第9章:想い人

第1話:招かざる客

――ポメラニア帝国歴259年6月25日 ガダール平原:キャンプ場跡地にて――


 朝6時。辺りはすっかり明るくなり、野鳥たちがけたたましく朝を告げる鳴き声をあげていた。その野鳥たちのやかましい音にせっつかれるようにシャトゥ=ツナーとマスク・ド・タイラーは眼を覚ますことになる。


「おはよう、シャトゥ。お目覚めのコーヒーでも飲む?」


「ウッス……。しっかし本当にやかましいッスね……。もう5分寝かせてほしいって駄々をこねる気にもなれないッス……」


 シャトゥ=ツナーが身体に巻き付かせていた毛布をそのままに、まるで芋虫のように上半身を起こして、ナナ=ビュランにおはようと挨拶をする。そして、器用に両腕だけを毛布の隙間から出して、ナナ=ビュランからコーヒー入りのマグカップを受け取る。そして、そのマグカップに口をつけてズズズとすするようにコーヒーを飲む。


「ああ、美味しいッス……。ネーコさんの淹れるコーヒーは格別ッスね……」


「あら、残念。あたしがそれを淹れたのよ? 夜警の間、暇だったからネーコ師匠に美味しいコーヒーの淹れ方を教えてもらったのよ。その成果が出たってことかしら?」


「本当ッスか!? カーッ! 俺もネーコさんと夜警をすれば良かったッス! ネーコさんほどに美味いコーヒーを淹れれたら、自慢できるッスからねぇ!」


 別段、ナナ=ビュランもシャトゥ=ツナーも、コーヒーの淹れ方が下手というわけではない。何度も言うがゼラウス国で主に飲まれているのはコーヒーである。誰でも子供の頃から、親にコーヒーの淹れ方を教わっている。しかし、そんな国でカフェを営めるレベルで上手いコーヒーを淹れれるほどとなると、話は別だ。産まれもっての才能とたゆまぬ努力の結果、そう成れると言っても良いだろう。


 ネーコ=オッスゥは美味いコーヒーの淹れ方を習得している。よほどコーヒー豆自体がよろしくない限りは、一定以上の美味さを引き出すことが出来るのだ。その秘訣をナナ=ビュランは教わったわけである。もちろん、教わっただけなので、まだまだ実践の数には乏しいが、シャトゥ=ツナーを騙す程度には腕が上がったのである。


「うーん、美味い。ナナくん、腕をあげたな? これならナナくんの彼氏も大喜びだろう……」


「あら、残念ね? タイラーの分はネーコ師匠が淹れたやつよ?」


 ナナ=ビュランの言いにマスク・ド・タイラーはうぐっ……と喉を絞らせる他なかった。一杯食らわせられたのである、彼は。ネーコ=オッスゥとナナ=ビュランはしてやったりとばかりにニヒヒと笑顔だ。マスク・ド・タイラーはごほんっとわざとらしい咳をひとつして、なんともいえぬ表情のままにコーヒーをすするのであった。


 目覚めの一杯を堪能したシャトゥ=ツナーとマスク・ド・タイラーは毛布を畳み、荷馬車の荷台に放り込む。この幌付き荷馬車は大の大人8人がゆうに乗れるほどの大きさである。旅用の荷物で荷台の半分を占めている状態だ。この荷馬車を引いているのは農耕馬にも使われる馬力を誇るポメラニア帝国:火の国:イズモ産の馬である。


 ゼラウス国は大型の荷馬車用の馬をポメラニア帝国から輸入しているのである。イズモ馬はポメラニア帝国周辺では人気が高く、それゆえ、かなりの高額で取引をされている。馬1頭でこぶし大の黄金の塊と交換されるほどだ。火の国:イズモの実質的支配者である貴族はイズモ馬の人工的な繁殖を成功させて、その取引で莫大な財産を手に入れていたと言われている。


 ゼラウス国でも輸入したイズモ馬を繁殖させようとしたのだが、そんな企みはわかっているとばかりに火の国:イズモの貴族は去勢を施した牡馬ぼばしか外の国へは輸出をしない。それゆえに、他国でイズモ馬を繁殖できたということは歴史的に成功例を見ないのであった。


 さて、話を戻そう。ナナ=ビュランたち4人は朝食の準備に入る。火の管理はマスク・ド・タイラーが。シャトゥ=ツナーは水運び。調理はナナ=ビュランとネーコ=オッスゥである。ナナ=ビュランが野菜を適当な大きさに切り、鍋へと次々と入れていく。その鍋にはあらかじめ、米が煮られており、オジヤ風で味わう計画である。


 ネーコ=オッスゥが味噌ミッソ樽から味噌ミッソをオタマで取り出し、いざ、鍋の中へ投入しようとした時、マスク・ド・タイラーが待ったをかける。


「ネーコくん。朝ご飯の前に、どうやら招かれざるお客様が来たようだ……。味噌ミッソを突っ込むのはそのあとになりそうだ……」


「それは本当かみゃー? またポティトウ何某が僕たちを襲いにきたのかみゃー?」


「いや……。絡繰り人形ポピー・マシンたちとは匂いが違う……。魔族の匂いを漂わせているが、どちらかと言うとニンゲンに近しい感じがする……」


 マスク・ド・タイラーはそう言いながら、音をなるべく立てずにすくっとその場で立ち上がる。そして、キャンプ場跡地の外側に身体を向けて、両手を黒いパンツの中に突っ込むのであった。そのマスク・ド・タイラーの臨戦態勢に入った姿を見て、他の3人も慌てて、近くに置いてある自分の武器を手に取る。


「何者だっ! 姿を現さないようであれば、こちらから斬りかかるぞっ!」


 マスク・ド・タイラーが何もない空間を睨みつけながら、怒号を飛ばす。しかし、その怒号は何かにぶつかるわけもなく、平原中に響き渡る。反応が無いことで、もしかしてマスク・ド・タイラーの思い違いではないのかと3人は訝しむのであるが、マスク・ド・タイラーは黒いパンツの中から両手を引き抜き、その手に握られている短剣ダガーを彼が向いている方向へと2本、投げつけるのであった。


 するとどうだ。何もない空間でその2本の短剣ダガーが静止するではないか。ナナ=ビュランたちは空中で止まってしまった短剣ダガーに眼を剥くことになる。そして、その短剣ダガーが止まっている場所を中心として直径2ミャートルはある縦に長い紫色の渦が現出したのであった。


「はははっ。これはなかなかに手荒い歓迎だね。私はただ、自分の想い人をひと目見ようと思ってまでなのに……」


 紫色の渦の向こう側から優しい声色の男性の声が聞こえてくる。その声にナナ=ビュランは聞き覚えがあった。


「ナナ。久しぶりだね。きみが生きていてくれたことに、私は魔王に感謝したいくらいだよ」

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