第二巻 外国人労働者/深夜ラジオ

夜行列車【台湾にて書籍発売中】

第三作 外国人労働者

第1話 憑りつかれた彼と言葉が通じない時はどうすれば…

一昔前に、外国人労働者が酷い環境で働かされているというニュースを目にしたことがあった。

主に中国から密入国した労働者が多額の借金をカタに奴隷のような労働を強いられているというもので、現地のブローカーに騙されて日本に来たが最後、言葉も分からず友人も親戚もいない異国の土地で労働力を搾取され、タコ部屋にすし詰めにされて酷い環境で働かされながら貧困に喘いでいる、というような内容だった気がする。

そういったタコ部屋なんかがガサ入れされ、悪徳業者が摘発されるニュースなんかをしょっちゅう見た記憶がある。

警察や入管の取り締まりが強くなり、今ではそんな可哀想な外国人労働者はすっかりいなくなったかというと、残念ながら今でもいるようだ。

というより今、俺の目の前で項垂れている彼もそのような密入国でやって来た外国人労働者の1人らしい。


「……………」

無言で座り込む彼を見下ろしてため息を吐く。

さっきから何を聞いてもダンマリで、俺の顔すらろくに見ようとしない。

笠根かさねさん、すいません無理言って押しかけちゃって」

彼を連れてきた男、雪村という名の青年が軽い調子で謝罪を口にする。

「君ねえ、何で私のところに連れてきたの。密入国なんでしょ彼。通報しちゃうよ?」

「いやいやいや通報は待ってください。彼も騙されて日本に連れてこられたクチなんで、なるべく穏便に済ませたいんです」

雪村君は若干焦ったように、しかし生来のものらしい軽薄さは隠さずに食い下がる。


「…………」

雪村洋悟ようご

二十代半ばの筈だが大学生か高校生に見える童顔。

オッサン(自分)の目にはボサボサに見える最近流行りの無造作ヘア。

細身の優男で見た目は結構イケメンのくせに身にまとった軽薄さが雪村君をどうにも安っぽく見せている。

本人は愛想よくニコニコしているつもりなのかもしれないが、こちらから見ればニヤついているようにしか見えない。

決して悪い人間ではないのだが信頼を得るには程遠い、そんな雪村君をジロリと睨んでから問題の「彼」に目を落とす。


彼は俺達のやりとりを無視して変わらず項垂れている。

「…………」

別に素性やらなんやらを隠しだてするために俺達のやりとりを無視しているのではない。

言葉が通じないのだ。

はじめから言葉の壁が立ちふさがっており、日本語もダメ、英語もダメ、どこの国の人かすら判別できなかったが、試しに「ニーハオ」と声をかけたら「………ニーハオ」と返してきたのでおそらく中国人だ。


「ニーハオ……あー…なんだ……キャ、キャンニュースピーク…イングリッシュ?」

「…………」

ダメだ。

ごくごく簡単な英語すら通じない。

スマホで音声翻訳アプリをダウンロードして丁寧にやりとりすれば素性くらいはわかるだろうが、そもそも俺がそこまでする必要があるだろうか。


「それで?彼がオバケに取り憑かれてるってのは本当なの?」

何をするでもなくヘラヘラと突っ立っている雪村君に聞く。

今朝電話で聞いた内容を確認する。

数年振りに雪村君が電話をしてきたのは、知り合いの知り合いがオバケに取り憑かれて困っているから助けてくれという内容だった。


「そうなんですよ。なんかアパートで夜中とかに独りで叫んだり暴れたりするらしくて」

「誰から聞いたのそれ」

「彼の仲間ですね」

「その人は日本語話せるんだ。どうしてその人も連れてこなかったの」

「いやー、なんか関わりたくないっていう感じで、お仲間は東南アジア系の人達なんですよ。中華系は彼だけみたいで」

「仲間というより同居人か」

「そんな感じです」

フームとため息をついて彼を見る。


「何で君が彼のこと知ってるの?」

「えっ?」

「だから、君と彼はナニトモなの?どういうつながり?」

「あ…えーと…先輩の関係先で働いてる…人でして、俺が笠根さんのこと先輩に話したことがあって、それで今回頼めないかって相談されたんですよ」

またため息が出る。

「君ねえ、その先輩の関係先って彼をタコ部屋に押し込んで働かせてる人なわけでしょ?付き合う人を間違えると人生終わるよ?」

「わかってます。笠根さんにご迷惑はかけませんから。今回だけ!なんとか今回だけでもお願いします!俺も先輩に頼まれちゃって断れないんですよ」

両手を合わせて拝んでくる雪村君。

どうにも白々しい。

雰囲気や表情に加えて仕草まで何もかもが軽薄だった。


ふと「彼」が身体を揺すった。

目をやると俺の背後の方を見て目を見開いている。

口を半開きにして呼吸も荒く、いつのまにか額が汗で光っている。

ぞわ、と背筋に寒いものを感じて振り返る。

すると、いた。

彼に取り憑いているというオバケ。

色味のない輪郭だけの存在が二つ。

筋骨隆々の大男と5才くらいの小さな女の子が手を繋いでいる。


うっすらと背景を透かしているが充分に輪郭も表情も見てとれる。

ここまで存在を維持できるのはそれだけ念が強いのだろう。


親子と思しきオバケは彼を睨みつけている。

女の子の方は睨んでいるというよりはただ見ているという風だが、父親の方はものすごい形相だ。

射殺さんばかりの鋭い目付きで彼を見据え、小さく開けた口の中で歯を食いしばっている。

憤怒の顔、とでも言うべきか。

これは彼に対する恨みは深そうだ、あの顔で毎晩出てこられたら、そりゃあ叫び声もあげたくなるわ、と思っていたら、ふいに父親の姿がかき消えた。

同時に「うぎゃ」という彼の声。

彼に目を向けると父親の霊が彼の顔を蹴り上げたところだった。

「なんと……」

思わず呟く。

スローモーションのようにゆっくりと、頭を後ろに反り返らせて倒れる彼。


すると父親の霊は彼に跨って首を絞めた。

「□□□△△!!!□△△□□!!!」

何事かを喚きながら彼の首を絞め上げる。

「う……あ……か……かか……」

彼は苦しそうに呻いている。

普通ならばここで止めに入るのだが、相手は中国人で言葉が通じない。

何よりオバケだ。

首から手を離した父親の霊は馬乗りのまま彼を殴り始めた。

マウントポジションだ。

どうしたもんかと狼狽えていたら父親の姿がユラリと揺れてまた消えた。

今度はどこだと警戒しつつ顔を巡らせる。

すると女の子の霊もいなかった。

消えてしまったようだ。


彼に目を戻すと寝そべったまま動かない。

荒く息をしているから死んだわけではなさそうだ。

雪村君を見るとポカンと口を開けて見ていた。

どうやら彼には見えなかったようだ。

「今の見えた?」

「いや……はは……いえ、何も……」

雪村君の目には彼が一人でジタバタしているように見えたという。


フーム、とため息が口から漏れる。

「いやあアグレッシブなオバケだったねえ。国が違えばオバケも変わるもんだ」

あんなにはっきりと姿を見せて、しかも肉弾戦ときた。

「笠根さん…今の…何かいたんですか?」

「うん、いたよー?アレを毎日やられるのはキツいわ。なんとか出来るならなんとかしてやりたいけど……」

果たしてなんとかなるのだろうか。

除霊ってのは要するに特殊な話し合いみたいなもんだ。

御仏の功徳で怒りを鎮め恨みや執着を解いて成仏に導くわけだ。

あの荒ぶる霊が大人しくお経を聞いてくれるか疑問だ。

逆にアレに襲われたら俺なんかイチコロだ。

昔から荒事の類はめっぽう弱いのだ。


雪村君に何があったかを伝える。

身振り手振りで説明すると雪村君の顔がみるみる青くなっていった。

「やばいっすね……」

「なんだっけ……キョンシーと戦う人達。ああいうの連れてこないとダメなんじゃない?」

「はは…いや…」

雪村君の乾いた笑いが虚しく響いた。


とりあえず既知の友人を頼ってみる。

スマホを取り出して目的の人物に電話をかける。

驚いたことにすんなり繋がった。

「はい、伊賀野いがのです」

伊賀野和美かずみ、2年ほど前にとある事件で知り合った凄腕の霊媒師だ。

オバケ関連の専門家なら何かわかるかもしれない。

「ああ伊賀野さん、どうもご無沙汰してます、笠根です。今、お電話大丈夫です?」

「ええ、大丈夫ですよ。珍しいですねお電話いただくなんて」

「いやあちょっと知恵をお借りしたくてですね、すいません突然」

「別に構いませんけど、どんなご相談?」

「伊賀野さんって、オバケに殴られたこと、あります?」

はあ?という声が聞こえた。

「すいません、もう一度言っていただけますか?」

ヤバイと思ったらしく謝ってきた。

「いえいえ、おかしな話なんですが、伊賀野さんが関わったオバケの案件で、直接殴りかかってくるようなオバケ、いました?」

「殴られたんですか?」

「いやあ、私じゃないんですがねえ、目の前で殴る蹴るの暴行現場を目撃しまして」

「霊が、人を?」

「そうそう」

「本気で言ってます?」

「もちろん本気で困ってます。イタズラでこんな電話しませんって笑」

うーむと唸る声がスマホから聞こえる。

「いやー……私はもちろん無いですし…聞いたこともないなー」

「ですよねえ」

「どんな案件なんです?」

「うーん……まあ正式に依頼を受けた訳でもないんですが、外国人の方でね、オバケも外国のオバケでして、それがもう人間みたいに殴るわ蹴るわで、違う意味でおっかないんですよ」

「ということは実体があるの?ゾンビ?」

「いや、実体はないと思います。姿も透けてるし。でもなぜかそのオバケが殴ると被害者はちゃんと痛がるんですよ」

「あー…まあそれはあるかも知れませんね、精神的な外傷が実際の体に影響を与えるのは結構ありますから」

「なるほど、プラシーボ効果みたいなやつ?」

「それもそうですけど、催眠とか暗示とか。熱々の鉄板だと思い込んでいたら、実際には熱くなくても触った途端に火傷する、みたいな」

なんかテレビか雑誌で見た気がするな。

「あー、多分それの類いかもしれませんね」

「大丈夫ですか?私やりましょうか?」

「いやあ今回はどうやらボランティア確定な気がするんで、こっちでなんとかしますよ。面倒な案件をタダでぶん投げる訳にもいかないので」

「あら、それはお気の毒に」

「お構いなく。私は本業がお坊さんですから」

ふふ、と軽く笑う声が聞こえる。

「ではそういうことで、プロの力が必要になったらいつでもどうぞ。お友達価格でサービスしますので」

「はは、わかりました。その節はよろしくどうぞ。失礼します」


隣で黙って突っ立っている雪村君に目をやる。

スマホで何かやっている。

まったく、とため息をついて声をかける。

「雪村君」

「は?……あっ…はは…何か…わかりました?」

「君ねえ、もうちょっと深刻そうに構えててよ。私が断ったら君が彼の面倒見るんでしょ?」

「いやいやいや!すいませんすいません見捨てるのだけは勘弁してください!」

抱きつきそうな距離に近寄って手を合わせる。

まったく、とふたたびため息をつく。

お願いするのだけは真剣なんだから困った男だ。


「さてと―――」

未だ寝転がったまま動かない彼を見やる。

寝転んで顔を覆ったままかすかに震えている。

泣いているのだろうか。

「…………」

まあ、泣きたくもなるか。

言葉も通じず、頼れる人もいない異国の地で、あんなオバケにつきまとわれたら絶望もいいところだ。

「とりあえずやれることはやってみようか。住職が帰って来る前に終わらせないと嫌な顔するから」

2年前の事件で本堂が半壊する被害にあってから、住職は完全に除霊反対派になった。

彼を住職に見られたら、関わるな、やるなら本山でやれと言われるに決まってる。

「彼を立たせてくれる?本堂まで連れて行こう」

そう言って雪村君に彼を任せる。

「触っても大丈夫なんですか?」

雪村君は明らかに嫌そうだった。

「大丈夫大丈夫。触っただけで感染するなんてありえないから。ほら早く」

雪村君を急かして彼を立ち上がらせ、本堂へと連れて行く。

彼はやはり泣いていたが、オッケーオッケーと言って親指を立てて見せると黙ってついてきた。


ビデオカメラを三脚にセットして録画を始める。

後で見直して除霊の様子がわかるように。

御本尊に向きあうように彼を座布団に座らせる。

タッキーがいたらこういうことは全部やってくれたのに、と思う。

どうしようもないことを考えたとため息をついて頭を振る。

正装に着替えて彼の前に座る。

とりあえずお経をあげてみよう。

あの親子の念が解かれるように、穏やかに成仏するようにと祈りながら経を唱える。

ゆっくりと、心を込めて経を唱えていると、ふと本堂の中に気配が生まれたのがわかった。

目を開けて本堂の中を見渡すと、いた。

入り口のところに立っている二つの影。

ご丁寧に入り口から入ってきたようだ。

こちらが敵ではないとわかってくれたのだろうか。

先ほどと同じように手を繋いで、ゆっくりとこちらに近づいて来る。

父親の顔は強張ってこそいるものの、彼に向けていたような憤怒の表情ではなかった。


親子の霊は彼を素通りして俺の目の前まで来た。

経が終わるのを待っている。

唱え終えて顔を上げて彼らを見る。

女の子は無表情で俺を見ている。

父親は相変わらず困ったような、怒っているような顔で俺を見下ろしていた。


「こんにちは」


とりあえずそう声をかけてみる。

父親の表情は変わらない。

「えーと、こんにちは。あー…ニーハオ」

女の子に向かって笑顔を作ってそう言ってみた。

すると女の子は何事かを呟いた。

声は聞き取れないが、どうやら挨拶を返してくれたようだ。

そう決めつけて父親に向かってニーハオと言ってみる。

父親は憮然とした顔で頷いた。

通じている。

少なくとも俺の意思は通じているようだ。

問題はここからなのだが。


「あー…えーと…日本語はわかりますか?」

父親は目を一瞬見開いて、すぐに怪訝な顔つきに戻る。

やはり言葉は通じないか。

「えー…キャンニュー…スピーク…イングリッシュ?」

彼と同じように英語でも聞いてみる。

父親の反応は先ほどと同じ困惑だった。

ふーむ、とため息をついて、笑顔を作る。

こういう時は笑顔が大事だ。

言葉が通じなくとも敵意がないことを伝えるには笑顔しかない。

「どうぞ、座って」

そう言って両手で床を示して座るよう促す。

親子は動かない。

正座して見上げる俺を見下ろしたままだ。

経なら伝わるだろうか。

そう思って先ほどと同じ経を唱えてみる。

あなた達が心安らかに成仏することを祈る。

恨みを捨てることは出来ないか?

そう心に念じながら経を唱える。


「――!」

するといきなり父親が俺の右手首を掴んだ。

驚いて目を開けると目の前に父親の顔があった。

先ほどのような困惑ではなく、彼にむけていたのと同じ、憤怒の表情で。

「□□□△△!!◯◯△□△△!!!」

大声で何事かを怒鳴る。

掴まれた手が痛い。

本当に暗示や催眠でここまで感覚があるものなのだろうか。

いつ催眠にかかった?

そんな時間はない。

このオバケはやはり生身の人間に触れるのだ。


「□□□△△!!◯◯△□△△!!!」

掴んだ俺の右手を揺すり、大声で何かを伝えてくる父親の霊。

左手を振って父親に落ち着くようにジェスチャーをする。

すると今度は胸ぐらを掴まれて一気に持ち上げられた。

ものすごい力で抵抗のしようもない。

「笠根さん?」

本堂の隅で座って見ていた雪村君が不思議そうに声をかけてきた。

やはり彼には見えていないのだろう。

俺がいきなり立ち上がってユラユラ揺れているように見えているようだ。


「□□□△△!!◯◯△□△△!!!」

なおも大声で喚き続ける父親。

首元がしまって息苦しい。

「わ…かった…から……手を…離して……」

両手を父親の手に触れてトントンとタップする。

父親はしばらく俺を締め上げていたが、ようやくおさまったのか、手を緩めてくれた。

不思議なことに恐怖は感じなかったが、それでも痛いのは嫌だったので、両手を父親の肩に乗せて、その目を真っ直ぐに見つめて頷いて見せた。

出来るだけ真摯な目で、わかり合いたいという意思を込めて父親を見つめる。

しばらく見つめあって、ようやく父親が手を離してくれた。

ちょっと待って、というジェスチャーをして、懐からスマホを取り出す。

ダウンロードしておいた中国語の翻訳アプリを起動して、音声入力のボタンを押す。

入力待機状態になったのでその画面に向かって、


「落ち着いて話し合いたい。私はあなたの敵ではない」

と告げる。

すぐに漢字の文字列に変換されて表示されたので、それを父親に見せる。

父親はスマホの画面を見つめ、すぐに俺へと視線を戻す。


「□□□◯◯△□△△」

そう言ってきたので、再び待てとジェスチャーをして、翻訳アプリの音声入力ボタンを押す。

そして父親にスマホをかざして、喋ってくれとジェスチャーで伝える。

「□□□◯◯△□△△」

父親はスマホに困惑する風もなく画面に向かって喋る。

最近亡くなった霊なのだろう。


スマホを見ると「音声を入力してください」と表示されている。

もう一度同じことを繰り返すが変わらず「音声を入力してください」と表示されている。

ダメか。

霊の声は認識されないか。

当たり前か。

そこまで父親の声は現実に影響しないようだ。

まあ雪村君に聞こえていないので、当然といえば当然だ。


「スマホではあなたの声を聞き取れない」

「通訳できる人を探してくるから」

「今日は日を改めよう」

「いきなり呼び出して悪かった」


そう伝える。

父親は娘の手を取ってユラリと揺れるように消えた。

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