素直な思いと歪な思い
タコさん
愛のクライエント
ep1.『ミクロな思い』
汝自らを知れ。
哲学者ソクラテスより。
♦︎
自分を知るとはどういうことだろう…
人間が一番理解できないのは自分自身だと僕は考えている。
普通の人に関わらず、自分以外の第三者の考えていることはその第三者本人しか知らないことであり、当然理解の外だ。
その分、自分はどうだろう。
自分の言葉で、考えで物事を理解できる、それと同時に意識の外から入り込んでくる感情が自分の本心という秘密を象っていくのを人間は理解できない。
知らぬ間に、価値観を植え替えられ、人間としての論理を忘れ、己自身さえ謎に包まれていく。
我ら人間は自由権を所有していて、基本的人権のうちの一つである精神の自由より頭の中でなにを考えていても罪にはならないし、自由だ。思考の暗闇の中で人間がなにを考えるかは知らないけど、きっと口で言っていることと思っている事は絶対に対立しているだろう。
精神的自由権。思想、良心の自由。第19条。
「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」
国家、所謂。他者は他人の思考の領域までは入り込めないという事だ。
ここで、さっき挙げた口で言っている事と思っている事は対立するという事について言及しよう。人間は、なんでも素直に心の中を見せられるほどできた人間ではない。これは僕の哲学だ。どんな人間だって、考える。
例えば…「お金ないから、金かしてくれ!」それに対して(金持ってるけど、もっと欲しいからな)だ。
口では、こんなこと言ってるが思考の中身はこうだとする。こうして見ると対立しているだろう。どんな人間でも、思っている事を全部口から吐き出したり、嘘をつかないなんて有り得ないのだ。
だが、悪魔でもこれは例えである。人間はそもそも他人の思考を見ることができないし。だから、こうではない可能性も当然あるのだ。
それは、嘘をつかない。僕のこの論理をひっくり返すにはこれが必要だ。
さっきのまでの前提が崩れてしまうが、嘘をつかない。これは本当に、可能なのだろうか。
たしかに、一度も嘘をついたことがない、と言われればそうなのかも知れないが仮にその言葉が嘘であった場合嘘をついたことがあるというわけだ。どんなに、心理に踏み入っていても、嘘をつくことが上手くても自分の心の深淵にはどんな事象も関係ないのだ。要するに、自分自身には嘘という嘘をつけない。
これを過程とし、人間は成長するにつれて自分自身と向き合う時が来るだろう。
自分が何を持って行動しているのか、何を考えているのか、するべきことは何か、そうしてもう一人の自分に気づく。
次第に、思考という沼に埋まって行き人間は意識を保ち正常なまま自分自身を見失っていく。だが、己という自らを理解することができれば自分の考えと物事を区別して考えられる。だから、人間は第1に進むための関門は己を知ることなのだろう。
そうすれば、嘘にも飲み込まれず、思考の渦にも巻き込まれず、他人という価値観に染められることもない。全ては自分という己を保つため。
人間は考える事をやめられない生物である
「終わってる」
ペラペラと捲る音がしたと思えばそこには若い男がいた。
「なるほど。理解できなくはない。だが、これも自身を理解していないからこその妄言だろう。それに第1関門が己を知ることなら、きっと人間の最後は…
幸せになること
嘆息混じりに、ポツリとそこで言葉が途切れた。
そう思いきや、暗い空間に一つの灯が生まれた。
火だった。
「残念ながら、俺の求める答えはなかった」
この言葉と共に、またペラペラという音を立てがら紙と思われる物はボウっと音を立ててゆっくりと燃えてゆく。
その頃には、その場には誰もいなかった。
幸福とは、不幸の休止期間に過ぎない。
アメリカ、ジャーナリスト。ドン・マーキスより。
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