客にキラキラを注入された嬢の話
ブリモヤシ
第1話
祐子は滋賀の生まれで、実家の近くには雄琴という有名なソープ街があった。国道から見える街のネオンは、おとぎの国のようだったので、祐子は、大人になったらそこで働きたいとずっと思っていた。
商業高校を卒業してから、東京に出て、先輩の勤めていた吉原の店を紹介してもらい、そこで働き始めた。仕事は楽しかった。大変なことといえば、生活の昼夜が逆転することと、体力的に疲れることだったが、それも思ったほどではなかった。
仕事を始めて一カ月ほどすると、客の上で腰を使いながらタイルの目を数えて気を紛らすことをおぼえたので、体は楽になった。同僚の女たちは、しょっちゅう嫌な客の愚痴をこぼしていたが、祐子にはそれが不思議だった。扱いづらい客は確かにいたが、嫌だと思ったことはなかった。祐子は男が好きだった。
だが、その日、その客を見た時、ついに来たか、と祐子は思った。
小学生ほどの背丈しかない、小太りのその男は、豚のように白く、額の中央だけがなぜかピンク色だった。歳は、若いのか中年なのか、見当がつかなかった。
祐子が嫌悪を感じたのは、そういう容姿よりもむしろ、彼が母親とおぼしき初老の女性に手を引かれ、浴室にまで入って来たことだった。
その女性は、ほほ骨と顎が見事に尖っていて、テトラポットを逆さまにしたような顔だった。冷ややかな目は気位が高そうで、着ているものはシャネルの黒のツーピース。唇にはじゃばらのような皺が寄っていて、そこに真っ赤な口紅が塗られていた。
「マザコン」という言葉を思い浮かべると同時に、祐子は身震いした。これからこの男と肌を合わせ、例え仕事にしても、自分の体に迎え入れなければいけないかと思うと、歯ぎしりしたくなった。暴力的な男や、絶倫ぶっている男の方がまだいい。女を征服するために頑張っているのだから、征服されたふりをしてあげる価値もある。だが……こんな男だか豚だかわからないようなものに征服されるのは、みじめなだけだ。
母親が出て行った後、その子豚は閉まったドアの取っ手を見つめていた。
「こういうところ、よく来るんですか?」
祐子は、ベッドの下から脱衣籠を出した。
答えがないので振り向くと、彼は祐子の体をなめるように見ていた。履いているスカートと太ももの境目で視線が止まったのがわかった。
「服を、脱いだら、ここに入れてくださいね」
彼女は脱衣籠を指し、いつもならここで自分も服を脱ぐのだが、そうしないで、タイル張りの風呂場へ降り、浴槽に湯を張った。
彼はベッドの角に置物のように座り、壁に描かれた大きな孔雀の絵を見ていた。
「奇麗だね、これ」
「そう?」
銭湯のようで趣味が悪い、と、店の女の子の間で不評の絵だった。
彼はいつまでも部屋を眺めまわしていた。
「それじゃあ、失礼します」
服を脱がせようと、彼のセーターの裾に手をかけると、彼はその手を握った。意外な強さだったので祐子は驚いた。
「脱ぎたくなったら自分で脱ぐ」彼は不服そうに言った。「ねえ……キミさ、僕のこと馬鹿にしてるだろ」
「馬鹿にする? どうして?」
「目でわかるよ」
「え、そんなことないって。……お湯、見てこなくちゃ」
湯に手を浸けると、ちょうどいい温度だった。
「僕がおかあちゃまと一緒にこんな所に来るなんて、変だと思ってるだろ?」
「え、何?」
「いい歳してついて来てもらうなんて、おかしいと思ってるだろ」
「お湯入ったから、どうぞ」
彼は立ち上がり、服を脱ぎはじめた。祐子はそばに行き、店の規則通り膝をつき、脱いだものを畳んで籠にしまった。セーターの下には薄ピンクのボタンダウンシャツを着ていて、グレーのネクタイをしていた。ハンプティダンプティみたいな彼の顔以外、みな趣味がよかった。
ズボンのベルトにかけた手を止めると、彼は祐子を見下ろした。
「ねえ、キミ、名前なんていうの?」
「さつき、ですけど」裕子は笑顔で言う。
「じゃあ、さつきさんの頭を、今、踏ましてくれる?」
祐子は驚いたが、二三度瞬きしただけで、笑顔は絶やさなかった。「え? どういうこと?」
「頭を踏んづけるんだよ。人を馬鹿にしちゃいけないんだからな。そこに正座して、おじぎするみたいにするんだ」
祐子はカラカラと笑った。「そういうのは他でやってくださいよ。ここはそういうお店じゃないんだから。それより、お湯、冷めちゃうから、ね」そう言ってズボンのジッパーに手をかけた。
「ここじゃあ何でダメなの」と彼。祐子がかまわずにベルトを外していると、やがて拗ねたように唇を尖らせ、「言ってみただけなのに」
下着を脱がせようとすると、彼はバンザイをして協力した。腹がぶよぶよで、ヘソが肉に埋もれて見えなかった。アレは大きかったので、祐子は少し癪にさわった。こんな男が、どうして短小でないのか。女とする資格などないのに。
その時、彼が小声で何か言った。
「え?」
「ごめん、って言ったんだ」
「なんで?」
「さっき、頭踏みたいなんて言ったから」
「そんなこと言った? 忘れちゃった」
祐子は、彼に背を向け、自分も手早く服を脱いだ。
「本気で言ったんじゃないんだ。君のこと見てたらつい言ってみくなっちゃったんだ」
……嘘つけ、馬鹿にされたと思って、仕返しで言ったくせに。
祐子は髪を結び、笑顔で振り向いた。
「さあ、向こうへどうぞ」
手を引くと彼は逆らった。
「ねえ……あそこ、舐めてくれないの?」
祐子はふいをつかれて止まった。確かに、そうするのが店の決まりだった。だが、おしっこの臭いがしていたので、省略したのだ。どうせ分からないだろうと思って。
「先に体洗ってからね」
祐子はさらに手を引いたが、彼はびくともしない。
「じゃあ、座って」
壁際に積んである新しいバスタオルの山から一枚取り、自分の胴に巻きつけた。
「失礼します」
彼の正面に膝を突いた。何も考える必要はない。やることをやり、男が射精すれば一丁上がりだ。
顔を近づけると、炊きたてのおからのような臭いが、喉を押し広げて入って来た。鼻をつめて、口だけで息をする。鳥の皮のようなふにゃふにゃが唇に当たる。
始めるとすぐに「もういいよ」と彼が言った。「そんな顔してやるくらいなら、やらなくていい」
祐子が顔を上げると、悲しげな目にぶつかった。
「そう?」
祐子は立ち上がって風呂場に行き、湯の温度を確かめた。手でかき混ぜると、熱いところとぬるいところがしま模様のように感じられた。湯を注ぎ足し、隠れて口をゆすいだ。洗い場に片膝をつき、彼に背を向けて笑顔の練習をしてから、シャワーを出した。
「さあどうぞ」
振り向くと、部屋の中にさっきの母親が立っていた。黒のタイトスカートに白いブラウス。逆三角の顔。
祐子は、一瞬、幻かと思った。時間中に誰かが入って来ることなどありえない。
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