突起

奇数七七

第1話

和子は白い天井を見つめながら、このシーツに茶じみの一つでもついていたなら現実感があるのになとぼんやりと考えていた。もちろん、ベッドのシーツは清潔なものに限るが、あまりにも真っ白なシーツは和子に冷たく、現実離れした印象を与えていた。

和子は手術を受け、ある病院の一室に寝かされていた。包帯が取れさえすれば、退院できるのだが、和子は手術後の容態が安定せず、退院には時間がかかった。


和子の家はいわゆる旧型の家庭であった。今まで、家族の中でこの手術を受けたことのある者はなかったのだが、和子は時代の急激な変化に合わせて手術を受けることを決意したのであった。

新型の人間と言われる人間たちは、遠い彼方の星からやって来た生物を先祖に持つ者たちである。彼らは厳密には人間ではないのだが、見た目や言動には人間と差異がなく一般的に人間として扱われた。


彼らには耳の近くに小さな突起があった。この突起があることによって、口を動かすことなく意思伝達ができるのだ。意思伝達は突起がある者同士でしか行うことができない。彼らの人口が増加し、社会的な影響力が強まった今では、その突起を手術によって取り付ける人間が増加した。意思伝達によって彼らと円滑にビジネスを進めるためだ。


ようやく容態が安定し、和子は退院することが出来た。


「初期設定は突起を軽く引っ張って、行ってください。後の使用方法については突起の中に組込まれているのでわかるはずですよ」


太りぎみの医者は自分自身の突起を軽く引っ張るジェスチャーをして見せた。

和子には、医者の突起が後から取り付けたものなのか、初めからあったのかわからなかったが、そんなことはどうでもよかった。


自宅に戻ると、和子は医者に言われたとおり、突起を軽く引っ張って、初期設定を開始した。


「こんにちは。初期設定を開始します。」


軽やかな女性の声が頭に直接入ってきた。

和子は素直に驚いた。

周りに人がいたとしても、きっとこの声は聴こえていないのだろう。自分だけに聴こえる声。そう思うと和子は少し不思議な心地になった。


「音量の調節は突起を軽く押して行ってください。左の突起を押すと音量が小さくなり、右の突起を押すと音量が大きくなります。」


和子が右耳近くの突起を軽く押すと、女性の声が少し大きくなった。


「私たちはあなたのサポートとしてチャンネルをいつも用意しています。私たちのチャンネルをお聴きになる時は両方の突起に触れてください。それでは初期設定を終了します」


オルゴールの穏やかな音が流れて、初期設定は終了した。和子はさっそく両方の突起に触れてみた。


「こんにちは!あなたの生活に寄り添う丸星ショッピングです」


男性の陽気な声が聴こえてきた。

あれ、ショッピングチャンネル……?和子が少し不満に思うと音声が切り替わった。


「こんにちは。午後のニュースをお知らせします」


硬い声色の声が聞こえてきた。

自分の気持ちと連動してチャンネルが切り替わるのだ。和子はそう気がついた。いわばラジオのようなものだ。無意識にいくつものチャンネルを切り替えると和子にとって興味深いものが一つ見つかった。


そのチャンネルでは和子が今までに利いたことがないような素敵な音楽が流れていた。その音楽を聴いているとあまりの心地よさに心や体が溶けだしそうになった。

和子は夢中になった。周りの者には聴こえないのだから、ほぼ四六時中聴いていることができた。


1カ月がたち、和子はすっかり突起のある生活に慣れていた。

和子がいつものように、チャンネルから流れる音楽を聴いていると、突然、音声にノイズが入った。和子は試しにチャンネルを切り替えてみたが、どのチャンネルもノイズが激しくまともに聴けるようなものはなかった。


…意思伝達用の情報とチャンネルの情報が混線したのだろうか。

意思伝達は突起を持つ者同士で行うことができた。周りに突起を持つ者が多くいても、すべての情報が入ってくるわけではない。自分に向けて発信されたものだけが入ってくるのだ。


ビビビ……

低い音がなり、音声が一瞬だけ元に戻った。


……ておく…だった。

やめ……ておくだ…。


かすかに人の声が聞こえる。

……やめておく?そう聞こえるのだが、いったい何をやめるのだ?和子は見知らぬ声を不気味に感じた。

しばらくノイズが続いた後、チャイムのような音がなって、もとのチャンネルが再開した。


チャンネルが再開したので、和子はチャンネルを食事も忘れて聴き続けた。

そうして、どれくらいの時間がたった後だろうか。和子が、あのメッセージは自分に向けて発信されたものだと気がついたときには、彼女の体はすっかり溶けきっていた。残された頭もあっという間に溶けていき、彼女は形を失った。

彼女の部屋には突起だけが残されていた。


それから数時間後のことである。二人の男が和子の部屋に入り込んでいた。


「いや、思ったより早かったな」

背の高い、顎の尖った男が苦笑した。

「あなた、また 、それを回収するんでしょう?」

そう言って顎の尖った男は、太りぎみの男がピンセットでつまみ上げた突起に目を向けた。

「あぁ、政府から委託された仕事だからな。リサイクルよ。リサイクル。また、別の人間にこれを埋め込むのよ。」

太りぎみの男は飄々と答えた。

「それにしても、人間をすべて溶かしきるなんて無理でしょう」

顎の尖った男は苦笑した。

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