第7話 つきまとう怪異

快調に高速を飛ばして昼過ぎには名古屋を通過。

高速を降りて国道へ入り、しばらくして山の中へと進んでいく。

だんだんとカーブが多くなっていき、人里離れた山道をひた走る。

山に遮られて日の光が届かない山道は薄暗く、ヘッドライトをつけても充分に注意しなければならない。

のだが、後ろからついてくる立花さんの車間距離がやけに短い。

煽っているようにぴったりとついてくる。

カーブに差し掛かるたびにブレーキを踏む阿部ちゃん。

当然だ。

しかしその度に立花さんの車と接触するんじゃないかとヒヤヒヤする。


「くっ……」

阿部ちゃんのストレスも相当なはずだ。

煽られて自然とスピードが上がってしまう。

立花さんの急ぎたい気持ちもわかるが、これじゃあ事故につながりかねない。

後ろに乗る小林さんもスタッフも車酔いでグッタリしている。

他のスタッフ達を乗せたワンボックスはもうすでについてきていない。

「阿部ちゃん、構わないからちょっとゆっくり行こう。立花さんの気持ちもわかるけど…」

と言っていたらヴヴヴとスマホが鳴った。

着信はなんと立花さんからだ。

運転しながらかけてきたのだ。

「も、もしもし…立花さん…ちょっとスピード緩めていきましょう。カーブが多くて具合悪くなってきた」

「いやあ、私もそう思ってたんですよ。雨も強くなってきたし、ちょっとゆっくり行きましょうね。それじゃまた」

そう言って電話が切れた。


「…………」

何言ってんだ?

雨なんか降ってない。

ふざけてるのだろうか。

そして俺はありえない光景を見た。

後ろにピッタリくっついてきていた立花さんの車が、俺達が乗った車を追い抜きにかかったのだ。

ゆっくりと言ったばかりなのに。


狭い山道でカーブの連続だ。

対向車が来ていたら間違いなく大事故になる暴挙とも言える行動に唖然となる。

慌てて阿部ちゃんが減速して立花さんの車をやりすごす。

対向車線側から追い抜かれる瞬間、抗議の意思を込めて立花さんを睨みつける。

そして全身に鳥肌が立った。


「ジローさん」

運転している阿部ちゃんが前を向いたまま声をかけてくる。

「ジローさん……勧請院さんて……病院ですよね」

阿部ちゃんの声が震えている。

何を言おうとしてるのかはわかってる。

だが返事を返せない。

どう答えていいかわからない。

「立花さんの車…後部座席…見えます?」

すでに10メートルほど先に進んでいる立花さんの車。

薄暗い山道でもこの距離ならまだはっきりと見えている。

後部座席には誰も乗っていないはずだった。

出発時点ではたしかに立花さん一人だった。

その車に誰かが載っている。

ありえない。

たとえば高速のサービスエリアで休憩した時に、俺達の知らないところで誰かを拾っていたのだとしても、それでもあれだけはありえない。

「あれ……勧請院さんじゃないですか?」

つい今朝病院で検査着を着せられて眠り続けていた勧請院さんが、昨日の収録の時の姿で後部座席に座っているのだ。

「…………」

いるはずがない。

でもあれは明らかに……。


「ジローさん……あれ……なんかヤバくないですかね」

阿部ちゃんが半泣きになっている。

小林さん達は後部座席で固まっている。

再びヴヴヴとスマホが鳴る。

画面を見るとかけてきているのは立花さんだ。

「…………」

出てもいいのだろうか。

ヴヴヴ……ヴヴヴ……ヴヴヴ……

スマホは鳴り続けている。

あんなスピードで運転しながらよく電話できるものだ。

ヴヴヴ……ヴヴヴ……ヴヴヴ…

いや。

かけてきているのは本当に立花さんだろうか。

「…………」

冷たい汗が背中を伝う。

ほとんど無意識に、何も考えられず、応答のボタンを押した。


ゆっくりと耳に当てる。

「も…もしもし……」

声が震えてしまう。

「ああ近藤さん、あと30分くらいで着けますね。このまま安全運転でいきましょう」

何が安全運転か。

「立花さん、危ないですからゆっくり……」

そう言っている時に聞こえてしまった。

「ああ、そう、ゆっくりね、ゆっくり」

立花さんの声がやけに間延びしている気がする。

その声の他にもう一人、喋っている。

女の声だ。

「おとうさん」と言っている?

これ……勧請院さんの声じゃないか?

「なんだか雨が強くなってきてるみたいだし、風もすごいからハンドル取られちゃって、危ないからそちらも注意してくださいね」

立花さんの声はやけに穏やかで、それが余計に違和感を感じさせる。

雨なんか降ってないし、風も吹いてない。

ゆっくりと言いつつ危険な速度で飛ばしていく。

おかしい。

それにこの声は?

立花さんとは違うその声に意識が向いてしまう。

聞きたくないのに聞こえてしまう。

薄ら寒い思いで前を走る車を見る。


病院にいるはずの勧請院さんの声で「おとうさん」と呼びかける声が聞こえる。

「おとうさん……ねえおとうさん……そんなにスピード出したらあぶないよ……おとうさん……ちょっと遅くしようよ……ねえ……おとうさん……おとうさん……おとうさんたら……おとうさん……おとうさん…おとうさん…おとうさん…おとうさんおとうさんおとうさんおとうさんおとうさんおとうさん」

異常な状況に思わずうっと声が漏れる。

「ジローさん……ジローさん……おとうさん……ジローさん……おとうさん…ジローさん…おとうさん…ジローさん」

次の瞬間、スマホのすぐそばで喋っているような大きな声で


「ジローさああああん」


間延びしたテープレコーダーのような、低くてくぐもった、気持ち悪い声で名前を呼ばれた。

違和感と不快感が全身に鳥肌を立たせる。

とっさにスマホを耳から離し通話を切る。

静寂に戻る。

「なんなんすか今の声…」

阿部ちゃんにも聞こえたらしい。

呆然とした様子で呟いた。

「ジローさん……何が起きてるんです?……何が……。これ……これまずくないですかねえ!!」

阿部ちゃんが絶叫する。

ハンドルを持つ手が震えている。

「阿部ちゃん!落ち着け!運転に集中して!」

阿部ちゃんの肩に軽く手を置いて大丈夫だと声をかける。

その俺の手も震えてるのだから落ち着けるはずもないか。


「……ジローさん」

一転して静かな声をかけてくる阿部ちゃん。

阿部ちゃんの目線を追って前方の立花さんの車に目を戻す。

50メートルほど先で、左側のガードレールに車体を擦り付けて火花をあげる立花さんの車が見えた。

次の瞬間、ふっとガードレールから離れ、反対車線に大きく膨らんだ立花さんの車は道の反対側、山肌に猛スピードでぶつかって跳ね返り、その勢いのまま再び左側のガードレールに突っ込んでいった。

ガシャーン!!と大きな音を立ててガードレールにぶつかった車は、大きく宙返りするようにガードレールを超えて崖から落ちていった。


「あああああああああ!!!!」


阿部ちゃんが叫んで急ブレーキをかける。

凄まじい急制動の力がかかって大きく前につんのめる。

シートベルトをしていなかった後部座席の皆が後ろから突っ込んできて俺と阿部ちゃんの後頭部に激突した。

火花が散る視界の中で車が速度を落としながらも進んでいくのがスローモーションのように見える。

死。

その一言が頭の中を埋め尽くした。

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