第4話:混乱

「ヨンさま! もう、やめてっ! なんで、あたしの仲間を傷つけようとするのっ!」


 ナナ=ビュランは両目から涙が零れ落ちそうになっていた。自分の婚約者が自分の仲間を痛めつけている。そんなあってはならないことが、彼女の眼の前で展開しているのだ。彼女は婚約者を止めようと、必死になって、彼に呼びかける。だが、彼はただ微笑みをナナ=ビュランに返してくるだけで、そのままの表情で地面に転がるシャトゥ=ツナーを踏みつけようとするのだ。


 シャトゥ=ツナーはめくり上がる地面と同時に自分の身にぶつかってくる土砂を喰らいながらも、転がり続けた。そして、5度目の踏みつけをかわした後、めくれる地面を自分の態勢を整える力に変えて、空中へとジャンプし、両足で着地する。


「ナナ! こいつは、ヨン=ウェンリーであって、ヨン=ウェンリーじゃないッス! 認識を改めるッス!」


 ニンゲンが単純な踏みつけで、地面をえぐるような力を発揮できるわけがない。だからこそ、シャトゥ=ツナーは、こいつはニンゲンではないと結論づけたのである。しかし、否定された側のヨン=ウェンリーは、悲しげな表情を顔に浮かべて、頭を左右に振る。


「失礼な話だ。私は頭のてっぺんから足のつま先まで、ヨン=ウェンリーだよ? ねえ、ナナはわかってくれるよね?」


「ナナ、騙されるなッス! こんな馬鹿力を出せる奴がニンゲンなわけがないッス! こいつは、正真正銘の化け物ッス!」


 ナナ=ビュランはヨン=ウェンリーとシャトゥ=ツナーのどちらを信じて良いのかわからなかった。顔とその口から発せられる声はヨン=ウェンリーそのものだ。しかし、彼は地面をえぐれるような膂力を持っていなかったことは確かである。もしかしたら、彼が自分に黙っていただけかもしれないとは思うが、それを自分に教えていなかった理由が見当たらない。


「あたし、わかんないよっ。ヨンさまがヨンさまじゃないって、どういうことなのよ!?」


「そんなの俺にもわからないッス! でも、ニンゲンが単純な力で地面に穴を開けられるほうがおかしいッス!」


 ナナ=ビュランは混乱に陥っていた。ヨン=ウェンリーがやっていることはニンゲン業じゃないことは重々承知だ。それでもだ。彼の顔と声を見間違えるようなことは、絶対に無いという自信を彼女は持っている。しかし、その自信こそが彼女を苦しめる結果となっている。


 いっそ、彼の口から自分はヨン=ウェンリーでは無いとはっきり言ってほしい気持ちになっていた。それなら、全てが解決するのにと、ナナ=ビュランは思うしかなかった。だが、彼女のその気持ちを裏切るようにヨン=ウェンリーが口を開く。


「私はいたって私だよ。ただ、魔王の器に選ばれたゆえに、私に魔王の力の一部が流れ込んできているんだ。シャトゥは私が馬鹿力で地面に穴を開けているように考えているようだけど、実はそうじゃないんだよ? これは魔術なんだよ?」


「それってどういう意味なの? ヨンさまはヨンさまだけど、魔王になっちゃってことなの……?」


 ナナ=ビュランが恐る恐るヨン=ウェンリーに質問をする。ヨン=ウェンリーは先ほどと同じように自分の身体の前に紫色の渦を現出させて、その中に左手を突っ込み、そこから真っ黒な鞘を抜き出す。そして一旦、長剣ロング・ソードを鞘に納めて、その長剣ロング・ソードを腰の左側に佩く。あろうことか、彼はシャトゥ=ツナーという敵がいるというのに臨戦状態を解除したのである。


「魔王に誓って、私はナナを傷つける気は無いんだ……。ただ、さっきはシャトゥがキミにしがみついてしまったがゆえに、私の嫉妬心に火がついてしまったんだよ……」


「俺のせいにするのはやめるッス! あの時は明らかに、あんたに殺意があったッス!」


 シャトゥ=ツナーは今にも斬りかからんばかりの裂帛の意思を持ってして、ヨン=ウェンリーを怒鳴りつける。しかし、ヨン=ウェンリーはどこ吹く風とばかりに彼の怒号を肩をすくめて、いなしてしまうのであった。


「まあまあ、話を聞いてくれないか? シャトゥ。ナナは私の話を聞きたがっているんだからね?」


 シャトゥ=ツナーはチッと大きく舌打ちするしかなかった。今の状況はシャトゥ=ツナーにとって不利と言って良かった。いくら、向こうがいきなりナナ=ビュランに火球を飛ばしてきたからと言って、それがナナ=ビュランに当たったわけでもない。無論、マスク・ド・タイラーが身代わりになって、火だるまになってしまったのだが……。


 それでもだ。ナナ=ビュランはまだヨン=ウェンリーに傷ひとつ負わされていないために、シャトゥ=ツナーがヨン=ウェンリーを斬って捨てるには大義が足りていない。ナナ=ビュランの眼の前で、彼女の想い人を斬るための理由を得るためにも情報が欲しいシャトゥ=ツナーであった。


「わかったッス……。あんたを斬るのは、あんたからの説明を聞いてからにするッス……」


 シャトゥ=ツナーはそう言うと一旦、矛を収めることにする。しかし、それでも赦しの光ルミェ・パードゥンは抜いたままの状態だ。彼は攻撃のための構えを解いたまでにすぎないのである。


 その後、シャトゥ=ツナーは、ナナ=ビュランを護るために位置を変える。彼女の斜め右前に立ち、彼女がヨン=ウェンリーから不意打ちを喰らわないようにしたのである。ヨン=ウェンリーはまたもや肩をすくめ


「やれやれ……。私はどうやらシャトゥに嫌われてしまったようだね……」


「当たり前ッス。あんたを信頼するほうが間違っているッス」


「ははっ! ナナ。シャトウに私を信頼してくれるように頼んでくれないか? これでは話にならないよ?」


 ナナ=ビュランはヨン=ウェンリーにそう言われ、困惑してしまう。彼が危険でないことを証明するすべを彼女は持ち合わせていないからだ。しかし、何故、このような状況になってしまったかを彼から聞くことは重要であることは変わりない。ナナ=ビュランはシャトゥ=ツナーの左袖を右手でクイクイッと掴む。シャトゥ=ツナーは彼女の顔を見る。ナナ=ビュランはこくりとひとつ頷き、シャトゥ=ツナーはウッス……と返す。


 不承不承ながらも、シャトゥ=ツナーも素直にヨン=ウェンリーの話を聞くことにするのであった。


「ひどい眼にあったんだみゃー。でも、話から察するに、こいつがナナ殿の想い人であることはなんとなく察したんだみゃー」


「うむ……。危うく、炎の幻惑に飲み込まれそうになったが、ナナくんを本気で殺そうとするつもりは無さそうなことはわかった。さて、わたしも事情を聞かせてもらうぞっ!」

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