第8話 それでも進まなければ

気がつくと車は停止していた。

後頭部の痛みで現実に引き戻される。

阿部ちゃんはハンドルにもたれかかって肩を震わせている。

「うぅ……」

「痛てて……すいません」

後部座席の皆も生きてるようだ。

まだ少しぼーっとしていた頭がだんだん冴えてきた。

目の前には崖側に大きくひしゃげたガードレールが見える。


…………クソ!


一気に覚醒して車から飛び出す。

壊れたガードレールから崖下を覗くと、100メートルほど下に立花さんの車が見えた。

爆発炎上ということはなさそうだが明らかに大破している。

「…………」

助けなければ。

だがどうやって?

降りるのか?

この崖を?

「…………」

とりあえず警察を呼ばなければ。

救急車も。

ポケットを探ってスマホがないのに気づく。

ああクソ、車の中だ。

急いで車に戻ってスマホを探す。

無い。

ああクソ!

焦るばかりで全然うまくいかない。

ようやく座席の下に転がっていたスマホを探し当てると、すでに阿部ちゃんが警察に連絡してくれていた。

「事故です。すぐに来れますか?場所?……ええと……高頼寺というお寺に向かう道なんですけど……そうです…お寺の……」

スマホの地図アプリを立ち上げ、現在地の住所を表示して阿部ちゃんに見せる。

それを警察に伝えて阿部ちゃんは電話を切った。

「救急車も警察から手配してくれるそうです」


「…………」

全員で壊れたガードレールまで戻って下を覗き込む。

「生きてますかね……」

「わからない、けど生きてたら助けないと」

「……アレのせいですよね」

アレとは、勧請院さんの姿をしたナニかのことだろうか、それとも箱のことだろうか。

「…………」

いずれにせよこのまま警察が来るまで待機、というわけにもいくまい。

崖は断崖絶壁というほどでもなく、徒歩でなら降りていける程度の傾斜になっている。

立花さんの車はこの急斜面を滑り落ちていったのだ。

「とにかく降りてみよう。もしかしたらすぐ助け出さないとマズい状況かもしれないから」

よく、現場を維持しろとか、素人が無理して事態が悪化した、などという話やドラマなんかを見聞きするが、見てみないことにはどんな状況なのかもわからない。

とりあえず降りて状況を確認する。

それで出来ることはするし出来ないことや無茶はしない。

それでいこう。

「…………」

そう決めたものの足が動かない。

高所の恐怖と箱、そして勧請院さんの姿をしたアレに対する恐れが、崖下に降りていくのを躊躇させる。


ふと車の停止する音が後ろで聞こえた。

スタッフ達を乗せたワンボックスがようやく追いついてきたのかと振り返ると、スタッフ達とは違う黒いワンボックスが止まっていた。

民明放送の社用車は白だ。

となるとあれは?

よく見ると車体に高頼寺と書いてある。

「…………」

なぜここに?

と、すぐに車から数人の僧侶が降りてきた。

短髪や坊主頭、作務衣や袈裟を着た5人の僧侶がこちらへまっすぐ向かってくる。

「テレビ局の方ですか?」

運転席から降りてきた坊主頭の僧侶が話しかけてきた。

周りの坊さん達よりも頭一つ低い、40代くらいの小柄な坊さんだ。

「はい、民明放送の者です」

と阿部ちゃんが応じる。


小柄な僧侶はこちらに歩きながら他の僧侶達に何事か指示をして、阿部ちゃんの前に立った。

阿部ちゃんの隣にいる俺にとってもその僧侶は目の前だ。

小柄な体に作務衣という出で立ちだが、肩幅が尋常じゃない。

こんもりと盛り上がった両肩、おそらく筋肉がミッシリとついているのだろう。

体操選手を思わせる体つきだ。

大きな力強い目に生気がみなぎっている。

「相楽といいます。私達は御社からご連絡をいただいた高頼寺から来ました」

そう言って頭を下げる。


「あの、どうして……」

と阿部ちゃん。

「どうもお世話になります。近藤といいます。今大変なことになってまして、そちらに持ち込もうと思っていた箱が車ごと崖下に落ちまして」

会話に割り込む。

相楽という僧侶は俺に顔を向けて大きく頷いた。

「そういうことだったんですね。胸騒ぎがしたのでもしやと思って来てみて正解でした」

ガヤガヤと声が起こり、その声の方を見ると僧侶達が崖から降りていくところだった。

「まずは人命救助。手遅れだとしても問題の箱だけは警察が来る前に回収しておく必要があるので、勝手ながら私達の方でやらせてもらうことにしました」

相楽氏が説明する。

「ああ、いや助かります。俺達だけで降りられるか不安だったので」

「警察は呼びましたよね?」

「呼んでます。五分くらい前ですが」

と今度は阿部ちゃんが答える。

「それならどんなに早くてもあと20分はかかるでしょう。我々が救助するのに充分な理由になりますね」


ものの10分ほどで僧侶達は難なく箱を引き上げてきた。ひと抱えほどもある箱を軽々と持って急斜面を登ってきた大柄の僧侶もまた、並みの身体能力ではないのだろう。

体育会系の寺なのだろうか。

「運転していた人はダメでした。かなり酷い状態で、即死だったと思います」

相楽氏と俺達の前に来た僧侶達の1人がそう告げた。

「わかった。箱は車に乗せておいて。ここで警察を待つから」

と相楽氏が応じる。

流石にその時には合流していた民明放送のワンボックスではなく、高頼寺の車に箱を乗せて、僧侶達は車に乗り込んだ。

程なくして車からお経が聞こえてきた。

乗り込んだ僧侶達が声を合わせて読経しているようだ。

相楽氏は俺達と一緒にいる。

「あの箱が例の箱で間違いないですよね?」

阿部ちゃんと俺に向かって聞いてくる。

「はい」

と阿部ちゃん。

「車の中でお祓いをしてるんですか?」

と聞いてみた。

「いや、また何かされて事故を起こしたら大変ですから、お経をあげて牽制してるんです。主導権はこちらが握っておかないと危険なので」

なるほど。

「警察が来るまでに、なにが起きたのか聞いておきたいのですが」

相楽氏は何でもないという感じで話題を変えた。


俺はこの一連の経緯を全て説明した。

そして先ほどの立花さんの奇行と電話から聞こえた声。

全てを話し終えると相楽氏はフムとため息をついた。

「厄介ですね。霊に取り憑かれた人が自殺に近い死に方をするのはまあ…よくあることですが」

腕組みをして考えながら喋る相楽氏。

「昔はね、よく心霊番組がありましたから、そのスタッフの方々をお祓いしたりしましたし、テレビを見た人が実際に霊に憑かれちゃったようなこともあったと聞いてますけど、インターネットでもそういうことあるんですねえ」

ため息交じりにそう言った。


日は完全に落ちて周りはすっかり暗くなっている。

まばらな街灯と車のヘッドライトだけしかない薄暗い山道に赤い光が混ざっているのに気づいた。

徐々に強くなる赤い光を探してあたりを見回す。

すると遠くからこちらへと近づいてくるパトカー二台と救急車と消防車が見えた。

到着した警察に事情を説明する。

とは言っても心霊関係の話をしても信じてもらえないだろうし、かえって混乱させたり、あらぬ疑いを招きかねないので、立花さんが運転を誤って転落したと説明した。


警察と消防の人達によって立花さんの遺体が引き上げられてくる。

担架に乗せられ布がかけられた立花さんが救急車に乗せられ、サイレンを鳴らさずに救急車と消防車が出発する。

警察が現場を保存している間、俺達全員の身元や事情の聴取を行い、後日連絡があるかもと言って警察も帰っていった。

家族への連絡はどうすると聞かれたので、こちらですると言ったらあっさりと任せてくれた。

勧請院さんが入院している病院の電話番号を調べて、立花さんの奥さんに取り次いでもらう。

立花さんが事故で亡くなったことを伝える。

電話の向こうで泣き崩れる奥さんの声に胸が痛い。

立花さんが運ばれた病院の名前を伝えて電話を切る。

勧請院さんはまだ眠ったままでいるということだった。


「…………」

どうしてこうなった。

始まりはなんてことない心霊写真の相談だった。

いつも通りのリスナー投稿で怖い話を共有するラジオだったじゃないか。

「…………」

麦かぼちゃさんのせいじゃない。

あんなヤバい箱だなんて知らなかったわけだし。

もしかしたら麦かぼちゃさん達が危険な目に遭っていたかもしれないのだ。

「…………」

俺のせいだろうか。

番組で面白おかしく扱ったからあの箱の霊達を怒らせてしまったのか。

右京さんを呼んで鑑定するのを言い出したのも俺だ。

抜け殻なんて言い方をされて怒ったのだろうか。

それなら右京さんは無事でいるだろうか。

「…………」

阿部ちゃんは、小林さんは、リスナーさん達は、大丈夫なのだろうか。

そこまで考えてふと思い出した。

現実を見るのが嫌で今日まだ開いていなかったツイッターを起動する。

ものすごい数のリプライが来ている。

ざっと目を通してため息をついた。


『身体中に湿疹が出来て痛いし痒い。朝から病院だったけど原因不明』

『ジローさんへ。寝ると金縛りにあってなんか老婆?の声がします。眠れなくて辛いです。どうしたらいいですか?』

といった報告や相談もあるが、

『ジローさんのせいで友達が行方不明になりました。責任取れるんですか?』

『ライブ中継を企画したやつ殺したい。マジで。本当に祟られるなんて思ってなかった。もう限界』

『あのさあ、説明も謝罪もなし?人が死んでるのにだんまりなわけ?』

のように俺や番組の責任を追及する内容も多い。


「…………」

ほんの数秒ツイッターを見ただけで全身にのしかかるような疲労が襲ってきた。

最悪だ。

どうすればいい?どうすれば………。

どうしようもない不安と焦りで頭が燃えるようだ。


「では我々も出発しましょう。夜の京都は妖の住む世界ですから。山中に長居しない方がいい」

悶々としていると相楽氏が声をかけてきた。

「あ…ああ…そうですね」

我にかえって返事をする。

「…………」

ネガティブ思考に飲まれていた。

我ながら情けない。

疲れているんだろうな。

「…………」

俺だけじゃない。

皆疲れ切っているはずだ。

改めて阿部ちゃんやスタッフ達を見る。

誰もが同じように暗く疲れた顔をしている。

スタッフの中には徹夜明けでここにいる奴もいる。

皆辛いのだ。

俺だけじゃない。

特に阿部ちゃんは世間に対して責任を負うとまで言ってくれた。

「…………」

進むしかない。

ここにいても何にもならないし、時間が経てば経つほど被害は大きくなる気がする。


ツイッターを閉じて深呼吸する。

ネガティブを無視してやるべきことを考える。

高頼寺へ行き箱をお焚き上げしてもらう。

お祓いを受けて俺達の身を清める。

リスナーさん達に及んだ被害をなんとかするために高頼寺の人に相談する。

ダメならなんとかできるまで手段を探す。

来週の放送までに全てを終える。

そして来週の放送で全て洗いざらい報告するんだ。

傷ついたり、下手すれば亡くなってしまったリスナーさん達のために、勧請院さんや立花さんのために、そして何より俺自身のために、やるべきことをやろう。


深く息を吸い、長く吐き出す。

背筋を伸ばして、顎を上げて皆を見る。

「よおし!行くよ!」

腹から声が出た。

驚いたように俺を見る阿部ちゃんやスタッフ達。

小林さんが悲しそうな、ぎこちない笑みを浮かべて頷いてくれた。

ネガティブ思考に飲まれているのを見られてたのだろうか。

だとすれば少し恥ずかしい。


それぞれの車に乗り込み、高頼寺の先導に従って車を出発させる。

恐れも迷いも消えることはない。

それでも進まなければ。

暗闇の山道を見据えて、俺は拳で自分の太ももを叩いた。

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