第174話 白馬の王子様は駆けつけます
「ココーッ!?」
「お待ち下さい、殿下っ!」
聖剣を抜いて飛び出そうとするセシルを、ナバロとウォーレスがしがみついて必死に止める。
「放せっ! ココがっ!?」
「わかります! わかってます! しかし、今はどうにもならないんです!」
討伐軍の兵たちも、攻撃の手を止めて茫然と見ている。
「ヤツの動きを止めない事には! 我々には近寄ることもできません!」
ライドンがデカすぎる。
暗黒龍の巨体を止めない事には、剣や槍など突き立てることもかなわない。
今の人間たちには、暴れまわるライドンを足止めさせる手段さえ無いのだ。
◆
ライドンは暴れていた。
あらん限りの力で周囲をメチャクチャに打ち壊していた。
但し、それは周りの人間どもが思っているのとは少し状況が違っていた。
ライドンも破壊の意思があって暴れているのではないのだ。
『グ、グォォォオオッ!?』
あまりの不快感に、暗黒龍は正気を保っていられない。
『はらわたが、焼ける!?』
自分の体内から、あらゆる痛みが湧き出してくる。こんな思いをしたことは記憶にない。首の根元の辺りから、突き刺すような痛みと脱力感、そして不愉快なムカムカした何かが際限なくこみ上げてくる。
たまらなくなって喉元までせり上がってきたものを吐きだせば。
『グハァッ! ……ア?』
口からほとばしったのは、己の攻撃手段である毒の霧と炎……にプラスして、本来自分から出る筈のない聖心力の青白い炎。
『なんだと!?』
溢れて吐いてしまうくらい、腹の内に聖心力、つまり猛毒が溜まっている事にドラゴンは驚愕した。
◆
“聖なる物干し竿”でむりやり拡張したライドンの食道内で、ココは“物干し竿”の上に立って“聖なる肉切り包丁”を構えていた。
周囲は青白い光で満たされ、眩しいほどだ……ココが自分で発光しているのだが。
「ふむ。やっぱりコイツで斬っただけじゃ外までは貫通しないか」
ココは“聖なる肉切り包丁”でライドンの柔らかい粘膜を斬りつけ、突き刺し、抉ってみる。内部はどんどん傷ついて行くが厚みがあって、さすがに外まで通じるような大穴は開けられない。それにこの様子だと、
「脱出はできないか……そりゃそうだよな。無制限に伸びる筈の“聖なる物干し竿”が、これ以上伸びないんだものな」
延々いつまでも同じところを切り裂いて行けば、あるいは龍の外皮を食い破ることはできるかもしれない。
しかし。
ココは余裕のない顔に、少し疲れた笑みを浮かべた。
「そこまでは……私の方が持たないよな」
ライドンの消化器系にわずかに存在する空気を、聖心力で浄化して呼吸している。龍の外に脱出できるまで、ココの方が持たないだろう。
「だったら、やっぱり……せめてセシルの為にコイツを弱らせてやる!」
ココを包む青白い光が、さらに輝きを増した。
発現される聖心力はかつてスカーレット派どもに披露した時よりも、はるかに強力に輝いている。ぬらぬらした粘膜内の壁に反射して、目を開けていられないほどだ。
そんな中でココは“聖なる肉切り包丁を内壁に突き立て、ぐりぐり抉りながら手元に力を込めた。
「“傷口に塩を塗る”って言葉があるけど……肉の中に直接聖心力を注入したら、どうなのかな」
少なくとも、塩を塗るよりは痛いだろう。
ココの息が続かなくなるのが先か、ライドンが倒れるのが先か。
暴れる暗黒龍の腹の中で、ココの戦いが始まった。
「なんでもいいけど、眩しくって手元が見えない……」
◆
異様な状態になっているのは、もう外からも見ることができた。
龍は確かに暴れ続けているのだが……あきらかに、その暴れ方がおかしい。
暴れると言うより、のたうち回る。
立っていられなくなったライドンが、その巨体で森林を押しつぶすように転がりまわっている。
『グォォオオオオオ!?』
吠える口元から黒い何やら毒々しい物と、青白く光る炎が噴き出た。
「あの色は……」
ナバロの呟きに、セシルが龍を睨みつけながら返した。
「ああ。間違いなくココの聖心力だ!」
器用にエビぞりになったドラゴンが、跳ね回りながら喉を掻きむしる。
鋭い爪を鱗に突き立てて傷をつけてしまうが、そんな事にも気が付かないくらいに龍は我を忘れている。己の吐いた物で顔面が焼けているが、止めようもないらしい。
まさに断末魔といった感じのドラゴンの苦しみぶりを見て、ウォーレスが龍の首の根元を指さした。
「あそこを見てください! 細い首がおかしな膨らみ方をしています!」
確かに、中から棒で無理やり広げたような場所がある。よく見れば鱗を通して地肌がほんのり光っているような……。
「ココはあそこか!」
「このままいけば、ドラゴンが瀕死の状態で動きを止めるかもしれません。そうなってくれれば、接近して首を落とせるかも」
「よし……俺たちと選抜した突入班で下の陥没地帯に降りるぞ! ナバロはこのまま崖上で観測を続けて、ヤツの動きを下の俺たちに伝えてくれ!」
「はっ!」
ライドンを倒すのは、今を置いてない。
なにより、今すぐ動かなければココが助からない。
セシルは今すぐ走り出したい気持ちを抑えながら周囲に指示を出し、率先して動き始めた。
◆
外でセシル達が陥没地帯に足を進め、慎重に龍が暴れまわる場所へ近づきつつある頃。
龍の腹の中で、ココはぐったりと“聖なる物干し竿”にしがみ付いていた。
必死に周りを痛めつけてまわったけど……元から生物が生きられない環境にいて、さすがに限界が来ていた。
ライドンが転げまわって激しく暴れたせいで、ココを吊り下げていた落下傘の紐もドラゴンの歯から外れてしまった。身体を支えることもできず、これ以上落ちないようにしがみ付いているので精いっぱいだ。
それでもココはわずかに残った意識で、聖心力の放出を止めない。
少しでもライドンを弱らせる。
それがもうココにできる最後の事だ。
聖心力を出す気力もなくなった時……ココを支えている“聖なる物干し竿”も消え、ココは龍の胃まで落ちる。
『ココ……ココ……』
朦朧としているココの頭の中へ、なんだか懐かしい声が聞こえた気がした。
「ん……誰?」
『ココ』
ココの精神体が顔を上げ、上を見た。
「
女神は慈しみを浮かべた目で微笑んだ。
「とうとう私もくたばる時が来たか……」
早かったのか、それとも無茶な人生のわりに遅かったのか。
それはココには判断つかなかった。
「……にしても。女神が自分でいちいち迎えに来るって、あの世って人手不足なのか?」
それならココに
『あなた、こんな時でも変わりませんね』
女神は触れられない手で、ココを撫でるようにした。
『聖女ココ。よく役割を果たしてくれました』
そう言われても、ココの方は何とも言えない。
「何ができたってわけでもないけどな」
ココは降りかかる火の粉を必死に払っていただけだ。何か、目的に向かって走っていたわけじゃない。
『いいえ、十分です。あなたを見込んだ甲斐がありました』
「見込んだ?」
『そうです』
女神は普段ココに見せない厳かな表情で頷いた。
『今この時の聖女は、あなたでなければなりませんでした。
手は汚しても心は闇に沈まず。
貴族の暮らしをしても常に下々の視線で世の中を思う。
逆境の中でも前を見て、折れることを知らない。
環境に流されず、常に心に芯を持っているあなたでなければ……魔王の復活までにタガの緩んだ人間社会を整え直し、ここまで持ってくることはできなかったでしょう」
「……王国や教会のドタバタも、織り込み済みだったってことか……」
ココはどうやら、女神に良いように使われていたようだ。
◆
もう痙攣しているばかりになったライドンの廻りをセシル達が囲んでいた。
「クソッ、ココはまだ無事か……!?」
ココがいると思しき辺りに剣を突き立てようとするセシルを、慌てて聖堂騎士団長が止める。
「殿下、その辺りをいきなり切るのは太すぎます!」
「しかし、この辺りにココが……!」
「まずライドンの首を落として息の根を止めませぬと! 変に傷をつけてこいつが暴れ出したら……」
「ああ、もう!?」
◆
「まあ……こんな私でも役に立ったんなら、それでいいや」
ココが世界を救ったのならば、さんざん食い逃げで迷惑をかけた市場のオッちゃんたちも
敢えて心残りを言えば、親しかったみんなの顔をもう一回見たかったけど……。
「ライラ。私はこれで終わりなのか?」
わりと真面目に問うたココに、
『きっとまだ、大丈夫ですよ』
「なんだよ、そのあやふやな言い方は?」
『だって、よく言うじゃないですか』
「何が?」
『“憎まれっ子、世にはばかり”って』
「おうコラ、よくぞ言ったな?! 表に出ろや!」
◆
セシルは焦る気持ちを抑えて、龍の首で一番細いと思われる辺りを斬りつけた。
聖剣は他の武器では傷もつけられなかった龍の鱗を見事にスパッと切り裂いた。
切り裂いた。
切り落とした、じゃなくて。
「コイツ、首が太すぎだ!」
思わず怒鳴ったセシルに、狩猟に慣れた兵が叫ぶ。
「殿下、後ろに回ってまずは背骨を切ってください! そうすれば意識があっても身体は動かなくなるはずです!」
「くそう、一瞬が惜しい時に手をかけさせてくれる!」
『グォォ……!』
「おまえは黙ってろ!」
意識が混濁して吠えかけた龍を、セシルが蹴りつけた。
「俺に殺されて早く楽になりたければ、おとなしく殺してもらえるのを待っていろ! ぶっ殺されたいのか、おまえは!?」
◆
『最後にもう一つ、あなたにお願いがあります』
「うえー、まだあるのか……」
女神に言われて、ココは悲鳴を上げた。
精神体の状態でも、もう半分意識が飛びかけている。このまま眠ってしまえば楽なのに……。
だけど女神はとことん使い立ててくれる。
『この旅を終わらせるには、もう一つあるでしょう?』
「もう一つ?」
『魔王の事です』
「あっ……!」
ライドン戦のおかげで、すっかり忘れていた。
まだ復活していないとか言う、どんな姿かもわからない“魔王”。
ライラが何かを気にして、先を続けた。
『もう時間が無いので、よく聞いてくださいね……』
◆
やっと暗黒龍の首を切り落としたセシルは、ココがいると思しき辺りから少し離れた付近に刃を入れた。
そこから慎重に首を縦に切り裂いていく。ココも一緒に切ってしまったら洒落にならない。
祈るような気持ちで龍の首を、わずかずつ聖剣で裂いて行く。
「あっ!」
ウォーレスがいきなり叫んだので、セシルもビクッとして慌てて手を止めた。
「なんだ!? 脅かすな!」
「不自然なふくらみが……消えました!」
さっきまで棒で押したように膨らんでいた辺りが、普通の幅に戻っている。
「……ココ!?」
思わず全身の毛が逆立ったが……あくまで慎重に肉を切り裂いていく。勢いよく聖剣を振るって、ココまで怪我をさせるわけにいかない。
慎重に。
慎重に。
そして……。
「ココ!?」
特徴のある銀髪が見え、セシルは手元に力を込める。
開いた肉を兵たちに閉じないように押さえさせ、さらに切り進め……肩が見えたところで、セシルと聖堂騎士団長で引っ張り出した。
「ココ……」
意識が無く、ぐったりしているが見た目の傷はない。
「ココ、しっかりしろ!」
セシルが壊れモノを扱うように、そっと揺り動かし……かけたところで。
「聖女様あ! しっかり!」
空気を読まない
「おいっ!? 何を!?」
「殿下、遭難者の意識が怪しい時はそのまま死なないように、こうやって刺激を与えて意識を現世につなぎとめるんです!」
「あ、そう……」
さあ! と言われても……。
セシルが二撃目を自分でやるか悩んでいると。
「ん、んん……!」
「ココッ!?」
僅かに呻いたココが、うっすらと目を開けた。
「ココ!」
「あ、セシル……? あ……外?」
「そうだ! ライドンは倒した! 助かったんだぞ!」
「ああ……そっか……」
状況が理解できたらしいココが、セシルに夢見るように微笑んだ。
「なんとか……生き残ったな」
「ああ! ……無事でよかった、ココ……!」
聖女の生還にドッと歓声を上げる兵たちの真ん中で、セシルはしっかりと……二度と離さないと言うようにココを抱きしめた。
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