燐姫

真花

第1話 広場の音

「体中にさ、エネルギーが溢れてて、でも、やりたいことが分からないんだ」

 凛はその行き場のないパワーを表現するように、体を小さく屈めてから、うわっ、と大きく両腕を開く。勢いで肩までの髪がふわりと揺れる。

「まだ東京に来て一ヶ月じゃない。そんなに急がなくてもいいと思うけどな」

 祐里は凛のアクションに動じない。しかし、喫茶店中の目が凛に注がれている。

「高校の時はさ、陸上で毎日走って、受験勉強もして、祐里と恵美子と望といつも騒いで、力の行き先がはっきりしてたじゃない」

「そうだね」

「ところが大学に出て来た途端にそれが全部なくなっちゃった」

 祐里は穏やかな目をしながら少し考える。

「陸上はもう続けないの?」

「うん。なんか飽きちゃった」

「出た。凛の『飽きちゃった』」

 凛は肩を竦める。

「凛って、信じられないくらいの勢いで没頭したかと思うと、急に飽きたって言うよね」

「だって実際そうなんだもん。でもね、私、思うんだ、きっとこれまでは、本当の本当にこれだ! ってものと出会ってないだけなんじゃないかって」

 じんわり首を傾げる祐里。

「次も見付けたら、しゃぶり尽くして、ポイ、かもよ」

 凛は眉を顰める。一瞬尖った口が勢いよく動き出す。

「悪い男みたいに言わないでよ。これまでの発展途上の私を育ててくれた、陸上を始め数々のもの達に感謝の気持ちはあるし、今の私はこれまで以上にどっぷりハマるものでないと、きっとハマれないし、ハマったらすごいと思う、絶対」

「本当に?」

「一生ものと出会う準備は出来ている」

 そっかぁ、だといいね、と祐里は頷いてコーヒーを口に含む。

「だって、今のこのエネルギーだよ? これが全部向かうんだよ? 聞いてよ、休みの日とか朝から何か出会いはないかって色んな所歩き回って、夕方からは一人カラオケに三時間は行って昇華してるんだよ」

「本当にやり場がないんだね。歩いてて何か見付かるの?」

 凛は首を振る。

「そこそこ面白いものはあるけど、どうもこのやり方は正解ではないよう」

「じゃあ、別の方法考えないとね」

「そうだね。ん?」

 遠くの方からドラムを叩く音がする。駅前の広場が近いのでそこかも知れない。

「ねえ、祐里、見に行ってみない?」

 凛の好奇心を反射するように祐里はニッと笑う。

「いいね」

 店を出たらドラムの音に混じって、ギターとベースの音も聞こえる。チューニングをしているのかまばらな音はメロディーの断片を含んでいても、曲にはなっていない。

 寄っていくと、音を出しているのは三人の男女だった。ドラムに女性、あとは男性。年の頃は二十代中盤くらいのよう。人だかりはなくて、楽器をいじる三人の前を通行人が一瞥しながら通過して行く。

 凛と祐里は遠巻きな位置に陣取って、これから何が起きるのかを観察する。

 三人がごにょごにょと小声で示し合わせたと思ったら、急に曲が始まった。

 アップテンポ。ロックだ。

 リフとベースラインの掛け合い。

 繰り返されるリフが期待感を煽る。

 さあ歌が始まる。

 女性ドラマーが歌い始める。

 あれ?

 悪くはないのだが、何て言うか、ヴォーカルが別に居た方がいいんじゃないか。ドラムはドラムに専念した方がいいんじゃないか。もし誰か他の人が歌ったなら、この曲はもっと輝くんじゃないか。

 そう思っている内にギターソロ。エッジが効いていながら、エロい。いい。

 曲が始まったら足を止める人がかなり居て、小さいながらも人垣が出来ている。特にソロが惹き寄せた感はある。

 また歌、そして後奏で終わり。

 まばらな拍手。やっぱり歌が微妙だ。どうしよう。

 祐里を見ると、同じことを考えているのか、曖昧な顔をしている。今日も街には面白いものは転がっていないと言う結論になりそうだ。

 ギターを弾いていた男性が半歩前に出る。

「こんにちは、挨拶の一曲で、『スカンク』でした。さて、お気付きの方もいらっしゃると思いますが、ドラムの桃子は本当はヴォーカルじゃありません。今日この場所にやって来たのは、ヴォーカルを探すためです」

 なんだそりゃ。祐里と顔を見合わせる。

「ここにメジャーな曲が十曲あります。その中から選んで頂き、私達が伴奏? 演奏をしますので一緒に歌って下さい。公開オーディションみたいな感じです。結果は後日ご連絡させて頂きます。さあ、我こそはと言う方はいらっしゃいませんか?」

 東京のバンドってのは、こうやってメンバーを募集するんだ。すごい。ものすごい度胸が要る。

 どうしよう。歌は毎日のように歌ってるし、きっと十曲もあれば一曲くらい歌える曲がある。でも、歌うってことは合格したら彼等とバンドをするってことだ。いや、しばらくやってみてやっぱ辞めたってのも多分ありだからそこは深く考えなくてもいい。

「凛、やってみたいんでしょ」

 祐里が顔を覗き込んで来る。胸の奥が小さく震える。

「ちょっと」

「私はいいかな」

「まだここに居よう、少し様子見てから決める」

 祐里は微笑む。

 しかし、立候補が居るのだろうか。

 すると、一人の女性、二十代前半くらいが、つかつかとバンドの前に行く。曲の一覧の中から選んで、マイクを渡される。歌詞カードはいらないと言うジェスチャー。

 本当に歌うのか。

 曲は始まる。私も知ってる曲、Twilight Silversの「go just gorgeous」だ。演奏は上手い。

 女性の目一杯構えたその形から、来た、彼女自身が飛び出したかのように声が迫って来た。

 だけど。

 その声はうねっている。

 常にうねっている。うねらない隙間がない。それにビブラートがさらに乗る。

 迫害されている気持ちになる。酔いそうな感覚になる。

 技術的には上手のようだし、メロディーラインもしっかりしてる。リズム感も問題ない。

 なのに、公害としか思えない。

 耳を塞ぐのも失礼な気がして、耐える。

 気持ちが悪い。どんどん悪い。歌を人に向けて歌ってはいけない声の人も存在するのだ。それとも単に私との相性が最悪だっただけってことなのだろうか。

 やっと、終わる。

 それでも拍手が少々。本人はやり切った顔、いい笑顔、歌わなければきっと素敵だと思えただろう表情。

 ベースの人が連絡先を貰っている。

 そうか、あのレベルで大丈夫なんだ。

 うねりの空間汚染が拡散するのを待つような間、スタタン、とドラマーがスネアを弄ぶ。ペン回しみたいなものなのかな。

「どうでしょう、次の方、居ませんか?」

 応じて男性が向かって行く。ギターの人が何かを言って頭を下げる。ギャラリーに戻る男性が苦笑いをしていた。

「すいません、言い忘れてました。今日の募集は女性ボーカルです」

 直ぐに、別の女性がバンドに向かう。曲は知らない曲だが、多分ロックに分類されるものなのだろう。恐らく、彼等がやりたい音楽はロックなのだ。

 今度の人は明らかに音痴で、知らない曲でも失敗しているのが分かった。

 その人とは連絡先のやり取りがない。一次審査がここでされている訳だ。

「さあ、次の方、どうでしょう?」

 ギターが声を上げても誰も反応しない。どうしよう。私、やってみていいのかな。カラオケいっぱい歌ってるし、いけるんじゃないかな。

 間を持たすためか、ギターが喋り始める。

「私達はこのゴールデンウィークは毎日この場所でこれをしています。もし知り合いの方などで興味を持たれる方がいらっしゃったら、是非ここに、歌いに来て頂きたい」

 言葉の後の間に、私のチャレンジを呼ぶ引力を感じる。このオーディションは私のために開催されているんじゃないのか。

「ねえ、祐里、私、やってみる」

 小声で、バンドを見つめたまま呟く。目を離したらチャンスが逃げるような気がした。

「マジで? でも、いいと思う。当たって砕けろだよ」

「縁起の悪いこと言わないでよ」

 話しながら、胸がドキドキしてくる。紅い鼓動、身を染めるような。インターハイの蒼さとも、恋の金色とも違う、鼓動。

「行くね」

「がんばれ」

 凛はすっすっす、と薄い人垣を通過してバンドの前に立つ。

「私、歌います」

「ありがとう。曲は何にしますか?」

 一覧を見ると、歌えるのはさっきの「go just gorgeous」とEmpress of Dragonflyの「あいくち」だけだった。得意なのは「go-」の方なのだが、さっきの人が歌ったのと同じのを歌うのは芸がないと思い「あいくち」にする。

「歌詞カードは要りますか?」

「一応下さい」

 短いスタンバイまでの時間。足から背筋に冷気が通る。あーあー、と喉を確認する。

 ヒステリックなギターから始まる、突如ベースとドラムだけになり、Aメロ。

『爪、牙、夕暮れ、お前』

 入りのタイミングはよし。分かるのはそれだけ。Bメロ。

『知らないばかりが命の助け、知らないばかりに命はどこへ』

 目の前に誰が居るのかも分からない。でも音楽は進んでゆく。

『匕首に、私、乗せて、その首筋に、私、刻む。あなたが全てを忘れたって、私はそこに』

 間奏がビリビリ来る。ドラムがズシズシ来る。低音がボボボボ来る。生の楽器、カラオケと全然違う。

 二番からラスト。

『愛、口に寄せて』

 後奏を背中に感じる、そして終わり。一礼する。パラパラの拍手。

 胸がドキドキする。でも、さっきと全然違う。走り切ったのとも違う。もちろん恋とも違う。頭にツーンて何かが通る。きっと私今ほっぺた真っ赤だ。

 人前で歌うことって、こんな気持ちになるんだ。天下取ったような、私が主役に確定したような、高揚感。笑顔になっているのが分かる。

 さ、連絡先を交換しよう。ヴォーカル、やってみてもいいかも。ベースに声を掛ける。

「あの、連絡先……」

「あ、大丈夫です」

 え?

「歌って下さり、ありがとうございます」

「あ、はい」

 答えたはいいものの、殆どの私が呆気に取られている。「私ヴォーカルやります!」「一緒に頑張ろう!」を瞬間的に想定していた。私が選んだ気になっていた。私は選ばれる側で、選ばれなかった。あのうねり女より要らないと突き付けられた。

 崖からドーンと落とされた。その崖は私が作ったのだけど。

 ふらふらと祐里の場所に戻る。

「まあまあよかったよ。……あれ? 酷い顔してるよ」

「連絡先いらないって」

 座った勢いのまま凛は肩を落とす。そこから外人さんの「ホワッツ?」のポーズ。頭をふるふると振る。

「落ちちゃったよ」

「そっか、声自体はすごくいいのにね。練習不足なのかな、単純に」

「たまたま体に付いている曲があのリストにあるなんてのは、よっぽどの強運だよ」

 またしおしおと萎んでゆく。

 押し出されてため息が漏れる。

 しかし自分で吐いた内容に、実はそうではない、一概にそうとは言えないということに気付く。

 がばっと上体を起こす凛、視線は真っ直ぐバンドを見据える。

「祐里、ちょっと、と言うか大分、付き合って欲しいんだけど」

「いいよ。何か分からないけど、今日は凛とのための一日だから、最初から」

「かたじけない」

 次の一手のアイデアに踏ん張りが効いたら、凛に空気が満ちる。

 四人目のそこそこ上手い歌を背中に聞きながら、振り返らずに二人は向かう。

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