第8話:口移し

 シャトゥ=ツナーがいきなりそんなことを言い出し、へへっ……と微笑したあと、顔も地面にパタッとつけてしまうことに驚いたナナ=ビュランは闇の告解コンフェッション・テネーヴァを急いで鞘に納め、彼の元によたよたとした足取りで彼の元へ駆けつける。そして、彼の上半身を抱きかかえ、さらに仰向けにして、彼の身体を揺する。


「ちょっと、しっかりしなさいよっ! あんたに死んでもらったら、あたしが困るのよっ!」


 ナナ=ビュランは泣きそうになっていた。自分に向かってマウント=ポティトゥの右腕が振り下ろされてきた時に、間に割り込んできたのがシャトゥ=ツナーであった。ナナ=ビュランはシャトゥ=ツナーの動きは眼に追えていなかったが、それでも彼が自分を護るために全身全霊を懸けてくれたのは理解していた。


 ナナ=ビュランの眼から大粒の涙が零れ落ちる。ポタポタッとその涙がシャトゥ=ツナーの顔を濡らす。だが、彼の身体は段々と冷たくなっていく。熱が次第に失われていくシャトゥ=ツナーの身体を両腕で抱えていたナナ=ビュランの心を恐怖が押し寄せてくる。このままではシャトゥ=ツナーが死んでしまうのではないかとさえ思えてしょうがなかった。


「ナナくん! これをシャトゥくんに飲ませるんだ!」


 その声の主はマスク・ド・タイラーであった。彼は未だ、コニャック=ポティトゥと戦闘中であったが、こちらに気をかけてくれていたのである。そして、彼は黒いパンツの中に両手を突っ込み、ガラスの小瓶を3本取り出して、ナナ=ビュランたちに向かって投げつけたのである。


 突然、ガラスの小瓶を勢いよく投げつけられたためにナナ=ビュランはもう少しで、そガラスの小瓶を受け取り損ねそうになる。3本の内、2本はナナ=ビュランの両手の中に納まる。もう1本はネーコ=オッスゥのふくよかな中年腹に当たり、ポヨーンという軽快な音と共にネーコ=オッスゥの近くに転がることとなる。


 ナナ=ビュランは急いでガラスの小瓶の蓋を取り外そうとする。しかし、両手がまるで火傷でも負っているかのように軽く痛みと熱を発し、痺れていたのである。そのため、指が震えて、上手く小瓶の蓋を外すことが出来ないのであった。ナナ=ビュランは指を使って蓋を外すことは諦めて、歯を使ってキュポンッ! と蓋を外す。すると、小瓶の口からは栗の花のような匂いがほんわかと匂ってくるのであった。


 今度は蓋が取れた小瓶の口をシャトゥ=ツナーの唇に押し付ける。小瓶の口からはドロッとした紫色の液体が流れ出て、シャトゥ=ツナーの口の中に入っていく。だが、困ったことにシャトゥ=ツナーは流れ込んできた紫色の液体をゴホッという咳と共に、吐き出してしまうのであった。


「あんた、ちゃんと飲みなさいよっ!」


「む、無理ッス。生理的に受け付けない味ッス……」


 そのシャトゥ=ツナーの一言に一瞬で怒りが頂点に達するナナ=ビュランであった。死の間際にあって、生理的もクソもあるかと怒鳴りたくなるのも仕方がなかったと言えよう。しかし、ナナ=ビュランは怒鳴る前に、ガラスの小瓶の口を自分の口に押し当て、グイっとその中身である紫色の液体を自分の口の中に全部入れてしまう。


 そして、次にナナ=ビュランが取った行動で、シャトゥ=ツナーは眼を剥くことになる。


「んんんーーー!?」


 ナナ=ビュランはシャトゥ=ツナーの頬を両手で包み込んで、無理やり固定する。そして、自分の口の中にある紫色の液体を唇と唇を介して、シャトゥ=ツナーの口腔に押し込んだのである。


 ドロッとして、さらに栗の花の匂いがする紫色の液体を無理やり流し込まれたことで、シャトゥ=ツナーはオエップ! と吐き出しそうになる。だが、その吐き出した分をナナ=ビュランは自分の口腔で受け止めて、またもやシャトゥ=ツナーの口腔に押し返す。それでも吐き出そうとするシャトゥ=ツナーに対して、ナナ=ビュランは彼の口腔に自分の舌を突っ込んだのである。


「んんんんんんーーー!?」


 自分の口の中にナナ=ビュランの柔らかい舌が侵入してきたことで、いよいよシャトゥ=ツナーはパニックに陥ることになる。それもそうだろう。他人の舌が自分の口の中に入ってくる経験など、シャトゥ=ツナーはこれまで味わったことが無い。紫色の液体がついた歯を柔らかな舌で舐めとられ、そして、その舌が自分の舌に当たり、さらに液体を喉の奥に流し込んでくる。


 ナナ=ビュランの懸命の介護により、シャトゥ=ツナーは小瓶の中の紫色の液体をほぼ全部、飲み干すことになる。彼女のおかげで、シャトゥ=ツナーは全身から熱と力が湧き出てくる結果となる。


 シャトゥ=ツナーが紫色の液体を飲み干したことで、彼の冷たくなっていた唇が徐々に熱を帯び始め、その体温がナナ=ビュランに伝わる。ほっと安堵したナナ=ビュランはシャトゥ=ツナーの喉の奥に紫色の液体を流し込んだ後、彼の唇から自分の唇を離す。


 舌を彼の口の中に入れていたために、ヨダレが細い糸となり、彼と彼女の唇を繋げることになる。そのか細い糸をナナ=ビュランは右手で自分の唇を拭うことにより、斬り落としてしまのであった。


「あんたが頑張って、あたしを護ってくれたご褒美だと思っておいてねっ!」


 ナナ=ビュランはそう言うと、ふとももの上に乗せていたシャトゥ=ツナーの上半身をドンッと両手で突き飛ばし、地面に転がしてしまうのであった。そして、その後はプイッとシャトゥ=ツナーから顔を背ける。そして何も言わずに立ち上がり、今度はネーコ=オッスゥの様子をうかがいに行ってしまうのであった。


 地面の上に突き飛ばされて、ひとりぽつんと残されたシャトゥ=ツナーは茫然としていた。ナナ=ビュランにされたことが頭の中で理解できなかったからである。彼女の顔が間近にあり、そして、唇には柔らかさを感じ、さらには唇のように柔らかい舌が力強さを持って、自分の口腔で暴れ回ったのである。


(俺、ナナに犯されたッス。唇を奪われただけじゃなくて、舌までねじこまれたッス……。もうお婿さんにいけないッス……)


 いまいち頭が回転していないのか、シャトゥ=ツナーは命の恩人であるナナ=ビュランに対して、そんな感想を抱いてしまう。彼女の懸命さが伝わるどころか、彼の清純を奪った相手として、シャトゥ=ツナーは認識してしまうという愚かさであった……。


「僕も生理的にうけつけない味なんだみゃー。口移しでお願いするだみゃー、うぎゃあああ!」

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