賛成の左手、否定の右手
ちびまるフォイ
NOあるタカは手を隠す
「山田、悪いんだけどこの仕事やっておいてもらえるか?」
「山田。いま暇だろ? ちょっと取引先に行ってきてくれ」
「山田さん。この資料のコピーお願いします。できますよね」
「は、はい……」
ぐっとこらえながら仕事に打ち込む。
ふとトイレに立ち個室に入ると外からの声が聞こえた。
「山田ってあいつほんと楽よな」
「はいしか言わないもん」
「自分の意思ないんだろ。ハハハ」
彼らには自分がどれだけ心を押し殺しているのかわからないのだろうか。
ぐっと握りしめていた拳を開くと、
左手のひらには「YES:5」右手には「NO:5」と書かれていた。
消そうとこすっても洗っても消えない。
書かれているというか刻まれているのか。
「しまった、かなり時間経ってる!」
慌ててトイレを出たときにはすでに上司はおかんむり。
奥さんと上手くいっていない家庭内ストレスをここぞとばかりにやつ当たる。
「君はね、まったく社会人としての資質にかけるよ!
だいたいトイレで時間を潰すなんて言語道断。
その時間にも会社は君に労働への対価として給料をくどくどくどくど……」
「はい……はい……まったくおっしゃるとおりで……
はい……すみません……はい……」
「君ね、さっきからハイハイ言うばかりじゃないか。
本当にわかっているのかね!?」
「はッ――」
"い。それはもちろん"と続けるはずが言葉が出てこない。
喉にストッパーでもかけられているみたいだ。
「――いいえ」
「ああ!? 君、わかってないと言いたいのか!?」
「いいえ! そんなことは!」
「じゃあどっちなんだわかっているのかわかっていないのか!」
「わかっています!」
「じゃあちゃんと反省しろ!」
「いいえ!!!」
「どっちだよ!!!」
このやり取りが続いた結果、怒鳴り続けてエネルギーを過剰消費した上司は高血圧で病院に搬送された。
同僚たちは別のことで驚いていた。
「あの山田が……」
「拒絶した……?」
とにかく自分の妥協により人との関係を良好に保つだけのはずなのに、
おそらく産まれて初めてだろうか。目上の人に面と向かって拒否をしたのは。
翌日から、これまで「YES」しか言わない都合のいい人間のはずが
ブチ切れ上司の鼻先で「NO」と言ったことで周囲の目も変わった。
「……今日は、なんだか仕事を押し付けられないな……」
上司に拒否する度胸のある人間にとって、同僚の頼みを断るのはよりハードルが低い。
断られるリスクがある以上、これまでのように軽い気持ちで頼めなくなったのだろう。
ということにトイレで気がついた。
「あのイエスマン山田がなぁ……」
「我慢しすぎて限界になったんじゃないの?」
「そういう風に見えなかったけど……」
個室の外では自分の話題で持ちきりだった。
それだけセンセーショナルな出来事だったのかもしれない。
手を開くと、左手には「YES:5」右手には「NO:6」とあった。
「あれ……昨日は5だったのに」
どんどん。
扉の外でノックされた。
「は、はい! 今すぐに出ます!!」
とっさに返事をしてしまった。
左手のYESの回数が1個減少した。「YES:4」。
「まさか……」
説教のさなかに感じた喉の違和感。原因はこれかもしれない。
その日、仕事帰りに「はい」を呪文のように4回唱えてからコンビニに入る。
「レジ袋いりますか?」
「は―― いいえ」
いつもは聞いてくれる店員さんのために気を使って「はい」と言っていたが、
体の内側から逆らえない力で「いいえ」と言葉に出していた。
「これ、YESとNOの使用回数だったんだ……」
翌日、朝起きたとき。
左手は「YES:5」右手は「NO:10」となっていた。
昨日、「NO:5」だったので回数が翌日に持ち越しているのか。
「YESは使いすぎているから大事に使わないと」
YESと言うべきタイミングでない限りは、余っているNOを使わなくては。
「山田。取引先に謝ってくるから、お前も付いてこい」
「NO。お断りします」
「なっ……。お前、いつもついてきていただろう!?」
「担当者はあなたのはずでしょう。責任の分散をするために自分を使わないでください」
「ぐっ……わ、わかったよ!!」
意識して「NO」を使い始めたからだろうか。
今まで我慢を続けていたはずの生活がぐっと楽になった。
むしろいままでどうしてこんなにも我慢していたのかと思う。
常に「はい」と言い続けていれば自分の意思がないものだと下に見られ
ひいては奴隷のように都合のいい存在として小間使いされてしまう。
「俺だって、ひとりの人間なんだ! こき使われてたまるか!」
「NO」と拒否するようになってから自分の時間が取れるようになった。
いやいや付き合っていた飲み会が減ったことでお金も貯まるように。
なにより、拒否だけでなく自分の意思をハッキリ伝えるように変わった。
「いいえ、それは間違っていると思います。
自分が提案した企画のほうがずっと優れています」
「あのな、そうは言っても相手を立てるということもあるだろう。
ここは折れてくれよ。意地貼る部分でもないだろう?」
「いえ! 自分は反対です!! 絶対にはんた――」
最後の「い」が出なかった。その代わりに出てきた言葉は「YES」のいだった。
「絶対にYESです」
「そうか! よかった! 実はちょっと困っていたんだよ。
ついでで悪いんだけど、こっちもやっておいてくれるか?」
「そんなのいやに決まって……まかせてください」
「助かる!」
拒否しようとしてもすでに右手の拒否回数は「0」を示していた。
左手の賛成は「10」になっている。
「くそ……! もうこれ以上否定できないじゃないか。
なんとか賛成回数を否定に移動できないかな」
錬金術でも使うかのごとくに手のひらを合わせてみたが、
なにも起こるはずはなく否定回数は「0」のまま。
このままではこの先無理難題を押し付けられても断ることができない。
「ちょっと、外回り行ってきます!!」
慌てて人との交流を避けて外へ出た。
外には人だかりができていて、道路には事故の死体が残っていた。
「ひどい……即死みたいよ……」
「はやく救急車こないかしら……」
死体の手のひらを見ると、左手「8」右手「12」の文字が見えた。
「この人も俺と同じ……」
死体の手をとったとき。死体の手の文字が腕を伝って俺の体へと移動した。
さっきまで「0」だったはずの俺の左手には「12」の文字。
「これは……! まさか死んだ人からは否定回数を移動できるのか」
「き、君! 遺体に触れてなにしてるんだ!」
「いいえ? なにもしていませんよ?」
左手の文字が「11」になる。
やっぱり有効なんだ。
今まで1日が終わるまで回復しないと思っていた賛成・否定回数にこんな裏技があるなんて。
もう賛成と否定回数の残りを気にして、相手に返答をする必要はない。
やりたくないことは、たとえ否定回数がギリギリだとしても「NO」と拒否できる。
だって、回数の回復方法を見つけたんだから……。
ギギギッ、バタン。
霊安室に安置されている死体を戻してから自分の両手を確かめた。
左手「100」、右手「100」。数字を見ただけで顔がにやける。
「ふふふ、やったぞ。これで賛成も反対もし放題だ!!」
霊安室を出たときだった。
まばゆい懐中電灯の明かりが自分の顔を照らした。
「お前! ここで何をしている!!」
「くそっ!!!」
運悪く巡回中の警備員と鉢合わせしてしまった。
必死に逃げようとしたがすぐに警報を鳴らされてあえなく捕まってしまった。
取調室に幽閉されると、怖い顔の刑事がやってきた。
「貴様、あの霊安室でなにをしていた?」
「別に何も?」
金品を奪ったり、遺体を傷つけたりはしていない。
なにをどうしたって罪に問われるわけはない。
「しらばっくれるんじゃねぇ! 本当のことを言え!!
本当はあの霊安室で死体の臓器を取って、売人に売るつもりだったんだろ!」
「ふざけるな! そんなことするわけない! 証拠があるのか!」
「自分で殺した遺体をこっそり霊安室に入れて証拠隠滅する気だったんだろ!」
「ちがう!! 証拠あるのかと聞いているんだ!」
「死体をこっそり隠して、遺族から回収するために身代金を要求するとかだったんだろ!」
「そんなことするか! だから、なにを根拠にそんなこと言ってるんだ!!」
刑事との問答はまるで噛み合わなかった。
当てずっぽうで犯行を列挙していって、俺が顔色を変えたら「それだ」と特定するつもりなのか。
刑事はとんちんかんな犯行動機を投げかけ続けた。
「証拠はあるのかよ!?」
俺の返答には一度も答えることなく。
問いかけノックが100本終えた頃だった。
「さて……さっきの質問でちょうど100回だったな」
「いったいなにを……」
「お前が否定した回数だよ」
ハッとして右手を開く。
気づいたときにはもう遅かった。
「ま、まさか最初から否定回数を消費するために……。
俺の質問に答えなかったのは自分の回数を使いたくなかったから……!?」
刑事はニイと広角を上げて今度はねっとりした口調で質問した。
「ところで、警察署内で発覚した横領事件に関与したあげく、
さまざまな違法麻薬を国内に仕入れた売人で、
高齢者を狙った強盗犯で、迷宮入り間近の殺人事件の犯人で、
オレが今追っているひき逃げ事件の犯人で
その他もろもろの犯人は……すべてお前で間違いないよな?」
左手「100」 右手「0」
賛成の左手、否定の右手 ちびまるフォイ @firestorage
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