第55話 紅月と狂いし狼⑥

 口元に誰かの足が出ているマッドネスウルフを、アリスは茫然とした様子で眺める。

 ソロという絶望的な状況。

 規格外と言えど初心者を一人で戦わせたから喰われた事実。

 マッドネスウルフの攻撃を一回でも食らえば致命傷になる可能性。

 それらが脳裏に浮かび、アリスはクレーターの上で立ち尽くす。


「…あっ」


 マッドネスウルフが顔を持ち上げ、口を限界まで高く上げた。

 レストの見えていた足が無くなり、マッドネスウルフに丸飲みされる。

 この光景を見たアリスは、何故か自爆以外で死ぬイメージが浮かばなかった。

 イメージに浮かんだのは、レストがどうにかして生き残った後に、色々な意味で爆弾を投下するというもの。

 現状で足を引っ張っているのは自身だと思っているアリスは、このまま全部レストに任せると負けた気がした。

 だから、アリスはレストが脱出する前にマッドネスウルフを倒すという決意を固める。

 本気で戦う為に一度深呼吸して、戦意を胸にマッドネスウルフを見据えた。


「…まずは《慣れなきゃ》」

「グルルルルル」


 静寂の中に響く少女の声。

 顔を下げたマッドネスウルフは獰猛な唸り声を上げ、もう一人の侵入者と視線が交差する。

 闇の領域と月光に照されたマッドネスウルフと、溜めていた力を還元したアリス。

 お互いに何か言った訳でもない。

 だが、同時に駆けた。


「ガァァァァァア!!」


 一瞬で距離を詰めた一人と一頭。

 マッドネスウルフは二人の情報にない伸びた黒い爪による攻撃をする。

 残像が残るほど速い右前足で振るわれる四爪。

 振り下ろした爪どころか、前足ですら捕らえることが出来なかった。


「…外れた」


 振り返ったマッドネスウルフは、さっきまで自身がいた場所に、無傷のアリスが白い剣を振り切った姿で、悔しそうな声を漏らす。

 爪が当たる直前、視認したアリスは上り坂というデメリットの中でさらに加速して、迫り来る前足を潜り抜けたのだ。

 その後、アリスはすれ違い様に後ろ足へ攻撃を加えようとした時に、自身が速すぎて振り遅れ、当てることができず悔しい思いをしている。


「…でも次は当てれる」

「ガァァァァァア!!」

「…【ハイジャンプ】」


 マッドネスウルフの尻尾を回転させる攻撃に、アリスは後ろ側へ跳んで、数メートル離れたクレーターの無い場所へ着地した。

 それを追いかけたマッドネスウルフは、大爆発の影響で土が少し凸凹になった平坦だった場所で戦い始める。

 夜によってレストと同等の速さを持つマッドネスウルフは、凶暴化と本来の姿を経てレストを越えた速度を持つ。


「ガァァア!!」

「…っ!!」


 そんな相手に同等の高速戦闘を行うアリス。

 ステ振りで能力値を上げ、幾つかの上位スキルを獲得したことで、マッドネスウルフと互角に近い速さとなった。

 アリスはマッドネスウルフの速い近接攻撃を当たらずに避ける。

 それどころか、上がった力の扱い方に慣れてきたアリスが徐々に、紙一重の回避を見せるようになり、攻撃をする回数も増えてきた。

 喰らいつく攻撃を避け、顔へ攻撃をようとしたアリスに、マッドネスウルフは高速移動の力を使い、アリスが居ない方の横へ跳ぶ。


「グルルルルルルル」

「……」


 アリスとの戦闘でダメージを継続的に与える闇の領域の効果時間も終わり、低い唸り声を上げるマッドネスウルフは自身の横に緻密な魔法陣を作り始める。

 それに、無言で集中するアリスはマナポーションを飲みながら、マッドネスウルフがいる場所に向かう途中。


(…HPが回復した…もしかしてレストが)


 通常攻撃だけで2%ほどHPを減らした8%と表示されるマッドネスウルフのHPが、急に4%ほど回復した。


(…死んだレストの分まで戦って勝つ!!)


 回復したということは、喰らったレストが死んだことだ。

 アリスは新たな決意を胸に、さらに加速してマッドネスウルフに近づく。

 それより先にマッドネスウルフの魔法陣が完成する。


「ガァァァァァア!!」


 マッドネスウルフが闇の雨、闇の領域と同じ一回だけ使う魔法が発動した。

 闇の領域の効果が終了している事とHP25%以下で、マッドネスウルフが使う分身魔法。

 角が生えて一回り大きくなる前のマッドネスウルフの形をした闇の巨狼。


「…【独走の神楽】」


 闇の巨狼がマッドネスウルフと同じ赤色の瞳を向け、アリスを前足で叩き潰す攻撃をしてくる。

 それを駆けて回避しながら、闇の巨狼の背後で6つの魔法陣を構築し始めたマッドネスウルフを見て、アリスは唯一新たに獲得したスキルを使い、戦い始めた。



 当初、マッドネスウルフと闇の巨狼の連携に苦戦していたアリスだったが。【独走の神楽】の効果と、それとは関係なく突然動きが悪くなったマッドネスウルフによって、闇の巨狼が消える3分間戦うことに成功した。

 だが現在、距離を取って魔法攻撃だけをしてくるマッドネスウルフに、ある事情でアリスは苦戦を強いられていた。


「ガァァァァァア!!」

「…っ!!」


 迫り来る闇玉より大きな玉に、全力で横へ走ってアリスは攻撃を避けた。

 マッドネスウルフが新たな魔法陣を構築し始めるが、近接型のアリスは不利な位置から動かない。

 正確には、アリスの攻撃手段銅の剣が闇の巨獣と戦っている時に無くなったが、どうにかして倒そうと考えており、そのために少しでも体力の温存をしているという場面だ。

 ちなみに、アリスが持っていた予備の武器は祠イベントの時に近々武器を買い替えようと考え、全部お供えしてしまい、もうない。

 そんな時、戦場に好ましくない音が響く。


──プルルルルル


 着信相手がレストで、不完全燃焼で不機嫌なアリスは少し苛ついたが、都合がよかったので「…ボス戦中」と、魔法を回避しながら応答する。

 レストの返事のあとに、マッドネスウルフに負けることを正直に言って、死に戻りしようと考えていた。


『こっちは胃袋で待機中』


 実は生きているとレストから報告され、死んでいると思っていたアリスは思考停止状態となり、放たれた魔法をギリギリで思考が戻り回避した。

 パーティメンバーの鑑定機能を使うと、確かにレストは生きている。


「…生きてたんだ」

『生存報告遅れてごめん。ところでそっちの様子は??』

「…武器が無くて攻撃出来ない」

『こっちも下手に動けないんだよね』


 安心感からか、どうしようもない状況だからか、弱々しい声で助けを求めるような返答したアリスに、レストも困ったような声で返す。

 レストが喰われる前に使ってきた闇弾群を【見切り】を使い、アリスが回避している時に、新たな返答が来る。


『仕方がない、あれを譲渡するか』


 それにアリスは回避を終えた後、色々考えてくれているレストに、少し心が軽くなる感覚を味わう。

 でも、β版の頃に街で買った物を戦っているメンバーへ送るといったことがあったので、現在のFMGは譲渡の際手渡しする必要があることを知っていたので、やんわり否定する。


「…譲渡は直接渡し合わないと出来ない」

『えっ…あっ…あれー』


 それに対して返ってきた言葉に本日何度目かの嫌な予感。


『何かできちゃったぽい』

「……やっぱり」

『ちょっと見てみて』


 戦闘中だがレストの爆弾発言に目元を隠して、空を見上げた。

 新たに放たれた魔法を回避中に『うぼぉ』と謎の悲鳴と、僅にHPが回復したマッドネスウルフが急に距離を詰めて来たが、何故か途中で減速してさっきの場所へ戻る。

 不思議に思ったがレストが言ったことを実行する。

 インベントリには、鋼の剣(試作品1号)と書かれた項目がいつの間にか追加されていた。

 レストが規格外過ぎて、逆に冷静になったアリスに平常運行な声が響く。


『さっきの悲鳴、胃液に落ちたものだから。もう登ったから大丈夫だけど』

「…胃液に落ちたらマッドネスウルフが回復するみたい」

『気を付けます』

「…今から本気で戦うから」

『了解…そういえば、剣装備できた??』

「…問題ない。倒したら、この剣も含めた話があるから」

『り、了解です。こっちも出来る支援します』


 この鋼の剣が誰のために作られたのか、見た瞬間理解したアリスは、なるべくいつも通りの口調で話した。


「………ありがと」


 電話を切る直前、最後に限界を迎えて恥ずかしくて小声になったが、どうにか感謝を伝えた。

 遠くで魔法を準備しているマッドネスウルフを見据え、アリスは新たな武器を装備する。

 剣身が細く、鍔の部分も最小限で、僅に長くなった柄。

 紅光を反射する銀色の剣に、待ちわびていた【退魔之剣】が聖なる白の輝きを纏わせる。

 銅の剣より強い白光を放ち、赤い周囲を白色に照す。


「…すぐに終わらせるから」

「ガァァァァア!!」

「【瞬動】」


 剣先をマッドネスウルフに向けたアリスが宣言すると同時に、マッドネスウルフは魔法を発動した。

 6つの魔法陣から放たれた60発の闇弾をアリスは高速で射線上になっている所から弧を描くように離れ、スキルの効果が切れる前に全力でマッドネスウルフまで駆ける。


「グァァア!!」


 すれ違い様にただ一回振っただけで、13%残っていたHPが12%まで減った。

 今まで十数回も当ててHPを1%減らしていた苦労は、何だったのかと言いたくなるアリス。

 追撃をしようとした時、特大の大きな魔法陣を構築していたマッドネスウルフは、高速移動で大きく距離を取る。


「…【独走の神楽】」


 レストから貰ったマナポーションを飲もうとインベントリを開くと、残り少なかったマナポーションが補充されていた。

 アリスはそれに感謝しながら飲んだ後、再び走り始める。

 その時、奇妙な光景を見掛けた。

 傾いた月が建物に遮られ、月光で照らされてないマッドネスウルフが、アリスとの距離が近い月光が当たる場所まで動いたのだ。

 徹底して遠距離攻撃していたマッドネスウルフが。


(…もしかしてあの月光はMPを回復させてる)


 アリスは何度も魔法攻撃してきたことを思い出し、そのことに気づいた。

 さらに、もう一つ気づく。


(…何で近接攻撃してこない。もしかして、腹の中にいるレストが何かした影響)


 マッドネスウルフのHPを見れば1%何もしてないのに減っている。

 レストが腹の中で何かをした影響で、激しく動いたらダメージが発生するから動けなくなっていることを確信した。


「ガァァァァァァア!!」


 アリスが近づいた時、マッドネスウルフに10メートルはある闇の大玉が放たれた。


「…【ハイジャンプ】」


 地面を削りながら進む闇の大玉に、勢いそのままに力強く跳躍して越え、マッドネスウルフの目の前に現れた。


「…【見切り】【デュアルエッジ】」


 口を僅に開けて高速で食い殺そうとマッドネスウルフに、アリスは知覚速度を上げるスキルと多段攻撃スキルで応戦する。

 真ん中で構えた剣に対して、マッドネスウルフが顔を左向け、迫る。

 あと一人分近づいたらと言った所でアリスは、右手だけで剣を振り、マッドネスの鼻へ一閃。

 さらに返した刃で一閃を食らわせる。


「キャイン!!」


 マッドネスウルフは弱点を攻撃され、大きく怯みながら後退った。

 アリスは知っている。

 暴獣は現れたエリアにいる原型となったモンスターと同じ弱点を有していることを。

 それを思い出したアリスは、取り巻きのエレメントウルフが鼻が弱点だと特定していたので、一連の攻撃をした。

 綺麗に着地をしたアリスは残り4%のHPを削る為に青い光の粒子を出しながら駆ける。


「ガァァァァア!!」


 マッドネスウルフが右前足による四爪を振り下ろす。

 アリスが避けようとする前に、マッドネスウルフが顔から落ちた。

 それを急停止して、背後に飛んで顔が当たるのを防いだ。


「…ナイス」


 HPが5%まで回復したがマッドネスウルフは麻痺微、沈黙微、眩暈微という状態を発症していた。

 急いでアリスは青い粒子で線を描けながら、マッドネスウルフの背後へ回り込む。


「…【へヴィスラッシュ】」

「ガァァァア!!」


 アリスの攻撃を食らう前に、マッドネスウルフが高速移動の力を使い離脱する。

 マッドネスウルフは無理な体勢で回避した為に、転げ回りながら100メートル近くまで移動し、HPが1%を切った。


 起き上がったマッドネスウルフは全身の赤い光を漆黒の角へ集め始めた。

 マッドネスウルフによる赤い闘気が角へ収束させた最後の一撃。

 それを見たアリスは、


「…【捨て身】」


 自身もHPを削って攻撃を強化するスキルを使い、最後の一撃を顕現させる。

 距離を詰めたアリスは両手で白剣を持って進み、マッドネスウルフが姿勢を低くさせ、額の角を向けて構えた。

 状態異常の沈黙微が消えた瞬間、二人は動き出した。


「…【瞬動】」

「ガァァァァァァァァア!!」


 マッドネスウルフは過去最大の硬直の咆哮を上げ、高速移動の力を使った角による突進攻撃。

 角が迫り来る状況で、アリスは限界ギリギリまで地面へ前傾させた姿勢で駆けた。


「【ソニックバッシュ】」


 来る直前でアリスは攻撃スキルを使う。

 振り上げ、白剣を持つ手を離す。


「…私の勝ち」


 勝ったアリスは背後で光となるマッドネスウルフを見てから、巻き込まれて飛んでいった剣を拾う。


 剣姫時代に使っていた【独走の神楽】で、移動速度の低下で高速移動を弱体化させたとはいえ。

 別の場所へ攻撃したら、自身も巻き込み死に兼ねない状況で、攻撃を成功させ。

 瞬時に剣から手を離すことで、マッドネスウルフの突進の力が剣に伝わって、手首へダメージを行かないようにした。


 これが、トッププレイヤー“勇者”と呼ばれるアリスが、常識外れの一人たる所以である。

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