第10話:夜明けのコーヒー

 6月25日:朝5時。6月も半ばを過ぎたということもあり、辺りはかなり明るくなってきていた。太陽はまだ地平線から顔を出していないが、もう数十分もすれば日の出となることは確実である。ナナ=ビュランは眠い眼をこすりながら、夜警もそろそろ終わりの時間がこようとしているのを感じるのであった。


 彼女は肩下げカバンから取り出した懐中時計オ・クロックで現在時刻を確認する。


「あと1時間ってところね。ふわあああ。1日4時間しか眠れないって、つらいわね……」


「あとひとりふたり同行者が居ればもう少し余裕をもって夜警の交代も出来るけど、徒党パーティとしてはかつかつの人数なんだみゃー。ひとり交代だと、ナナ殿はさびしく感じちゃうだろうみゃー」


 ネーコ=オッスゥの言いにそれもそうね……とため息しか出ないナナ=ビュランであった。現在、4人徒党パーティで、しかもその内のひとりは女性だ。女性だからと言い訳出来る状況でもないし、ひとり、こんな草原のど真ん中で夜警でもさせられては、半兎半人ハーフ・ダ・ラビットである自分は寂しさで死んでしまうかもしれない。


 ナナ=ビュランとネーコ=オッスゥはちょろちょろと弱い炎のかがり火を囲んで座っている。いくらストーンサークルの魔物モンスター除けを施されているキャンプ場跡地と言えども、夜に火を絶やすことは出来ない。ネーコ=オッスゥがその弱い火でヤカン入りの水を温めている。ただ火を焚き続けているのはエネルギーの無駄だろうということで、何かを温めておこうという塩梅だ。


「夜明けのコーヒーでも一緒に飲むかみゃー? まあ、かれこれ3杯目のコーヒーになっちゃうけどみゃー」


「うーん、どうしようかしら……。あんまりコーヒーばかりじゃ、舌が馬鹿になりそうだし……。かと言って、代わりの飲み物があるわけでもないし……」


 ゼラウス国の一般庶民の間では、コーヒーがもてはやされている。ゼラウス国がコーヒーの生産に力を入れていることもあるのだが、やはり3杯目のコーヒーともなると、ナナ=ビュランは少々飽きてきたといった感じである。


 しかしながら、その代わりの紅茶となると、それはそれでなかなか手に入るモノでもない。ゼラウス国の国民にとって、コーヒーが飲料水とすれば、紅茶は嗜好品となる。紅茶葉はわざわざポメラニア帝国所属の水の国:アクエリーズから取り寄せなければなならい。


「じゃあ、ハーブティにして飲むかみゃー? 適当にその辺の香草でもむしって、煎じて飲むみゃー」


「それはそれでどうなの? ネーコさんは香草に詳しいの?」


「当たってくだけろって言葉があるみゃー。多分、なんとかなるんだみゃー」


 ネーコ=オッスゥの本気なのか冗談なのかわからない回答に、ナナ=ビュランは肩をすくめる他なかった。香草かどうかもよくわかってないニンゲンにそんなことを任せて、腹を壊したら、たまったものではない。結局のところ、コーヒーを飲むしか選択肢は残されていなかったのである。


 ネーコ=オッスゥは手先が器用なのか、少量のコーヒー豆を挽く機械を器用に使い、なかなかに美味しいコーヒーを淹れてくれる。コーヒーの良い香りがキャンプ場跡地に漂い、なかなかに居心地の良い場所に変わるのをナナ=ビュランは実感する。


 ネーコ=オッスゥは淹れ立てのコーヒーをナナ=ビュラン専用のマグカップに注ぐ。ナナ=ビュランはそのマグカップを受け取り、ズズズッと軽く音を立てて飲む。


「はぁ……、美味しい。ネーコさんは街のカフェのオーナーになれるわよ?」


「お褒めに預かり光栄の至りなんだみゃー。でも、カフェを開くには、根なし草の僕には無理なんだみゃー」


 傭兵団所属のニンゲンは基本的に銀行バンクから融資を受け取ることが出来ない。それもそうだろう。いつ死ぬかわからないニンゲン相手に投資をする者などいるわけがない。もちろん、傭兵稼業から足を洗って、3年も普通に生活をしているという実態があるならば、そうとは限らない。


 要は地に足がついた職についてさえいれば、銀行バンクはそれほど厳しい態度を客には取らないのである。傭兵稼業に就いている者は根本的にその日暮らしの収支の者が多い。客からの依頼をこなして、一時的に大金を手にいれることが出来る職業であるが、その分、金遣いも荒いのだ。


 傭兵引退後のことも考えて、貯蓄が出来るようなしっかり者であれば、銀行バンクも融資の審査基準を緩めてくれるものだ。ナナ=ビュランとしては、ネーコ=オッスゥは、その点、大丈夫そうに思えるのだが、如何せん、やはりネーコ=オッスゥは傭兵らしい傭兵のひとりである。


 だいたい、30歳半ばに達しようとする年齢であるのに、未だに最前線で働かなければならない身なのだ、彼は。それが全てを物語っているとしか言いようがないのである。40歳を過ぎれば、さすがに体力の衰えも顕著となり、第1線から退く他ない。彼を傭兵稼業に引きずり込んだ傭兵団:夜明けの虎ドーン・タイガーのリーダーも今や仕事を受注し、部下たちに働いてもらう立場になっている。


「まあ、もうちょっとまとまったお金が貯まれば、カフェ店をオープンするんじゃなくて、自分で自分の傭兵団を持つことを念頭にしておいたほうが良さそうなんだみゃー」


「ふーん……。その辺りの事情はよくわからないけれど、ネーコさんにはやりたいことがあるわけね?」


 ナナ=ビュランの質問にも似た返答にネーコ=オッスゥは苦笑してしまう。きっと、この16歳の女性には、自分がやりたいから傭兵団のリーダーになろうとしているんだと思われているに違いないのだろうと。しかし、実際は喰っていくために仕方なくといったほうが正しい。しかしながら、そう思っていてくれたほうが若いヒトに夢や希望を与えるであろうと、ネーコ=オッスゥはナナ=ビュランへ肯定の返事をする。


「その通りだみゃー。うちの団長はヒト使いが荒いんだみゃー。僕が新しい傭兵団を作ったら、アットホームな職場で未経験者も大歓迎と銘打たせてもらうみゃー」


「へー。それはなんだか、良さそうな労働環境ね? あたし、もし、聖堂騎士になれなかったら、ネーコさんが創る傭兵団に入れさせてもらおうかしら?」


 ナナ=ビュランが眼をキラキラと輝かせながら、そう言うものだから、ネーコ=オッスゥは飲んでいるコーヒーの渋味が一気に増えてしまったような錯覚に陥るのであった。もちろん、その渋味はコーヒー自体から発せされるモノではなく、ネーコ=オッスゥのやっちまったみゃーという気まずさからくるものであることは説明不要であろう。

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