第146話 聖女様は腹を決めます

 セシルは弱々しく微笑んだ。

「おいおいココ。俺たちが逃げたら世界はどうなる。代わりの勇者や聖女なんか、都合よく見つかったりはしないと思うぞ?」

 そう言ってたしなめた王子に、聖女はこともなげに言い放った。


「子供二人に運命を託す世界なんか滅んでいい」


 ココは大まじめに王子を見ている。

 そこには冗談も勘違いも打算もない。


「“大人”ってのは自分の事は自分でできるから“大人”なんだ。だったらまず自力で努力しろっての」

「それは……そうだが!?」

「勇者に頼る気満々の連中も、いなくなれば自力で何とかしないと助からないって嫌でもわかるよ。自分のケツに火が付いたのを理解すれば、甘えたヤツらもちゃんと戦うだろう」

 思わず絶句したセシルの肩を揺さぶり、ココが重ねて言う。 

「な、セシル。行けるところまで、大陸の端まで逃げよう。各国が徹底抗戦してくれれば、私たちの寿命が来るまでは魔王軍が到達しないかもしれない」


 何を言うべきか迷った様子のセシルはしばらく口をパクパクさせながらココを見つめ……ややあって、そっとココの二の腕を掴んだ。

「おまえの言うとおりだ、ココ。……ただ、な」

 セシルはゆっくり立ち上がり、横に首を振った。

「それを言ったら、俺には残って戦わないといけない理由がある」

「……なんで?」

「いつだったか、おまえに言っただろう?」

 どこか覚悟を決めた様子のセシルは、見つめるココに。

「王侯貴族が民から吸い上げた富で贅沢をさせてもらっているのは、いざという時に矢面に立つ為に飼われているからだ。今がまさにその時。そして魔王が真っ先に狙うのはうちの国だぞ?」

 出会った時の事を思い出し、ココが切ない表情になる。

「……戦うのは野菜だけにしておけよ、アホウ」

「食いたくもない物って言う点では、ブロッコリーも魔王も同じだな」




「そうだ」

 セシルは執務机の裏に回り、引き出しを開けた。かがんで引っ張り出したのは、ココも見覚えのあるだった。

 以前没収された時よりも一本増えている。


 金貨を詰めたビン三本を机に並べ、セシルがニヤリとイイ笑顔になった。

「特別サービス、銀貨銅貨に崩す時の手数料の分を利子で乗っけておいてやった。……金貨に両替しておいてよかっただろ? これだけでも重さは結構ある。銀貨辺りじゃ荷車が必要だったな」

 セシルはこれもそのまま保管していたらしい、以前経理の役人が持っていた肩提げカバンに金貨を詰めてココにたすき掛けに提げさせる。

「俺は逃げるわけにはいかないが、おまえはこれを持って逃げろ」

「セシル!?」

 王子様はいつの間にかまじめな顔になっていた。

「まだ日給銅貨八枚なんだろう? 普段の仕事で給料分は十分働いてる。元々おまえは責任を取らなくちゃならない身分でもない。もう解放されてもいいだろう」

「……そんなこと言ったって!? おまえが勇者になるにしても、聖女抜きでどうするんだよ!?」

「さて。まだ何も考えていないが……それこそお前が言った通りだ。これはしかるべき人間がまず戦わなくちゃいけない話だ。自分で志願もしていないおまえが、責任を感じるような事じゃない……おまえがどこかに落ち延びる時間を稼ぐためなら、俺も張り合いが出るってものさ」

「この、バカやろう……」

 ココはもう、隠すこともできずにボロボロ泣いている。

「……セシルごときが努力したって、滅亡は一時間だって延びやしないぞ」

「その通りだけどな。カッコだけはつけさせてくれないかな」




 ココはグシグシと袖で乱暴に涙を拭いた。

「……わかったよ。私も行ってやる! おまえだけじゃ危なっかしくて見てられない!」

「ココ、おまえがつき合うことは無い! ……おまえは逃げてくれた方が、俺は心配しなくて済むんだよ」

「私が戦場に出るより、おまえを行かせるほうがよっぽど心配だろうが!」

「それを言うなって……」

 額を突き合わせてガンを切るココと、小さくなるセシル。 


 ココはセシルの胸に額を預け、体重をかけた。

「……言っとくが、私は人類の代わりに死んでもいいなんてさらさら思ってない。いよいよ危なくなったら、おまえとナッツだけを連れて逃げるからな!」

「……教皇やウォーレスは?」

「アイツらは大人だ。自分で何とかしてもらおう」

 セシルはそっとココの頭を抱え込み、長い髪を優しく掻き上げた。

「……必ず生きて帰ろう、ココ」

「……うん」

 ココもセシルの胸に顔をうずめたまま、静かに頷いた。




「そして、結婚式は盛大にやろうな」

「そいつは別の話だ」



   ◆



「ゴギャッ!? (これは!?)」

 模範囚として牢番の代わりに地下牢の見回りをしていたゴブリンは、ティキーンと脳内を走る稲妻にハッとして上を見た。

 ゴブリンは知る由もないが、その方向はちょうど王子の執務室のある方だった。


「グギャ…… (この気配は……)」

 背筋を貫く感動に、ゴブリンは興奮して叫ぶ。

 

「ギャギャギャ!? (オトコオトコに惚れる気配!?)」


 なんてこった! 今、俺は歴史的な瞬間に立ち会っているのか……!


 大興奮のゴブリンは腰に提げていた警棒でガンガン鉄格子を叩いて廻り、ついでに地下牢の鍵も開けてしまう。

「ギャッ! ギャッ! ゴギャギャ、ウホッ! (みんな出て来いよ! 今日は漢の祝祭だぞ! 俺たちも夜を忘れてツキあおうぜ!)」




「なあ、あのゴブリンどういうつもりなんだ? なんだか一人で騒いで鍵を開けて回っているぞ?」

「知るかよ! うっかり脱獄なんか考えるんじゃねえぞ? ヤツの手にのった連中の末路は見ただろ?」



   ◆



「行くと決めたら、準備は念入りにしないとな!」

 ココは腕組みをして郊外の方を見つめた。魔の森があるという方向だ。

「四百年前のカビの生えた事例なんか、参考にしたって役に立たない。私たちは私たちなりに、理屈を突き詰めて魔王を追い詰めるぞ!」

「おう。せっかく大陸中に触れを回して同盟軍を募っているんだしな。何をどうするか、腹案も考えてる」

「そう言うのこそ、おまえの得意な所だものな」

「ああ。魔王軍が意表を突かれてオタオタするようなのをやってやろう」

 セシルが自信ありげに笑っている。やっぱり身体を使うより、こちらの方が得意なようだ。


 ココは魔王が隠れていると思われるところまで、どれぐらい遠いか知らない。

 だけどそこは、この国の一番端っこ……昔辺境と呼ばれたこのビネージュ王国の中でももっとも辺境にあたることだけは知っている。

 そこまで大陸中の力を結集して先手を打って攻め込むのだ。いろいろやるべきこと、考えるべきことは無数にある。

「ウォーレスたちも交えて、作戦会議を開かないとな。魔物はどうだか知らないが、人間の軍は食料も消耗品も必要だ。教団に物流対策の話を持ち込んだのはおまえだろ?」

「そうだ。そういうことも考慮して、全体の計画を組み立てないとな!」

「例えば?」

「教会に指揮された商人たちを全面的に輸送体系へ組み込んでやろう。彼らのノウハウと慣れをうまく組織化できれば、各国が慣れない長距離輸送を自分たちでやるよりよほど効率がいい。前線の軍と後方の補給線をそれぞれ専門で別組織にするんだ」

「その心は?」

「補給を同盟軍司令部、つまり俺たちで握ってしまえば嫌気がさしたって逃げられないからな。それこそ、大人たち各国にはきちんと応分の責任を持ってもらわないと!」

「よしよし。この黒さ、セシルも調子が戻ってきたなぁ!」

「ははは、褒めるなココ」



  ◆

 


「ああ、ココ様!」

 ココが王子差し回しの馬車で戻ってきたと聞いて、ずっと入口でうろうろしていたナタリアが走って出迎えた。

「どうした、ナッツ」

「どうしたじゃありませんよ!? ココ様がどっか行っちゃったから、心配していたんです!」

「大丈夫だ、心配するな。私ならどこへ行ったって生きていける」

「……どこにも行かないから安心しろ、くらい言って下さいよ」

「安請け合いはしない主義だ」


 ココはそのままナタリアを引き連れて、教皇の執務室の扉を蹴破った。

「おい、ジジイ!」

「おお、聖女!」

 ココが飛び出して行って以来、どうやって説得をするか堂々巡りの議論を続けていた教皇たちがハッと顔を上げる。彼らは彼らなりに心労を溜めているようだ。


 色々質問だの説得だのが飛び出る前に、ココはまた机に飛び乗って教皇に向かって宣言した。

「魔王討伐に行ってやる!」

「おおっ!」

 老人たちが喜色露わに騒めいた。


 でも、続きがある。


「そのかわり!」

「そのかわり?」

 ココは教皇の鼻先に指を突きつけた。

「魔王なんかを退治に行くんだ! 危険手当に超過勤務手当、戦地赴任手当に出張手当! 今までマトモにもらっていなかった分、ありとあらゆる給与を支払ってもらうからな!」

 そしてかわいい顔に悪魔のような笑みを浮かべ、ココは意味ありげにニタリと笑う。

「教団が破産するまでふんだくってやるからな? 払えなければゴートランド大聖堂ここを差し押さえてやるから、今から更地にして売り飛ばされる準備をしておけ!」


 ドタバタ出て行った聖女を見送り、教皇と秘書ウォーレスは顔を見合わせた。 

「どっちに転んでも、教団うちはピンチ?」

「どうも、そのようですね」


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