序章 異世界

冒険記録1 異世界に行く理由

「目を覚ましましたね。これからあなたを別の世界へ送ります」


 妙な浮遊感を感じ、目を覚ましたヨシュアの横に立って見下ろしていた謎の女性からいきなり言われた一言だ。

 お酒が程よく回り、眠気も相まってか覚醒しきれていない頭で突如言われ、ヨシュアは混乱していた。

 それを知ってか知らずか、女性は彼の顔を見ながら説明を続けていた。


「す、少し待ってくれないか。突然説明を始められても、私には何がなんだが理解できないのだが。ここはどこだ? そしてあんたは一体何者だ」


 寝転がった状態からズキズキと痛む頭を押さえつつ、ゆっくり体を起こした彼は苦痛な声を上げながら周りを軽く見渡した後、次に進めようとしている目の前の女性を慌てて止める。


「ここは世界の狭間です」

「ということは私は死んだという事か?」

「いいえ、死んでいませんよ」

「まだ……?」


 矢継ぎ早に質問するヨシュアに彼女は答えていく。白く輝く空間をいまだ慣れていない目で見たがために、頭痛が更に増した彼だったが、なんとか耐えながら自分の目をゆっくりと慣らし、女性の含みがある言葉に片眉を上げて首を傾げた。


わたくしの事ですが、後程のちほどお話致します。そうでなければ貴方は興奮してしまいますから」

「そう言われると更に気になってしまうが……」


 ヨシュアについて何もかも知っているかのような口ぶりに、怪訝な顔をしながら彼女を見つめるも、そのことはどうでもいいという顔をして、説明の続きを始めていた。


「これから話す事について反復することは御座いませんので、一度で理解してください」

「無茶苦茶言いよる」


 理不尽なことを言う目の前の人物に、彼は困った顔をする。

 海賊として生きてきた三十四年の間、いろいろな女性に話しかけられてきたが、ここまで理不尽なことを言って、強引に進める相手は初めてだった。まさにどうやって相手をしたらいいか分からないという状況だ。


「今までの貴方の行動、言動を見てきた上で言いますが、わたくしは貴方を評価しているのですよ。その探求心の強さを」


 彼から離れた女性は煌めく大理石の長机に向かう。

 そこにある水晶玉には、彼が生まれてから今までにしてきたことが映像として流れていた。

 大事なものを扱うかのように優しくそれを手に取ると、ゆっくりとした足取りで戻ってくる。


「人として当然ではないか。何かを知りたい、理解したいと思うことは」

「それが、そうではないのです」


 両手で大事そうに持つ彼女が視線を下すと、先ほどまで流れていた映像が渦を巻き始め、次の瞬間には別の人物の過去が流れている。


「どういうことだ」

「世の中には何にも興味を示さない人間もいます。貴方の周りにいませんでしたか? ライバルや同盟を組んでいた相手に」


 水晶玉から目線を外し、女性はヨシュアの顔を見つめる。

 その問いかけにしばらく考えた彼は一人の人物を思い出し、眉間にしわを寄せた。

 過去に対決した相手を思い出したのだろう。


「……そういえばいたな」


 その答えに満足した彼女は微笑み、頷いた。


「幸いにも、貴方の周りは貴方と似た人物達で構成されましたが、世界は広いのです」

「随分と回りくどい言い方だが、つまりはあんたが言う別世界とやらに行って、今までとは違った人達を助けろと言いたいわけか」

「理解が早くて助かります」

「……別世界に行くのは面白そうだが、断らせてもらう」


 腕を組み、ヨシュアは不貞腐れた表情を浮かべていた。


「なぜ?」


 彼にとって面白い事は知識の幅を広げる事だと知っていた女性は、不思議そうに首を傾げている。


「私が今までで得た知識を、見知らぬ他人の為に使いたくないのだ。使うのならば仲間達のために使う」

「ああ、そうでした。貴方は昔からそういう人でしたね」


 疑問が晴れた彼女は納得した顔で頷き、聖母のごとく微笑んだ。


「分かっているのならば、何故私にあのようなことを言ったのだ」

「その理由は二つございまして、一つは貴方が今までしてきた殺人・略奪への贖罪しょくざいです」

「私に罪を償えと?」

「ええ」


 そう言われた途端、先程まで余裕たっぷりな表情を見せていたヨシュアの顔が苦虫を噛み潰したように歪む。彼女が言うように、ヨシュアはずっと罪を犯し続けていた。それの罪滅ぼしをしろと言われるのは至極当然の事だった。その事に対し、不満そうに彼女を睨む。


「そんな事を言うのであれば、尚更行く気は起きんな」

「貴方にとって興奮するものが多くあるとしてもですか?」


 ハッ! と小馬鹿にしたかのように短く笑い、先程まで寝ていたベッドに寝転がり、背を向けて目を瞑る。その姿勢から、もう何も聞く気はないといっているかのようだった。そんな彼の背にぼそりと呟いた。ヨシュアの肩がピクリと動く。それを見た彼女は更に情報を与えた。少しずつ出される話に少しずつ興味が出てきたのか、顔だけを向けてくる。


「罪を償う理由ですが、ここに映し出される二つの映像を見てからお答えします」


 興味を示しているヨシュアに説明の続きをし始める。 

 女性が手に持っている水晶玉が、突然白く輝き、別世界の映像が流れ始めた。

 そこには鍬を持ち、一生懸命畑を耕している農民。鉄のつるはしを持ち、坑道に入っていく鉱夫達。鉄の鎧を着て剣を腰に携え、談笑しながら道を歩く冒険者達が映し出されていた。


「先程の場面から50年ほど経ったものです」


 女性がそう言うと、もう一度水晶玉が輝き、映像が流れる。道具や行動が変わらない風景が映し出されていた。


「どこに違いがあるというのだ。最初に見せられた映像と何も変わらないぞ」

「賢い貴方なら簡単かと」


 顔だけ向けていた状態から体を起こし、彼女を正面に見据える。

 そういう女性は妖しく笑い、ヨシュアがどのような答えを出してくるか楽しみだという顔で待っていた。


 射貫くような眼差しで彼が見ても、表情を変えない目の前の女性に睨むことを諦めたのか、視線を水晶玉に戻し、思考する。


「……同じ風景や人の行動。やはり、何も変わっていない。どこもおかしな所は……いや、何も変化がないというのがおかしい。何故何も発展していないのだ。この世界に学者は? 研究者は?」


 目の前にいる女性に問いかけるが、目を瞑り、ゆっくり首を横に振る。


「そのようなことがあり得るのか……」

「残念ながら」


 そのことを聞いたヨシュアは眉間に皺を寄せ、顎に手を置くと目を瞑る。

 しばらく黙り、頭の中を整理するかのように独り言を呟くが、いつまでたっても纏まらないのか、目を開き、女性に視線を向けた。


「二つ目の理由は?」

「二つ目は一人でも構いません。この世界で親しい友人を作り、その友に知恵を授けてほしいのです」

「よほどのことがないかぎり、私は友を作ろうとは思わないし、知識を与えたいと思えないのだが」


 ため息をついたヨシュアは、首を横に振る。まるで興味がないといわんばかりに。


「それでは意味が無いのです」

「どういうことだ」


 彼女が言う言葉の意味が分からないと首を傾げ。


「これから貴方が向かう世界は、他人と共存し、生活しなければ生き残ることが難しい所です。分かりやすく例え話をしましょう。貴方と貴方の仲間がいて、目の前には巨大で力の強い熊が一頭います。それには別々の所に弱点があり、二人で協力し、同時に弱点を突かなければなりません。幸いにも、貴方はその熊に対処する知識を持っています。ですが、仲間は持っていません。そのような場面に出くわした時、どうしますか?」


 彼女から先程から何度も繰り返される問いかけだ。目の前の女性はヨシュアに考えさせることを楽しんでいるのか、ひっそりと笑っている。


「……弱点を教え、相手が最も得意だということで対処させる」

「そういうことです」


 ヨシュアが言った答えに満足したのか女性がニコリと笑った。


「それが常に行われる世界とは……やはり面倒だな。今ここで戻せと喚いても、戻れなさそうだしな。仕方がない。その提案に乗るとしよう。どちらにしても、行かなればならないのだろう? ここに私を呼んだという事は」

「ええ」


 清々しい顔で女性は頷いている。

 その顔に少しだけ苛立ちを覚えた彼だったが、先程から感じている何かに考えを遮られ、何も言えなかった。


「別世界に行くにあたって、貴方にこれを授けます」


 ヨシュアの左手を優しく手に取って包み込むと、彼には理解できない言葉を女性が唱え始めた。

 その行動をじっと見つめていると、白く淡い光が女性の指の間からこぼれ、少しだけ周りが輝いている。


「これは、指輪……?」

「ええ。中指にはめる指輪には、円滑な友人関係を築けるようにという願いを込められています。そして」


 その言葉を機に、はめてある指輪が赤く輝き始めた。

 それはジワジワと熱を持ち始め、中指から腕を伝って首の大部分を埋めるかのように鎖の模様が刻まれていく。


「あ、熱い……! 腕が、焼けるっ!」

「それを貴方の罪に対する枷だと思って下さい。外そうとは思わないでくださいね」


 女神のごとく微笑む顔だが、その裏にある悪魔のような考えに背筋が凍るヨシュアだった。


「……末恐ろしい、女、だな。――1つだけ、行く前に、あんたの名を、知りたい」


 痛みと熱さがまだ残る左腕をかばいつつ、ヨシュアは女性に問いかける。


わたくしの名はアテリア。多くのことを司る神と知られていますが、ここでは知識の神とさせて頂きます」

「知識の神アテリアか。……なるほど。あんたと会話し始めた時から震えが止まらなかったのは只者ではないと、無意識に感じていたが故か」


 俯いたヨシュアは、微かに震える自分の両手を見つめていた。手から体へと伝う震えを抑えることなく、長い間顔を伏せて見つめている。

 最初は小さかったが、少しずつ大きくなる笑い声を周りに響かせた。


「女神アテリアよ! 貴女のことを調べさせて欲しい! 先程までは知ろうと思わなかったが、名を知ったことで俄然興味が湧いて来たのだ」


 勢いよく顔を上げた彼は、少年の様な眼差しで女神を見つめる。

 その目に危うく負けそうになった女神だったが、思いとどまり、口を閉じた。

 伊達に長く、神をやっていない。


「貴方のそれは神に対しても発動するのですね」

「それはそうさ! 相手が誰であろうと、興味を持った相手の全てを知りたいと思うのは、私が常に知識を得ることに飢えているからだ!」

「その貪欲さは別世界で発揮してください」


 女神がヨシュアに微笑みかけ、彼の目を手で覆うと、興奮していたヨシュアの体から少しずつ力が抜けていき、崩れるように倒れていくのが目に見える。


「ま、まて……まだ、ききたい、ことが」


 後ろにゆっくり倒れていく中でヨシュアは、助けを求めるかのように女神に手を伸ばす。


「全ての罪を償えるよう見守っていますよ、貪欲で怖い者知らずの海賊ヨシュア」


 眠りについた彼の隣に座りながら頭を撫でている。

 その顔はやんちゃな息子を愛おしく思う母親のようだった。

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