

 そいつは無理なご相談。


 新谷さんも共感してくれたようで。

 俺の目を見て苦笑い。


「秋山も試験なのね?」

「そうなのです。今週が練習試合。本命は来週末。よりにもよって穂咲と同じ日」

「彼氏としては、気が気じゃないわね」

「まったくなので……、誰が彼氏ですか」


 違ったっけ? ではありませんよ。

 思わず乗ってしまいましたが。


「なんて上手な誘導尋問。事実でもないことを口に出しかけましたよ」

「こころちゃんはいい女だから、しゃべくりも上手なの」

「そうよ? いくら隠しても、いい女があふれ出して困っちゃう」


 そんなセリフに拍手を送るため。

 ようやく穂咲が手を離すと。


 新谷さんは、わざとらしく長い髪を掻き上げて。

 ふぁさっと払ったりしているのです。


 ……クラスの人気投票一位。

 清楚な見た目ながら。

 大胆でアグレッシブな彼女。


 そんな新谷さんの魅力の一つに。

 上手なトーク術があげられるのです。


「俺は、おしゃべりが上手い方ではないと思うので。見習いたいのです」

「秋山は十分聞き上手だと思うけど?」

「いえ、聞く方ではなく話す方なのです。お仕事のプレゼンをしている時に感じたのですよ」


 俺と晴花さん。

 同じことを説明しているのに。

 まるで魅力の伝わり方が違う。


 トーク術とは。

 社会人に必須なスキルなのだと思い知らされたのです。


「なるほどね~。じゃあ、試しに穂咲を綺麗って言わせてみようか?」

「え? それは有り得ません」


 こんな人前で。


「なら代わりに、ゲームしよう。あたしと穂咲を怒らせずにお話しできたら秋山の勝ちね?」

「それはおもしろそうなの」

「ちょっ……」


 なになに?

 どういう事でしょう?


 怒らせずに、ということは。

 わざと怒らせるような誘導をしてくるという意味でしょうか。


 引っかからないように。

 気を引きしめてかからないと。


 そのうえで。

 新谷さんの華麗なトーク術を奪うのです!


「じゃあ……、最近あたしたち、ちょっと太ったかしら?」

「なの」

「いえいえ、まったくそんなふうには見えませんよ?」

「そう?」

「なの?」

「もちろんです。お二人とも、最近ちょっと大人びたように見えるのです」


 ほほうと二人。

 感心して下さいましたが。


 気構えさえしていれば。

 これくらい簡単なのです。


「穂咲、試験行かないなんてダメじゃない」

「なの」

「いえいえ、そう言わないで欲しいのです。穂咲にとって瑞希ちゃんは妹のような存在ですし」


 新谷さんは、やるじゃないとばかりに。

 サムアップなどしてくれますが。


 でも、結構限界です。

 だってさっきから。

 なのしかしゃべらない穂咲に突っ込みたくてしょうがない。


「お金も無駄になっちゃうし、次はちゃんと試験に行くのよ?」

「なの」

「それは俺も同感なのです。私物を販売までしてお金を作っているわけですし」

「え?」


 俺の話に。

 勝負そっちのけで、新谷さんが目を丸くさせます。


「ちょっと穂咲! そこまで生活厳しいの?」

「違うの、不用品通販なの。おじさんに売ってもらってるの」

「ああ、そういう事か! びっくりした……」


 おっと、これは言葉足らずでしたね。

 勘違いさせてしまいました。


「あたしはやったこと無いけど、北海道の従妹がはまっててね? 昨日も友達へのプレゼント用にいいもの買ったってメッセージくれたのよ?」

「へえ、北海道に従妹さんが」

「おや? 気になる? すっごい綺麗なのよ!」

「へえ。新谷さんよりお綺麗な方なんて、ぜひお会いしてみたいのです」


 従妹さんを褒められてなのか。

 新谷さんは随分と嬉しそう。


「千歳に似てる、元気系美人なのよ! あたしと一緒に歩いてても、声をかけられるのはいっつもあの子の方!」

「新谷さんは、よく知らないと声をかけづらい雰囲気有りますし。そうか、日向さんっぽいのですか。彼女も凄い美人ですもんね」

「…………アウトなの」


 え? 急に何を言い出しました?


 穂咲がジト目で俺を見つめる横で。

 新谷さんが、小さく舌など出していますが。


「あちゃあ、すっかり勝負を忘れていました。……でも俺、何か変なこと言いましたか?」


 新谷さんの、従妹さんのお話をしていただけなのに。

 なにがNGワードでした?


 まるで分からない俺に。

 新谷さんが答えを教えてくれました。


「穂咲の前で、あたしと従妹と千歳を綺麗って」

「あ、なるほど……」

「だから改めて、穂咲を綺麗って言いなさい」


 ……え?

 まさか、新谷さんのトーク。

 最初から、これが狙い!?


 ほんとに凄い方なのです。

 ここまで狙い通りに話を転がすことができるなんて。


「ふっふっふ! さあ、穂咲を褒めなさい!」

「なの!」

「いや、ほんと凄い! 新谷さん、お綺麗なばかりじゃなくてなんて見事なトーク術! モテる理由がよく分かりました!」

「……アウトなの」


 こうして、せっかく教わったことを無にした俺は。

 午後一杯、廊下で作詞作業に没頭することになったのでした。




「……なにをしとるんだ貴様は」

「いい女に関わると、ヤケドすると学びました」

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