第6話:熟成チーズ

 先ほどまで倒れ込んでいたネーコ=オッスゥもまた、マスク・ド・タイラーの近くに歩いて寄ってきていたのであった。彼は痛そうな表情で左腕の肘辺りを右手でさすっている。マスク・ド・タイラーから受け取ったガラスの小瓶の中身を飲み干したは良いが、脱臼自体は治っていない証拠でもあった。


 マスク・ド・タイラーは胸の前で腕組みした状態でネーコ=オッスゥをジロジロと見る。


「ふむっ。左腕が動かないみたいだが、骨折してしまったのか?」


「いや、折れてはいないと思うんだみゃー。脱臼程度でおさまっていると思うんだみゃー」


 ネーコ=オッスゥがそう言うと、マスク・ド・タイラーはどれどれ? と言いながら、ネーコ=オッスゥの左腕を両手でさすり始める。そして、左手で腕先を、右手で二の腕を掴み、ふんっ!! との荒い鼻息をしたかと思えば、ゴキンッ! という耳にするだけで、痛みがこちらにまで来そうな嫌な音を立てる。


「痛いんだみゃーーー!? ハメるならハメるって一言、言ってからにしてほしいんだみゃー!?」


「ハーハハッ! 言ってしまうと、変に力を入れてしまうだろう? こういう脱臼を治す時は不意打ちこそが肝だっ!」


 ネーコ=オッスゥが涙目になっている。さらには口をとがらせて、明らかに不満げな表情を浮かべているというのに、マスク・ド・タイラーは両手を腰に当てて、ハーハハッと高笑いをする。ナナ=ビュランはそんな2人を見て、いつかタイラーはネーコさんに寝込みを襲われるかも……と不謹慎ながらにもそう思ってしまう。しかし、寝込みを襲ったところで、ネーコさんがタイラーに勝てるかどうかは疑わしいかも? とも思わずにはいられなかった。


「おや? そういえば、シャトゥくんはどうしたのかね? 戦闘中にちらりと、きみたちの方を向いた時は、かなり危険な感じを彼から受け取ったのだが?」


 さすがはマスク・ド・タイラーである。コニャック=ポティトゥとの死闘の間にも、ナナ=ビュランたちを気にかけていたのである。彼は彼女たちに治療用の薬をぶん投げたは良いが、それ以降はコニャック=ポティトゥとの戦いに没頭していたため、その後を知らない。それゆえ、ナナ=ビュランにシャトゥ=ツナーはどうなったのかを聞いたのである。


「出血は一応、止まっているのは確認済みだけど、まだ動けないみたい……。だから、そっとしておいたんだけど……」


「ふむ……。彼の容態を確認しよう。もし、重傷ならば、もう1本、ゴックンしてもらうことになるだろう。寿命が2~3年縮むことになるかもしれんが、しかしまあ死ぬよりかはマシだろう」


「え……? タイラーからもらった薬って、もしかしてかなり危険なモノなの……?」


 マスク・ド・タイラーの言いに思わず怪訝な表情になってしまうナナ=ビュランである。そもそも、虎のセーエキとか言う聞いたこともないようなモノを薬の原材料にしていると言われているのだ。もしかすると、もっととんでもないモノが混ぜられているのではないかと勘繰ってしまう彼女であった。


 ナナ=ビュランの怪訝な表情に気づいたマスク・ド・タイラーはうむむ……と唸り、弁明をする。


「いや、あの薬液は1日1本、ゴックン程度なら問題はない。しかし、2本以上飲むとなると、身体の負担が大きすぎてだな……。いやまあ、詳しいことはまた別の機会で話そうか。まずはシャトゥくんの容態を確認してからだ」


「そう……よね。細かいことはあとで良いわよね。タイラー、あたしについてきて。シャトゥはあそこに居るわ」


 ナナ=ビュランはマスク・ド・タイラーをシャトゥ=ツナーのもとに連れて行く。彼のもとに着くなり、マスク・ド・タイラーは膝を折り、シャトゥ=ツナーの上半身を起こす。そして、空いた左手で彼の身体をまさぐっていき、彼の容態を確認するのであった。


「ふむ……。見た目の感じでは、大きな怪我は無いようだが、どうも、身体の内部が疲弊しきっているように思えるな……。これはもう1本、ゴックンしてもらおうか?」


 シャトゥ=ツナーは眼や鼻、耳、そして口回りを血糊で汚していたが、出血自体は止まっている。そして、外見上は大きな怪我も無い。それでいて、彼はぐったりとして、身体を満足には動かせず、半分、眠っているようになっている。ここから考えれることは、身体の表面ではなく、内面の問題であろうという結論に至るマスク・ド・タイラーであった。


「タイラーさん、俺、もう1本、ゴックンは嫌ッス……。さっき、ナナに無理やり飲まされたけど、あれはあれで地獄だったッス。口移しでも、さすがにもう飲めないッス……」


 シャトゥ=ツナーが動けぬ身だと言うのに、あの味には耐えられないとマスク・ド・タイラーに訴えかけてくる。頭だけを左右に振って、拒否の意思を示すのであった。マスク・ド・タイラーはそこまで嫌なのかと思ってしまい、彼に少なからず同情してしまう。


「そうか……。あの味はヒトを選ぶからな……。では、違う薬液を飲ませよう。マムシと呼ばれる蛇を10年漬け込んだ酒とヤモリの黒焼きを粉状にしたものを混ぜ合わせ、さらには女性淫魔サッキュバスの愛液を隠し味に仕込んでみた逸品だ」


「ちょっと待つッス!? 最後のは何ッスか!?」


「おっと、口が滑ってしまった。なーに、今度のはとろけるチーズのような味だから、そこだけは安心してほしい!」


 マスク・ド・タイラーはそう言うと、左手を黒いパンツの中に突っ込み、ガラスの小瓶を取り出す。そして、その小瓶の蓋を器用に左手だけで開ける。そして、ガラスの小瓶の口をシャトゥ=ツナーの唇に押し当てて、中身である灰色の液体を彼の口腔へと流し込む。


 シャトゥ=ツナーは口の中に広がるチーズの味に思わず、ゲホッゴホッ! とむせ返ることになる。それもそうだろう。チーズはチーズでも、まるで3年ほど熟成させたような腐ったチーズのような味と匂いだったからである。いや、『匂い』と言うのはおこがましい。ぶっちゃけ、『臭い』のだ。その臭みが口腔から鼻腔に突き刺さる。


「おっと! あまりもの刺激臭で吐き出してしまったかっ! ならば仕方ない、最後の手だっ!」


 マスク・ド・タイラーはそう言うなり、ナナ=ビュランに小瓶を渡し、口を頑なに閉ざすシャトゥ=ツナーの鼻を自分の左手で塞ぐ。すると、どうなるか? 答えは簡単である。口と鼻を塞げば、呼吸が出来なくなるのは当然だ。鼻はマスク・ド・タイラーによって塞がれている。ならば、自然と口を開けるしか選択肢は無くなるわけだ。


「さあ、口が開いたぞっ! ナナくん! チーズ臭たっぷりの薬液をシャトゥくんの口の中に無理やり流し込んでくれたまえっ!!」

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