第4部

最終話 事態の収拾。そして。

その時のことは、正直言って今でも信じられない、と思う。

よくできたCGを見せられているのかと思ったし、それならば篠宮さんの仲間達まで巻き込んだ壮大なドッキリ作戦だったわけで、それならそれで笑って許せるし、そうであればどれほど良かったかと思う。


昨日、相楽氏を待ちながら俺達は騒動の被害がどれほどまで及んだのかを調査した。

ネット系メディアはくまなくチェックしたし、個人のTwitterやブログまで出来る限り目を通して、怪談ナイトに言及しているものを片っ端からピックアップした。

友人や家族が自殺した、あるいは自殺未遂だった、行方不明になった、気が狂ったように人格が変わった、異常に怯えて外出できなくなった、などなどありとあらゆる情報を集めて、生放送以後に起きた霊障の影響範囲を割り出そうとした。

実際のところ、友人や家族が死にました、という直接的な書き込みは見当たらなかったが、飛び降りて重体だの、手首を切って救急車を呼んだだの、自殺未遂についての書き込みは相当数に及んだ。

「…………」

調べれば調べるほどに気持ちが落ち込んでいく。

霊障に関しては事故扱いとし、俺達に直接の責任はないという局の立場は理解しているし、全ての霊障に責任を取るなんて出来っこない。

それでも俺達がしでかしたことの重大さを目の当たりにするにつけ、吐き気がするほどのプレッシャーを感じていた。


自殺確定 0件

自殺未遂 16件

行方不明の疑い 30件

怪奇現象 100件以上


俺達数人でほんの数時間調べただけでも凄まじい数の書き込みが見つかった。

嘘であってほしい、夢であってほしい、実際には大した被害はなかったのでは、そんな考えを打ち砕くデータだった。

自殺確定が0件なのは、単に遺族に書き込む暇や余裕がないだけだろう。

これだけ自殺未遂や行方不明があって、実際に死んだのは0人でした、なんて考えは都合が良すぎる。

立花さんや高頼寺の人達を含めると、死者は少なくとも10人以上になるだろう。


重苦しい空気のまま調査を続けていると、ふいに篠宮さんが頭を上げ、周りをキョロキョロと見回した。

そしておもむろに「来た……」と言った。

その直後、会議室の電話が鳴り、小林さんが相楽氏の到着を告げた。

小林さんが相楽氏を迎えに出て行き、俺は篠宮さんに何があったのか聞いた。

すごい気配が来たと篠宮さんは言った。

ものの数分で相楽氏が会議室に入ってくる。

一見なにも変なところはない。

明らかに疲れているようだが、それでもしっかりとしているように見えた。

後ろの方で篠宮さんがオエッとえずいたのが聞こえた。


到着した相楽氏から問題の箱と、その中に潜む化け物の話を聞き、篠宮さんが相楽氏のお祓いをするも効果なく、篠宮さんはどこかに電話して相談しているようだった。

麦かぼちゃさん一家がやってきて、お祖父さんや箱についての質問をしていると、突然和装の大柄な男が会議室に入ってきた。

嘉納氏という霊能者で篠宮さんが呼んだらしい。

その後も篠宮さんの知り合いの霊能者が集まり、あれよあれよと6人の霊能者が会議室に集結した。

篠宮さんが騒動の経緯を説明する時、神宮寺氏という霊能者が不思議なことを言った。

「篠宮神社のカミヨメさんだろ?あんたのお母さんが只者じゃないことくらい皆知ってるさ」

篠宮神社?お母さん?篠宮さん、神社の娘だったのか。

さっきも電話でお母さんと言ってたっけ。

篠宮さんに目を向けると、イタズラがバレた子供のような表情で首をすくめてみせた。


霊能者同士で打ち合わせをして、相楽氏を中心に円陣を組むと、突然相楽氏が苦しみだした。

喉元を抑えるようにして身悶えている。

まず背の高い男の霊能者がお経を唱え始め、霊能者それぞれが各々のやり方で除霊を始めた。

てんでバラバラな除霊がしばらく続き、相楽氏がまたしても突然絶叫を上げ、鼻血を吹き出して硬直したとき、篠宮さんが立ち上がって相楽氏の顔の少し前に手をかざした。

あとで聞いた話によると、女の霊の腕だけが現れて、相楽氏の首と顔を思い切り掴んでいたのだそうだ。

その悪霊の手を握り潰したのだと。

すると相楽氏は糸が切れたように後ろに倒れ、駆け寄った霊能者達が相楽氏を介抱する。


ふいに平野氏というおばさん霊能者が憑りつかれたようになり、部屋の隅に物凄く不快な気配が現れたのがわかった。

そして俺達は見た。

髪の長い女が、突如として会議室に現れたのを。

ひっと小林さんが息を飲んだ。

小林さんにも阿部ちゃんにも見えてる。

麦かぼちゃさん一家は抱き合って震えている。

幻じゃない。

霊能者だけじゃなく、俺達全員にあの女が見えているんだ。

その女、女の霊は何もせず突っ立っている。

その目は霊能者達に向けられていて、俺達のことは気にもとめていないようだった。

よかった、と思った。

事態は一向に良くなっていないし相楽氏は顔から血を流してぶっ倒れている。

それでもあの女の霊が真っ先に俺達に襲いかかってこなくてよかった。

嘉納氏が女の霊に向かっていき、俺達は女の霊とは反対側の部屋の隅に移動して壁際に身を寄せ合った。

窓の外は激しい嵐が唸りを上げ、部屋の中がポルターガイストのように荒れ狂った。

小林さんは勿論、麦かぼちゃさん一家も限界だ。

阿部ちゃんはどうにか周りに注意を向ける余裕があるようだ。

何かあったら俺と阿部ちゃんで対処するしかない。

その後に起こったことは、思い返しても全く現実味がない。

おお!という怒声を上げて嘉納氏が女の霊になにやら始めた。

手だけを振り回して踊るような、空手の型のような感じで時折おお!と気合を入れている。

女の霊は嘉納氏に摑みかかろうとするかのように両手を少し前に上げたまま、嘉納氏と一定の距離を保っている。

ボクシングなんかの格闘技で、互いに間合いを図りあっているような構図だった。

そんな光景が続いたかと思ったら、若い女性の霊能者・連雀氏が嘉納氏に駆け寄り何事かを相談する。

そして嘉納氏が怒声とともに女の霊に剣のようなものを突きつける。

その嘉納氏の背中に連雀氏がお札を貼り付けたように見えた。

それまで嘉納氏と一定の距離を取っていた女の霊が後ろに吹き飛ぶようにして消えた。

膠着していたように見えたその除霊、というより対決は、連雀氏の加勢により嘉納氏の勝利で終わったようだ。

悠然と平野氏を囲む輪に戻っていく嘉納氏。

凄腕の霊能者とは我の事と言わんばかりの堂々とした後ろ姿に憧れのようなものを感じた。


しばらくして、憑りつかれた平野氏が正気に戻り、あははと気の抜けた声で笑った。

周りの霊能者達が平野氏を囲んで質問責めにしている。

しばしの問答ののち、篠宮さんと連雀氏が部屋の中に糸を張り巡らせ、しめ縄のように飾りを付けていく。

そして篠宮さんの祈祷が始まった。

部屋の中を歩き回り、神社で神主がやるような感じで祝詞を唱えている。

祈祷が始まってまもなく、部屋のどこからかボソボソという声が聞こえ始めた。

周りを見ると阿部ちゃんや小林さん、麦かぼちゃさん一家も不安げに会議室の中を見回している。

聞こえているんだ。

俺と同じように。

霊感なんてカケラも持っていなくても聞こえるその声は、明らかにこの世のものではない声といった感じで、聞いているだけで不安と恐れを感じる。


「ううぅ……ぁああぁあああ……」

その恐ろしい唸り声が聞こえたとき、小林さんが限界を迎えて気を失った。

麦かぼちゃさん一家を見ると全員が泣いていた。

父親ですらどうしようもないほどに取り乱し、麦かぼちゃさん姉妹は抱き合って泣きじゃくっている。

神宮寺氏と連雀氏が駆け寄ってきて、麦かぼちゃさん一家にお経のような呪文のような何事かを唱えている。

後ろに気配を感じてビクッと振り向くと、笠根氏が小林さんの容体を確かめてから立ち上がってお経を唱え始めた。

お経の響きにかき消されるかのように、部屋中から聞こえていたボソボソという声が小さくなった気がした。


そして篠宮さんが霊の居場所を突き止めたらしく、今度は神宮寺氏がそっちに駆けていき何事か呪文を唱えた。

その途端、「ぬぅぅうぅぅ……!」という大きなうめき声が部屋に響き、目を疑う光景を再び目の当たりにした。

篠宮さんの目の前、少し暗くなっているその空間に、上半身だけの老婆が浮かんでいた。

俺の位置からは遠くて表情の詳細までは見えなかったが、物凄く怖い顔をしているのがわかった。

めちゃくちゃ怒っている、という印象だ。

篠宮さんに居場所を突き止められて怒ってるのか、神宮寺氏が唱えた呪文がマズかったのか、とにかく怒り狂っているその老婆の言葉は、それまでとは比較にならないほどの重圧で俺達にのしかかってきた。


「…………」

体が重く、手足を動かす気力もない。

老婆の姿を見た瞬間から、俺はもう死ぬんだという恐怖が全身を絡めとり、絶望が部屋中を包み込んでいた。

俺だけじゃない。

阿部ちゃんも麦かぼちゃさん一家も、それどころかお経を唱えている笠根氏や他の霊能者ですら、老婆から発せられる恐怖に飲まれてしまったようだった。

その恐怖の震源地に立つ篠宮さんと神宮寺氏。

あの二人はもうダメかもしれない思ったのだが、なんとその篠宮さんが老婆の霊に向かって一歩踏み出した。

続いて神宮寺氏が身振りを交えてお経か呪文のような何事かを呟く。

一度、二度、三度、、、、数度目の呪文を唱えたあと、「シッ!!」と息を切るような音とともに神宮寺氏が手を老婆の霊にさし向ける。

その瞬間、部屋を包み込んでいた威圧感と恐怖が消えたのがわかった。

死にたいとすら思っていた頭の中がみるみる軽くなっていき、やがて漠然とした恐怖を感じるだけの、今にして思えば除霊が始まる前の気持ちに戻っていた。


老婆の霊は徐々にその姿を薄れさせ、今や間もなく消えるだけとなっている。

神宮寺氏と老婆の霊が何事か問答し、そして老婆の霊は完全にその姿を消した。

女の霊の時と同じように篠宮さんが老婆の写真に祝詞を唱えて封印した。

残るはあと一枚、と身構えるも全身を覆う倦怠感で立っているのが辛い。

老婆の霊が消えて気持ちは楽になったものの、体の方はそうでもなかった。

「もう大丈夫。疲れたでしょうから座っていてください」

と言い残して笠根氏が霊能者達の方へと戻っていく。

戦っている霊能者の皆さんには申し訳ないが、椅子を引き寄せて体を預ける。

そうして眺めていると、最後の一枚は特に何事もなく封印できたようだった。


しばらく霊能者同士でワイワイやったのち、篠宮さんがこっちへ歩いてきた。

いつも通りの気さくな顔で「終わりましたよ」と言った。

先ほどの、凄まじい恐怖に向かって一歩を踏み出した、戦士の顔を見たあとだったので、素の篠宮さんの顔を見て一気に力が抜けた。

篠宮さぁぁんと言って泣き出した阿部ちゃんを見て、俺は篠宮さんと顔を見合わせて同時に吹き出した。

しばらく経って麦かぼちゃさん一家も落ち着いてきた頃、小林さんが目を覚ました。

「ど…ど…どうなったんですか?」

状況がわからず焦った様子で聞いてきたので、無事に終わったよと言うと小林さんも泣き出した。

阿部ちゃんも小林さんも、生放送での事故から今まで張り詰めっぱなしで、そうとうキツかったんだろう。

相楽氏も大事には至らなかったようで、その頃には自分の足で立っていた。


明日、麦かぼちゃさんの自宅、林田家に伺う時間などを打ち合わせる。

会議室は部屋中荒れ放題だったし、落下した蛍光灯の修繕なども手配する必要があるので、阿部ちゃんは林田家への訪問は不参加。

小林さんも担当の放送があるので不参加。

番組からの参加者は俺だけ。

箱の仕掛けを見抜いた相楽氏は当然参加。

そして篠宮さんと神宮寺氏が参加することになった。

翌日の集合時刻と場所を決めて、その場は解散となった。


駅前の寂れた商店街の終わり頃、これまた寂れた佇まいの林田写真館という潰れた写真館の前に立つ。

20年以上前に閉店したにもかかわらず今もそのまま残っているのは、写真館を営んでいた林田源三氏がそのまま暮らしていたからだ。

隣には比較的新しい一軒家が建っており、林田という表札が見える。

新築した一軒家に住む麦かぼちゃさん一家と、ほぼ二世帯住宅のような形で暮らしていたのだろう。

まず新しい方の家の呼び出しチャイムを押す。

すぐに応答があり、麦かぼちゃさんが出てきた。

簡単に挨拶を済ませ、早速写真館の中を見させてもらう。

「鍵を持ってきます」

と言って自宅にとって返す麦かぼちゃさんの後ろ姿を見送って、改めて写真館に目を向ける。

白い看板はくすんだ灰色になっており、壁も屋根も同様に年代を感じさせる、見事に古ぼけた昭和の建物だった。

寝たきりだという源三氏の奥さんは新築の家の方にいるらしく、住む者のいないその写真館は、もはや廃墟といっても言い過ぎではないだろう。

昼間だというのにやけに薄暗く、陰気な雰囲気をまとっているように感じるのは、俺がそういう印象を持っているからだろうか。

「…………」

昨日の今日で不安にならないはずないか。

あの恐怖の元凶ともいえる人物の住んでいた家だ。

何が出てもおかしくはないし、むしろ俺達はそのナニかを探し出すために来たのだ。


誰も口を開かないまま、鍵を持って出てきた麦かぼちゃさんの後に続いて、林田写真館の扉を開ける。

左右にスライドする方式の磨りガラスの引き戸を開けると、店舗として使っていたらしい広い土間があり、引き戸と反対側に建物奥へと続く廊下が伸びている。

どこも薄暗く、まるきりホラー映画のセットのようだった。

不気味さに身構えるも、すぐに電気がつけられて陰気な世界が一変する。

屋内は白く清潔に保たれていて、掃除も行き届いている。

生前の源三氏の性格がわかるほどに徹底的に整頓された屋内は、電気をつけたことでその隅々まで光が回り、古いながらもまるで病院か実験室かのような純白の世界を作り上げていた。

奥に伸びる廊下も蛍光灯が付いており、先ほどまでの陰気な印象は拭い去られた。


「こっちです」

と言いながら麦かぼちゃさんが土間に靴を脱いで奥へと伸びる廊下を進んでいく。

俺達は一足遅れてその背中についていく。

いくつかのドアを通り過ぎ、引き戸の襖を開けると、畳敷きの部屋に仏壇があった。

「ここが祖父の自室です」

と言って、俺達が部屋の中に入れるように廊下の奥側に一歩退いた。

振り返ると篠宮さんと目が合った。

お先にどうぞというふうに顎をしゃくってきたので、俺から先に仏間に入った。


10畳ほどの部屋に、冷蔵庫くらいの大きさの仏壇があり、あとはちゃぶ台やテレビなど生活感のある日常品が設置されている。

押入れが開かれており、中は空になっているようだ。

「あの箱は押入れの奥に入ってたんです」

という麦かぼちゃさんの声に導かれるように、押入れの前まで移動して中を覗き込む。

何も入っていない押入れの中から、かすかに不快な臭いがするような気がした。

後ろから肩に手をかけられ、振り向くと篠宮さんが押入れを覗き込んでいた。

邪魔になってはまずいと思い、俺は麦かぼちゃさんと一緒に部屋の隅へ移動した。

篠宮さん、相楽氏、神宮寺氏が何やら会話しながら押入れを覗き込んだあと、部屋全体を眺めてから仏壇の前に立った。

「やっぱコレだよなぁ」

神宮寺氏が誰にともなく呟く。

相楽氏が屈んで仏壇を覗き込む。

「お位牌なし。御本尊は掛け軸。阿弥陀如来様ですね」

相楽氏が解説してくれる。

「仏壇に特におかしなところは見当たりません」

篠宮さんと神宮寺氏も仏壇を覗き込んでいるが、特に何かを発見した様子はない。

「これはなんだ?」

と神宮寺氏が仏壇の下方を指差した。

「引き出し、ですね」

篠宮さんが答える。

見ると仏壇と同じような飾り彫りの入った引き出しがあって、鍵穴が付いている。

篠宮さんが手をかけて引くも、鍵がかかっているようで引き出しは動かない。

フームとため息をついて神宮寺氏が引き出しをガチャガチャと動かす。

「呪いの類でも仕掛けてあるかと思ったが、物理的な鍵だったか。参ったねこりゃ。仏壇を壊すのも気がひけるしなあ」

「やめてください。仏罰が当たるのは勘弁願いたい」

と相楽氏。

「ここの鍵はあるの?」

篠宮さんが麦かぼちゃさんを振り返って聞く。

麦かぼちゃさんは困った顔で首を傾げた。

「全然わからないです。ちょっと親に聞いてみますね」

そう言ってスマホを取り出し電話をかけた。

しばしの問答を経て電話を切る。

「両親も知らないみたいです。仏壇を壊しても構わないって」

相楽氏がウムムと唸る声がした。

「カギ屋さん……読んでみます?」

何も考えずに言ったその一言で、全員の視線が俺に集中した。

「それだ」

神宮寺氏が指をパチンと鳴らして俺を指差した。


30分もしないうちにカギ屋さんが到着し、相楽氏が簡単にお経を唱えたあと、引き出しの鍵の解錠に取り掛かった。

特に苦労する様子もなくあっさりと鍵は突破され、引き出しが開かれた。

支払いを済ませてカギ屋さんが颯爽と帰っていき、俺達は改めて引き出しの中を確認する。

印鑑やらなんやらの他に、書類が入っているらしい大きめの茶封筒があった。

茶封筒には何も記載されていない。

中身を取り出すと、林田源三殿、という書き出しの手紙が入っていた。

筆書きの、かなり古い手紙だ。

古臭い言葉遣いをなんとか読み解く。

要約するとこう書かれていた。


林田源三殿。

先日の熊野における回峰行では君の真摯な姿勢に感銘を受けた。

命の危険すら恐れぬ熱心さは誠に御見事と言うほかない。

そこで君に一つの仕事を頼みたい。

成仏できない哀れな霊を呼び集め慰霊する箱を送るので、ご自分の職を活かして心霊にまつわる写真を収集し溜め込むように。

充分に時が満ちた暁には、一斉供養のために本部から箱を頂戴しに伺う。

それまでは写真を入れる時以外、決して箱を開けてはいけない。

中に招いた霊が邪霊の類で外に逃げ出してしまえば、周囲に不用意な霊障を引き起こす可能性があるため、厳重に管理されたし。

これは当宗開祖である天道実光兼房先生に現れた熊野大権現によって授けられた、霊魂救済の使命を全うするために絶対不可欠な秘術であるから、ご家族と言えども決して他言せぬように。

ゆめゆめ怠ることなく精進されたし。

というような内容だった。


天道宗本部、小木勘助の署名と共に神奈川県から始まる住所が記載されていた。

消印の日付は昭和45年。

その時から霊を集めていたということか。


「確定だな。あの箱はきっちり意図を持って作られたもんで間違いない」

神宮寺氏が誰にともなく言った。

「しかもまったく逆の説明をしています。成仏出来ない霊を集めて慰霊するなど、あの箱に施された仕掛けを考えればありえない」

相楽氏が答える。

声に怒りが感じられる。

「この手紙を送った奴があの箱を作ったのか。天台宗とか言ってたが、ちと違うな」

「天道宗。聞いたことない宗派です。阿弥陀如来様をお祀りしていたり、微妙に天台宗を偽装しているようで、そこにも悪意を感じますね」

「天道…さねみつ?…かねふさ?…篠宮さんは聞いたことあるかい?」

「いえ。私も初めて聞く名前です」

「手紙を送って寄越したのが昭和45年。少なくともその時はこの団体は活動していたわけだ。今はどうなってる?」

「不明ですね。今も活動しているならウェブサイトくらいありそうなものですが、スマホで検索してみても何も出てきません」

さすが篠宮さん、調べるのが早い。

「神奈川か。これから行ってみるか?」

「行く必要はあるでしょうが、もう少し情報を集めてからの方が良いでしょう。どう考えても邪教です。訪ねて行くにしてもどんな危険があるかわからない」

「だよなあ」

それに、と相楽氏が続ける。

「この団体がなにがしかの意図を持ってあの箱を作ったわけです。となるとあの箱がここに送られた物のみであるとは限らない。むしろ……」

その言葉に場が凍りついたように感じた。

あの箱が他にもある。

一つや二つではなく、十、あるいはもっと。

「…………」

昨日の恐怖を思い出す。

あんなものがまだあるというのか。

もしもそんなものを怪しげな団体が管理しているのだとすると、尋常な事態ではない。

そら恐ろしい感覚とともに沈黙が続く。


いずれにせよ、と神宮寺氏が沈黙を破る。

「大昔からそんな団体が何かしていたとしてだ、今すぐどうのということはないだろう。なんせそいつらはもう何十年もやり続けているわけだ。今も存在しているならな」

その言葉に相楽氏が同意する。

「そうですね。怪しげな集団が危険な呪物を作っていた。今も作り続けている可能性がある。その事実を周知して注意を呼びかけましょう。少なくとも友人知人の間では情報を回しておいた方がいい」

「だがラジオで放送しちまった以上、林田家の箱が持ち出されて高頼寺に預けられたのは連中も気づいているだろう。それで何かしら動きがあるかもしれん」

「たしかに。燃えてしまったと考えているかもしれませんが」

「今すぐどうこうはないにせよ、連中からの接触はあるかもしれないな。警戒くらいはしておこう」

相楽氏と神宮寺氏の問答を黙って聞いていた篠宮さんが手を挙げた。

「天道宗については調べを進めるにして、とりあえず今日のところはどうしますか?」

「引き出しの中はこれだけです。これ以上は情報は出てこないでしょうね。ご家族にも秘密にしていたわけですから、聞いても何も出ないでしょう」

相楽氏が答える。

「とりあえずは撤収だな。お嬢さん、この手紙を預かってもいいかな?」

神宮寺氏が麦かぼちゃさんに尋ねる。

「え?……あ……はい、どうぞ」

麦かぼちゃさんに異論はなさそうだ。

そりゃそうだろう。

話の規模が麦かぼちゃさん一家の手に負える範疇じゃない。

お祖父さんだっておそらくは騙されていたわけだから、思想も何もあったもんじゃない。

いつごろその天道宗とやらに入信したのかは不明だが、麦かぼちゃさんの両親に聞いても情報が得られるとは思わない。


「…………」

事の真相は謎のままだ。

だがとんでもなくヤバイというのは間違いない。

国内にテロ組織があるかもしれないのだ。

テロまでは考えていないにしても、異常で危険な呪物を作っていたカルト団体がかつて存在したのは事実だ。

そいつらは今も活動しているかもしれない。

それこそ警察に相談するレベルの話だ。

心霊なんて相手にされるわけないだろうが。

「…………」

胸の奥に重くのしかかる不安を抱えたまま、俺達は林田写真館を辞した。

互いに挨拶を済ませ、それぞれの帰路につく。

俺は篠宮さんと明日の打ち合わせをして別れた。


翌日、俺は阿部ちゃんと篠宮さんと共に九州に飛んだ。

篠宮神社と書かれた鳥居をくぐる。

観光地になるような大きな神社ではないものの、地域に根ざした由緒ある神社なのだそうだ。

なんというかこう、たたずまいに雰囲気がある気がする。

神社の後ろには山がそびえ、空と山と神社のバランスが絶妙で美しい。

山から爽やかな風がザアッと吹いてきて肌を撫でる。

良い神社だと思った。

心地よい風に髪をなびかせて篠宮さんがくすぐったそうに目を閉じる。

戯れているのかもしれない。

生まれたときから共に過ごしてきたという、この神社の祭神と。


篠宮神社。

飛行機の中で篠宮さんから説明を受けた内容は、にわかには信じられないものだった。

30年以上昔のこと。

昭和の終わりの頃。

この町を大災害ともいえる災厄が襲った。

それは歴史的にこの町を呪う怨霊の仕業であり、他の地域には何の影響もなかったものの、この町の住人を恐怖のどん底に叩き落とした。

祓うことは出来ず、逃げることも許されない。

町そのものの滅亡を望む大怨霊のもたらす厄災を、2人の巫女がその身を捧げて町の身代わりとなって町を救った。

その事件で身代わりとなった巫女の生き残りが、篠宮さんの母上であるという。

その献身の結果、篠宮さんの母上は篠宮神社の神嫁として、祭神と深く合一したまま現在に至る。

そしてその事件の全てを見届け、篠宮さんの母上を間近で支え続けたのが篠宮さんの父上であり、現在の篠宮神社の神主を務める篠宮慶宗氏であるという。

知る人ぞ知る日本有数のパワースポットであり、その霊験を伝え聞いた相談者が絶えず訪れる神頼みの聖地。

それが篠宮さんの生家であるのだそうだ。

そんな家で育ったものだから、篠宮さん自身も両親と同じように祭神の加護をモロに受けているという。

篠宮さんの姉妹も同様に霊を見る力があり、神嫁である母上が自ら手がけた特製の御守りを持ち歩いている限り、常に祭神の護りが付いて回るとのことだった。


「おかえりなさい」

唐突にそう声をかけられ、ギョッとして声のした方を振り向くと1人の女性が立っていた。

声を発するまで全く気づかなかった。

気配がしなかったのではない。

今だからわかるが、最初から、鳥居をくぐった時からこの人の気配に包まれていたのだ。

この神社の空気をそのまま人の形にしたような、だからこそ神社の景色に溶け込んで注目することがなかった、その人の気配。

ギョッとしたものの、気がついてしまえばなんてことはない、普通の女性だ。

年の頃は40前後と言いたいところだが、篠宮さんの話によると50は超えている筈だ。

美魔女、というには垢抜けていないし、単なる童顔というわけでもない。

不思議と歳をとるのが遅かったんです、という感じだ。

神嫁。

この人が篠宮さんのお母さんに違いないだろう。


「ただいま~お母さん!」

篠宮さんが気の抜けた声で呼びかけて近寄っていく。

娘に笑みを返したその人は、俺と阿部ちゃんに顔を向けてペコリと頭を下げた。

「はじめまして。水無月の母の篠宮皐月と申します。ようこそおいでくださいました」

まるで旅館の女将のように流暢に挨拶の言葉を述べる。

来客に慣れているのだろうが、その柔らかで険のない挨拶にすっかり緊張感がほぐれてしまった。

「はじめまして。近藤と申します。この度は突然のお願いに対応していただきありがとうございます」

そう言って頭を下げる。

隣で阿部ちゃんも頭を下げている。

「ご祈祷を撮影するのを提案したのは私ですから。お気になさらないで。さ、中へどうぞ」

そう促されて、本殿とは別の建物へと案内される。

「お父さんは?」

と篠宮さんが母上、皐月さんに問いかける。

「病院に行ってる。電話で話したでしょう?とても大変な人が来てるって。その人が昨日入院したのよ」

「あー……そんなにヤバイの?」

「もう大変も大変。一回や二回ご祈祷したくらいじゃビクともしないのよ。古い因縁があるみたいで。昨日なんか四つん這いで壁を走ったのよ。それで天井まで行ったところで落っこちちゃって骨折」

「うへ。動物の霊?」

「狐だと思うけど、ご祈祷すると隠れちゃうのよねえ」

「前田さんの神様にお願いしてみるとか」

「タラチヒメ様?お母さん直接お会いしたわけじゃないからからダメだと思う」

「あんた誰ってなっちゃう?」

「それで済めばいいけどね。とても怖い御方だから下手したら命を取られちゃうかも」

「…………」

おっとりした口調ながら話している内容は素人にはついていけないものだった。

そんな調子で一般人とはかけ離れた親子の会話を聞きながら廊下を進む。

通された部屋は応接セットが置いてある事務所のような部屋だった。

着席を促されてソファに座る。

俺と阿部ちゃんの対面に篠宮さんと皐月さんが座った。

改めて挨拶をし、一連の経緯を俺から説明した。

皐月さんは何度も頷きながら黙って全てを聞いた後、何度かの質疑応答をしたのち「わかりました」と言った。

「それではお焚き上げとご祈祷の準備をしてきますから、こちらでお待ちください。それとも何か準備をなさいますか?」

そう聞かれたので、カメラ機材の準備をしたいと伝えると、篠宮さんに俺達を本殿へ案内するよう言って、皐月さんは部屋から出て行った。


本殿へと入ると、超デカイ神棚の真ん中に丸い鏡が祀ってあった。

篠宮さんがとても深いお辞儀をしたので俺達もそれにならう。

90度まで腰を折るお辞儀を2回、ゆっくりと2度手を打ち鳴らして、またお辞儀。

拝礼というやつだ。

今までも神社に参拝した時は見よう見まねでやっていたが、御神体を目前に初めて本物の拝礼を体験して、俺は好奇心がムズムズと掻き立てられるのを感じた。

腰を90度に折るお辞儀がこんなにキツいとは思わなかった。

「じゃあ、準備しちゃいますか」

と篠宮さんが言った。


カメラを3台。

マイクを1つ。

祈祷の邪魔にならないように工夫しつつ配置する。

リアルな祈祷とできるだけ同じような目線の映像にしたかった。

ホラー番組の撮影前などに祈祷してもらう際、祭壇を背にした神主が祝詞を唱え大幣を振って、参加する俺達は軽く頭を下げて祈祷が終わるのを待つ。

その位置どりを再現した。

最奥に祭壇があって、その前に皐月さんがこちらを向いて立つ。

そして祈祷を受ける位置でハンディカメラを三脚に固定してセッティングする。

左右から本殿全体を映す映像と、お祓いを受ける正面の位置から皐月さんのみを映す配置だ。

俺と阿部ちゃんもそのカメラの後ろに立って祈祷を受ける。

SDカードを初期化して、バッテリーが100パーセントであることを確認して、レンズその他に問題がないかをチェックして、準備が整った。

振り向いて外の境内を見る。

よく晴れた空の下に拝殿と白い参道があり、神社の周りを木で囲われ外界は見えない。

まるで日本の原風景のような、心から落ち着くその光景にため息が出る。

フワッと後ろから風が吹いた気がした。

「…………」

ありえないでしょ。

境内は目の前に広がっていて、後ろには御神体しか………。

恐る恐る振り向くとそこには確かに祭壇と御神体の鏡しかなかった。

「いい眺めだろう?」

そう言われている気がした。


程なくして皐月さんが巫女の装束姿で本殿に入ってきた。

御神体に拝してから俺達に向き直り、「まずは写真のお焚き上げをしましょう」と言った。

俺達は全ての機材のスイッチを入れ、録画を開始する。

男性の若い神職さんが大きな皿のようなものを捧げ持って本殿に入ってきた。

もう一人の男性の神職さんが、木で出来た譜面台のようなものを持って後に続く。

石でできているらしい大きな皿状の器の上に、細く割かれた焚き木のようなものが入っていて、その焚き木にライターで火をつける。

キャンプファイアーのミニチュア版のような感じだ。

その横に木の譜面台らしきものを立てる。

火をつけた神職さんが篠宮さんに顔を向け、うなずくように軽いお辞儀をした。

篠宮さんが鞄から写真の入った封筒を取り出す。

中から三枚の写真を取り出して神職さんに手渡すと、受け取った神職さんが譜面台らしきものに写真を並べる。

その写真に向かって皐月さんが大幣を振ってから祝詞を唱える。


短い祝詞が終わり、神職さんが写真一枚一枚を丁寧に火にくべる。

あっという間に燃え上がった三枚の写真は、ものの数秒で灰へと変わった。

皐月さんが改めて短い祝詞を唱え、御神体に拝してから俺達に向き直り、「終わりました」と言った。

神職さんが火の消えた石の器と譜面台を持って本殿から出ていく。

恐怖の対象だった三枚の写真は、あっけないほどに綺麗サッパリなくなった。

灰はしばらく本殿に安置したのち、海に流すのだそうだ。


皐月さんは改めてカメラの前に立ち、「それではこれからお祓いのご祈祷をさせていただきます」と言った。

「お願いします」と皐月さんに軽く頭を下げてキューを出すと、皐月さんはゆっくりと頭を下げてお辞儀し、祝詞を唱え始めた。

ここからが本番だ。

3台のカメラすべてに録画中であることを示す赤いランプが灯っている。

俺たちは息を殺して、祝詞を唱える皐月さんを記録する。

皐月さんは5分ほど祝詞を唱えると、「これから柏手を打ちます。映像をご覧の方も同じように手を打ってください」と言った。

ゆっくりと両手を胸の前に上げ、パンッと大きく音を響かせる。

再びゆっくりとした動作で両手を広げ、パンッと打ち鳴らした。

そしてもう一度。

三度手を打ち鳴らして、皐月さんは頭を下げる。

そして頭を上げ俺を見て、「終わりました」と言った。

俺は想像していた。

願っていた。

この映像を観るリスナーさん達が、皐月さんと呼吸を合わせて柏手を打っている姿を。

祈祷が効くかどうか俺にはわからない。

しかし俺の手にあまる範囲まで広がってしまった霊障を、皐月さんの祈祷が祓ってくれるのを祈っていた。

パソコンやスマホの前で柏手を打っているリスナーさんの姿を想像して、その音と共にリスナーさんに憑いた障りが打ち祓われるのを祈った。

引き起こしてしまった事態を前にどうすることもできない自分の無力さを痛感し、皐月さんの祈祷にすがる気持ちで胸がいっぱいになって、涙が溢れた。

涙は次々に雫となって流れていく。

顔を拭い鼻をすする俺を阿部ちゃんや篠宮さんが心配そうに見ている。

恥ずかしかったが涙は止まらなかった。

「あれ…なんだこれ…はは…おかしいな…」

照れ隠しに意味のないことを呟くも、涙声になってしまって、いっそう恥ずかしくなる。

いつのまにか皐月さんが目の前に立っていた。

そして手を伸ばして俺の頭に手のひらを置いた。

じんわりと暖かな手の温度が伝わってくる。

「ずっと怖かったですよね。映像を観てくれた方達はもう、大丈夫ですよ」

皐月さんの声が聞こえる。

いい歳して頭をヨシヨシされて、そのまましばらく泣いた。


ひととおり泣いて落ち着きを取り戻した俺は、頭を撫でてくれる皐月さんに頭を下げて、暖かい手の感触から逃れた。

「ありがとうございます」

そう言って鼻をすする。

「ご祈祷をネットで流してください。出来るだけ沢山の人が観てくれるように頑張ってくださいね」

その声に「はい」と答えて皐月さんの目を見る。

皐月さんは優しい顔で頷いた。


無事に撮影を終え、皐月さんに心からのお礼を伝えて帰宅する。

編集は阿部ちゃんと篠宮さんに任せることにした。

翌日から編集作業を開始するらしい。

それとは別に篠宮さんは天道宗について調べるつもりのようだ。


俺は週末の放送に向けて事件の全容をまとめることにした。

できるだけ騒動の全てをリスナーさん達に公開するつもりだが、言えない部分もある。

麦かぼちゃさんのお祖父さんが怪しげな宗教に加入していたこと。

そのカルト宗教の指示によって霊体で蠱毒を行なったこと。

そのような箱がまだあるかもしれないこと。

これらは公開することに決めた。

立花さんのことは伏せなければならないが、昨日の夕方に目を覚ましたという連絡を、先ほど受けた勧請院さんのことは話してもいいだろう。

皐月さんの素性も伏せなければならない。

霊能者数名による合同の除霊で箱の中の霊達のボス格の霊を封じたことは面白おかしく話すことができそうだ。

そこまでまとめて、俺は勧請院さんのいる病室を尋ねることにした。


午後、昼下がりの陽光が差し込む病室のベッドの上で、体を起こした勧請院さんが母親と話をしている。

俺に気づいた勧請院さんが軽く頭を下げて挨拶してくれる。

母親は退院の手続きをするために席を離れた。

生放送の日が初対面だったわけで、収録以外で勧請院さんと面と向かって話すのはこれが初めてだ。

とりあえず椅子を引き寄せて座ったものの、お互い何を話せば良いか分からず、いきなり沈黙が降りる。

まずは俺から謝罪した。

迂闊な放送で危険な目に合わせたこと。

立花さんのこと。

勧請院さんも自身の役不足を謝罪してくれた。

その後の顛末を話そうとしたが、全部知っているという。

誰かから聞いたのか?

いや、でも目を覚ましたのは昨日の筈だ。

母親が俺以外、例えば小林さんに連絡を入れたのかもしれない。

だとしても小林さんは局の仕事があるし、俺に連絡もせず一人で勧請院さんの見舞いに来たというのか。

それで事の顛末を話した?

「…………」

どうにも腑に落ちない。

俺の駆け巡る思考を制するように、勧請院さんは「見てましたから」と言った。

「えっ?」

なんだ?

「ずっとここで眠っていましたけど、全部見てたんです」

「お父さんが事故で死んじゃって、お寺が燃えて、そこにいたお坊さんに憑りついて、テレビ局に行ったら霊能者に囲まれて、左手を握りつぶされて、そのせいで厳ついオジサンの霊能者にやられちゃって、写真を封印された」

言いながら、それまで布団の中に入れていた両手を出して布団の上に置いた。

俯き加減に視線を落とし、ギブスで固定された左手首を右手で触っている。

「…………」

なんだこれ?

この気持ち悪さ。

「倒れた時に頭を打ったけど今はなんともないです。でもあの女に折られたこの手が痛くて」

そう言ってギブスをさする。

「…………」

心臓が早鐘を打ちはじめる。

おかしくないか?何がおかしい?なんだこれ?勧請院さんは手首なんて怪我してない。倒れた時に?いやそんなはずない。検査では何事もなかったはずだ。あの女?あの女って誰だ?篠宮さん?篠宮さんに折られた?手首を?それって……。

俯いていた勧請院さんがゆっくりと顔を上げた。

手首を凝視していた俺もゆっくりと視線を上げる。

そこには勧請院さんではなく、あの女の霊の顔があった。

目があうとグニャリと顔を歪ませて笑った。


ひっ!と思わず声を漏らしながら後ろに下がる。

座っていた椅子に足を取られて後ろ向きに倒れた。

思いきり尻もちをついたせいで尻から脳天まで突き抜けるような痛みが走る。

それでも目の前の光景から目が離せない。

なんだこれは!?

さっきまで勧請院さんがいたベッドには今あの女の霊が座っている。

病院の検査服を着たままで、さっきまでの勧請院さんと同じ格好で、それでも勧請院さんとは全然違う、顔も髪の長さも全く違う、あの時封印されたはずの女の霊が、そこにいて俺を見ていた。

「うわっ!………う……う…わ………」

なんだこれ!?なんで?勧請院さんは?なんでこの女がここに?なんで?おかしいでしょ!なんでなんでなんでなんで…………!!

ふふ、と笑う声が聞こえた。

気持ち悪い笑みを浮かべた女の霊が、ゆっくりと体の向きを変える。

足をベッドから下ろし、ゆっくりと立ち上がる。

「ジローさん」

そう言って一歩、こちらに踏み出す。

「…う……あ……」

声が出ない。

頭がから回りして何の結論も出てこない。

「ジローさぁん」

あざ笑うかのように甘ったるい声で名前を呼ぶ女の霊が、また一歩こちらに近寄ってくる。

距離は2メートルも離れていない。

また一歩。

尻もちをついたまま後ろに下がる。

手が滑って体勢を崩す。

また一歩。

体勢を立て直そうにも慌ててしまって体がうまく動かない。

それでもこの女から離れたい。

その一心で必死に体を動かす。

また一歩。

まるで悪い夢だ。

体が全然動かない。

「や……やめろ……」

そう呟いたのがわかった。

思考とは別に口が勝手に喋ってるみたいに現実感がない。

また一歩。

とうとう目の前に女の霊が立った。

気持ちの悪いニヤケ顔で俺を見下ろしている。

そしてゆっくりと屈みこんで俺の胸に右手を置いた。

ズシリと、女の霊が体重をかけてくる。

手を置かれただけなのに動けない。

押さえ込まれたのだ、と理解した。

「……やめ……や…めて……」

口が勝手に動く。

頭は働かない。

手足をばたつかせても体が動かない。

女の霊から逃げられない。

女の霊の顔がゆっくりと近づいてくる。

気持ちの悪いニヤケ顔ではなく、俺を観察するような、無表情に近い目で俺の顔を覗き込んでくる。

「……う……うう……ふっ……うぐ……やめて……」

自分でも泣いているのがわかった。

つい昨日、皐月さんの前で流した涙とは全く違う、絶望的な涙が溢れた。

なんでこんなことに。

それだけが思考を塗りつぶしている。

何も考えられない。

殺されるんだ。


……………。


………。


…。


気がつくと俺は病室の床に大の字になって転がっていた。

「…………」

何が起きたのだろう。

涙でボヤける目を拭って体を起こす。

「痛っ!」

ふいに左手首に激痛が走った。

見ると手首が腫れ上がっている。

「…………」

痛みに呻きながら周りを見回す。

女の霊はいないようだ。

勧請院さんはベッドに横になって寝息を立てている。


勧請院さんの母親が戻ってきていないところを見ると、それほど時間は経っていないのだろう。

ふいに体が震え始めた。

思い出そうとしている。

つい先ほどの、恐ろしい記憶が蘇ってくる。

「…………」

あの時、ついさっきだが、まるで夢のようにありえないのに、確かな現実だった出来事を、俺は思い出した。


「教えて?」

女の霊は俺を押さえつけたままそう言った。

嗚咽する俺を観察しながら、あの女は言葉を続けた。

「あの後、私が写真に封印されてからどうなったの?」

ググッと、胸にかかる力が強くなる。

女の霊が顔を寄せてくる。

驚くほど整ったその顔に気を取られて思考が戻ってくる。

こんな状況なのに、相手が美形であると思考が乱れるのは、男の性質だろうか、それとも俺が情けないだけか。

一瞬そんなことを考えて、ようやく頭が働くようになってきた。

そして絶望的な状況に改めて恐怖を覚える。

「ねえ、教えて?」

「あ……あの…」

「殺さないから、教えてくれない?」

「……あの……あ…あの……」

「ねえ、ジローさん」

「わ…わかった……から…」

ようやくそれだけ言うと、胸にかかる力が少し緩んだ。

「あの後……あんたが封印されて…老婆の霊が出てきたんだ。それでみんな死にたくなって……それでも篠宮さんと神宮寺さんが……よくわからないんだけど……何かをして…老婆の霊も封印された」

女の霊が首をかしげる。

フクロウのようにカクッとした仕草に不気味さを覚える。

「それで?」

女の霊が先を促してくる。

「あ…それで……最後の写真も……何事もなく封印して……それで……終わった……と思う」

全く終わってなかったわけだが。

「それだけ?」

「それだけだよ……それだけです……本当に」

「そう。それで?あの箱については調べたんでしょ?」

再びググッと胸に圧がかかる。

「調べた…調べたよ……。ええと……麦かぼちゃさん…あの箱を持っていた人の孫がいるんだけど、その家に行って……仏壇を調べた。そしたらあの箱を送ってきた人の手紙が入っていて、霊を集めるようにって……」

カクッと女の霊が首をかしげる。

その不気味さはどうにも慣れない。

「私達を箱に閉じ込めたアイツね。もう死んでるんでしょ?」

「ああ…死んでる…それで遺品を整理していたお孫さんがウチの番組宛に相談をしてきて……」

「それであの茶番ね。それはわかったわ。それで?」

それで?

それだけだが……。

「誰があの箱を作ったの?」

ああ。

そういうことか。

「それは……俺達もこれから調べるんだけど……天道宗っていう…宗教で……」

「天道……」

女の霊がオウム返しに呟いた。

「知ってるのか?」

思いがけず口にしていた。

この状況で霊と会話をするつもりなのか俺は。

必要なのは命乞いだろうに。

「わからないけど、どこかで聞いたような名前……。その天道について知っている人はいる?」

俺は首を振った。

「なんの情報もない。これから調べるところだから」

女の霊は「そう」と言って黙った。

カクッと首をかしげる。

何かを考えているようだ。

数秒そうして、女の霊は俺の胸の上に置いた右手をどけ、前かがみになっていた体を起こした。

そして寝そべっている俺の左手首を掴んで、言った。

「あの女に伝えてくれる?この痛みは忘れないから、必ず思い知らせるからって」

そう言って俺の手首を引っ張って俺の体を起こさせ、再び顔と顔が近づいて……。


ゴキッと音がして、左手首に猛烈な痛みが走った。


「あああああああああ!!!!!」

絶叫しながら左手首を右手でかばう。

女の霊は俺の手首を掴んだまま離さない。

涙で滲んだ目で女の霊を見る。

女の霊は気持ち悪い笑みを浮かべて俺を見ている。

「やめ…て……やめ……離して……ください……」

涙と鼻水と脂汗で顔が濡れているのがわかる。

女の霊はニヤけたまま俺の顔を覗き込む。

「絶対伝えてね?ジローさん。そうでないと……」

女の顔がさらに近づいてくる。

頭がガンガンと痛む。

息ができない。

ドクンドクンと体の中を血が流れる音が聞こえる。

痛みと恐怖でどうにかなりそうだった。

「とても酷い死に方をすることになるから」

耳元でそう囁かれた。

息ができない。

視界が暗くなっていく。

ダメだ。

死ぬ。


「…………」

そうして目が覚めた俺は、何事もなかったように寝息を立てる勧請院さんを見つめ、先ほどの体験が夢だったのではないかと考える。

しかし左手につきまとう激痛がその可能性を否定する。

「…………」

憑りつかれていたんだ。

勧請院さんは、あの女の霊に。

いつ?

おそらくあの生放送の時だろう。

その後の除霊であの女の霊が封印されたのは間違いない。

その前に憑りついていたんだとすれば。

不意に目の前で眠る勧請院さんが恐ろしくなって、俺は病室を飛び出した。

手首の痛みはますます酷くなっていく。

ナースセンターに駆け込んで、転んで手を折ってしまったと訴え、急患扱いで診察へと回してもらった。

診察と処置を終えた俺は、病室には戻らずそのまま民明放送へ向かった。


「…………」

沈黙が部屋を満たした。

編集ルームで皐月さんの祈祷を撮影したビデオを編集していた阿部ちゃんと篠宮さんに、病室で起きたことを伝えたのだ。

「これからすぐ病院に行きましょう。勧請院さんのお母さんに電話してくれますか?」

少し考えたのち、篠宮さんが言った。

「一刻も早くなんとかしないと。退院されてしまったら探すのも手間ですし」

俺はまたあそこに戻るのかと思うと胃が痛かったが、事態が一刻を争うのは理解しているし、なによりも騒動の行く末をこの目で見ないといけない気がして、その考えに賛成した。

「だ…大丈夫なんですか?その…篠宮さん一人で」

阿部ちゃんが不安そうに呟く。

「わかりません。一応また霊能者の皆さんに連絡してみますけど、勧請院さんのお母さんは退院の手続きをしてたんですよね?それならまずは止めないと」

俺は病院へ電話して、緊急事態なので勧請院さんのお母さんに取りついでもらうよう頼んだ。

立花さんの死を伝えた時と同じ要領だ。

すると帰ってきた返答は「もう退院して帰られました」とのことだった。


「…………」

再び沈黙が降りる。

一足遅かった。

あの時俺が逃げ帰らずに、勧請院さんの母親に病院にとどまるよう説得すれば良かったのだ。

しかし俺は逃げ出した。

恐怖に負けて民明放送へ、篠宮さんのいる所に逃げ帰ったのだ。

「…………」

恐ろしさと情けなさで言葉が出てこない。

申し訳ないと言わなければいけないのに。

「仕方ないですよ。ジローさん骨まで折られてるんですから」

それに、と篠宮さんが続ける。

「手首を折られたのは私への意趣返しですよね。ジローさんは被害者なんですから、逃げて当たり前です」

まるで心が読まれているみたいだ。

勘のいい人というだけでなく、霊的な何かが篠宮さんにはあるのだろうか。

「すいません」

それだけ言うと、篠宮さんは首を傾げてみせた。

あの女の霊とは違って、親愛の情が伝わる可愛らしい仕草だった。


それから篠宮さんは皐月さんと、あの時に集まった霊能者の全員に電話して、事が終わっていないことを伝え、目下の標的は自分であること、勧請院さんの行方を追うこと、必要があれば手を貸して欲しいという旨を連絡していた。

嫌っている風だった嘉納氏にも同じように連絡したようだ。


結局それから勧請院さんが見つかることはなく、娘が行方不明になったと母親から局に電話があった。


金曜夜の放送で、話せる範囲で騒動の顛末を伝えて、改めて謝罪をし、その筋で有名な某神社の巫女によるお祓いの祈祷を収めた映像を配信するので、霊障があろうとなかろうと観て欲しいと訴えた。

お祓い映像の再生回数は数日で10万回を超え、今回の騒動とは別の意味でもバズる結果となった。

今回の生放送で霊障を受けてしまったリスナーさん以外にも、あの映像によって呪いが解けたという人や、長年悩まされていた怪奇現象から解放されたという人からの書き込みが多数寄せられ、ネットでは「あの巫女は誰?」「どこの神社?」「お礼に行きたいので情報を公開して」などでコメント欄がプチ炎上する事態となった。


その結果に篠宮さんはニンマリとしていたが、必ず復讐するという女の霊の呪いを抱えて生きていくことになる不安は多少なりとも感じている筈だ。


天道という人物が作った呪いの箱。

その被害の一例である今回の騒動。

果たして今後どのような事が起きるのか。

または起きないのか。

そら恐ろしい思いは消える事なく頭の片隅に残り続けるだろう。

それでも俺たちは日常に戻る。

いつか訪れるかもしれない恐怖に怯えながら。

知り合った力のある霊能者達との繋がりに希望を見出して。

怪談蒐集家などと大層な肩書きを名乗ってしまっている以上、俺もこの世界から足を洗うことはできない。

なにより俺は今回の騒動の当事者の一人だ。

麦かぼちゃさんのように友人や家族が行方不明になった人達のサポートもしなくてはいけない。

今更被害者ヅラして逃げるなんて許されないだろう。

今後も深夜ラジオ《怪談ナイト》は続けていく。

来るべき新たな心霊災害に備えて警鐘を鳴らしつつ、リスナーさんから寄せられる一つ一つの報告に天道の影がないか探すのだ。


ジロー「えー、それでは今日も番組終了のお時間がやってきました。皆さんも周りに起きる不可解な出来事に注意しながら過ごしてください。何かあれば番組Twitterまで報告してください。特に天道宗についてですね、何かご存じの方がいれば是非情報をください」

これは言ってもいいのかな?と思いながら続ける。

ジロー「それと天道宗の方、聞いてましたら、番組までご連絡ください。『俺達はカルトじゃないぞ』というご意見があればですね、それが正しい意見であれば番組としても正式に謝罪なり訂正なりしなければいけませんので。どうぞよろしくお願いします。それでは「怪談ナイト」今夜はここまでです。また来週!」

小林「また来週!さよならー!」


~終わり~

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