第138話 聖女様は力技でまかり通ります

 何か怪しい物音がしている。

 ナタリアが倒れて身動きが取れない。

 応援はまだ来ない。

 馬車が無いので撤退も出来ない。 

 

 ……どうしよう?




 十を数えるほどの時間考えて、ココは原因を調べにいくことに決めた。


 難しく考えたって仕方ない。

 そもそも怪現象を調べにきたのだから、発生してくれたほうが話が早い。

 どうせ逃げる足も無い。前進あるのみだ。


(そう考えると、今一番の問題は……)

 ココは抱えているナタリアを見下ろした。

「ナッツをどうしよう……」

 ココよりナタリアの方が身体が大きい。

 彼女を背負って屋敷中歩き回るわけにはいかない。


 なので。


「すまん、ナッツ。出来るだけ早く帰ってくるからな」


 ナタリア、玄関ホールに放置決定。



   ◆



 訪問者など何年も無かったはずの家に、人間が入ってきた。


「……ほう? ……入ってきたのは二人、片方は……聖魔法使いか!」

 そんな廃屋の奥深くでくつろいでいた男は、面白そうにつぶやいた。


 この打ち捨てられた屋敷には、彼の神経に直結した知覚の網をめぐらしてある。馬車が停まったのも、二人の女が建物の中にまで入ってきたのも、最奥部にいる彼はその場で見たように感じることが出来るのだ。


 侵入者の情報を吟味し、男は目を細める。

「何もしていないのに聖魔法が漏れているということは、なかなかの保有量のようだな……案内人と除霊屋か?」

 ならば面白い。緊張感のない日々に辟易していたところだ。

「いいな、実に良い! 四邪神のブラバ様から潜入を命じられた時は、退屈な任務に絶望したものだが……良い暇つぶしが転がり込んできたな」


 そう語る男の肌は……青い。

 青紫の肌に蛇のような瞳を持つ、今の時代では伝説にしか存在しない亜人種、魔族。

 そんな彼、死霊使いのダーマはかつてゴートランド教団に潜入し、ネブガルドを名乗っていた男の指令を受けて王都の様子を探っていた。

 この屋敷に巣くう怪しげな気配と言うのは、彼の使役する死霊の群れだったのだ。


 そんな存在が、王都の中に潜伏している。

 王国も教団も、このような危機が迫っている事を……いまだ知らない。




「どれ。軽く様子見といくか」

 そう楽しそうに呟くと、人に非ざる男は軽く指先を振って空中に魔法陣を描いた。



   ◆



 ココは音のする方へと歩いてみる。

 相変わらず、足音にも水垂れの音にも聞こえる“何か”はかすかに響いているのだが……。

「……距離感が全くつかめないな」

 大邸宅の廃墟とはいえ、ココの住んでいる修道院よりははるかに狭い。これだけ歩けば音源に近づくか遠ざかるか、はっきりするはずなのだけど……それが無い。

「どういうことなんだ?」

 まるっきり怪奇現象だ。

 ……その怪奇現象を探しに、今日は出張してきたのだが。

「うーん、この変な音をどう考えたらいいものやら」

 こういうはっきりしない状況……。

 ココは犬みたいに、鼻の頭にしわを寄せた。

「何だかわからないが……ウザいな」

 はっきりしないの、ココは嫌いだ。物事はスパッと二つに割れるぐらいがいい。


 若干機嫌を悪くしながら、ココがなおも歩いていると、不意に音が大きくなった気がした。

{あれ?」

 思わず足を止める。耳を澄ませてよく聞こうとした……直後。

 聞き間違いや気のせいではなく、はっきりと耳元で鳴るような音量で怪音が響くと同時に……何もない壁から、いきなり何かが!

「わっ!?」

 ココは咄嗟に転がって避ける。

 ギリギリ紙一重の差で、ココのいた空間を半透明の人間みたいなのが飛び抜けて反対側の壁の中へと入って行く。

 慌てて起き上がって叩いてみたけど……。

「……普通の漆喰の壁だ」

 今のはからくりや手品のたぐいじゃない。


 頭の中のかすかな記憶に引っかかるものがある。

 過去にココが直接見たモノじゃないけど、以前聞いた話と今の化け物の姿が重なる。

「今のは……悪霊レイス!?」

 ココも現物は初めてだが、世の中に悪い感情を持って死んだ人間の魂が悪霊化したとかいうヤツだ。

 そうこうしているうちに、またも悪霊の啼き声が大きくなり……。

 感情を感じない殺気のようなものがブワッと押し寄せ、ココの全身の産毛が逆立った。

「またか!?」

 壁の中から悪霊が飛び出して来るのと同時に、怪音の音量が極端に跳ね上がる。悪霊は飛びずさったココをかすめて、反対側の壁へとまた消えた。




「なんてこった……」

 魔物の相手は何度もしているが(なぜか生身の人間はもっと相手にしているが)、実体のない幽霊なんかと戦ったことは無い。

 とんでもないモノを相手にしていると知り、ココはあちこち視線を配りながら歯噛みした。

「くそっ!? あんなのがいるなんて、聞いてないぞ!?」


 ウォーレスから何を言われてこんな所まで来たのか、ココの中では既に忘却の彼方。


 それにしても……チンピラに絡まれるのはさんざん経験したけど、悪霊にちょっかいを出されるのは初めてだ。


 そこまで考えて、ココはすごく大事な問題を思い出した。

「あれ? ……ちょっと待てよ!? お化けを見つけた後、どうすればいいのかって手段を聞いてない!」

 お化け退治に来ておいて、いまさら言うのもなんだけど……そう言えば、退治の仕方を習っていなかった。

 ついでに、自分がお化け退治に来たこと自体は思い出した。


 聖水を撒いたり聖典を詠唱したり、というのが悪魔払いのイメージだけど……実際にそうなのかは全く知らない。

 触れない幽霊と戦うって、なにか特殊技能が必要なのでは……。 

「ウォーレスのアホ! あいつ、いつもいつも大事なところが抜けているんだから!」

 自分が今の今まで気が付かなかった責任は棚に上げ、ココは教皇秘書のいい加減さに呪詛を吐いた。

 



 さて……あとでウォーレスはお仕置きするとして、問題は今この場をどう切り抜けるかだ。

「とりあえず、動くか……ずっと立ち止まっていても、何にも解決しないものな」

 周囲をキョロキョロ見回して警戒しつつ、ココはそっとすり足で進み始めた。


 さすがのココも、予告なしで今のはびっくりした。

 跳ね上がった心臓のドキドキを鎮めようと胸を押さえながら、油断なく周りを点検する。例の音はまだ聞こえている。

 ヤツらはまだ出てくるつもりだ。

「壁の中に居る間ははっきり聞こえないってことか? 急に音が大きくなったら接近、聞こえてから一拍の間もなく飛び出てくる……厄介だな」

 ココは折伏司祭が悪霊退治をしている所を見たことが無いが、こんなのと日夜戦っているとすると結構大変そうなお仕事と見える。

「今度会ったらねぎらわないとな……」

 そう思った時、ココの脳裏に閃くものがあった。


“折伏司祭は悪霊退治をしている” 


「……そうか。アレ、折伏司祭なら退治できるんだよな」

 やり方は知らんけど。


 手が出せないから怖いし、気味が悪い。

 だけど退治している専門職がいるのだから、攻撃できるって事だ。

「なんだ、だったら別にいつもと同じじゃないか」

 悪霊を攻撃するって言ったら、やっぱりココの得意分野の……。



   ◆



 死霊使いダーマは数体の悪霊を操って、侵入してきた女の動きを探っていた。


 奥へ進もうとしているのは僧服姿の一人だけ。

「もう一人いたはずだが……」

 案内人は入口で待っているということだろうか。


 まあオモチャになりそうなのは聖魔法使いの方だ。これはこれで構わない。

「ふむ? 意外と若いな」

 若いというか、子供に見えるが……。

 だが、派遣されてくるからには一人前の対魔師なのだろう。

「くくっ。どれ、そろそろ手出しをしてみるか」

 人間が悪霊に接触すれば、常人なら異質の者に触られる感触に耐えられず発狂してしまう。

 個人差はあるが、果たして除霊に来た“専門家”はどれだけ正気を保っていられるのか?

 実に興味深い。


 ダーマは配下の悪霊にいよいよ接触を命じた。

「ははは、これは見ものだぞ。よし、悪霊の視野を我と連動させて……」

 ついでに特等席で見てやろうと、ダーマは使役する悪霊の視界を乗っ取る。

 いきなり悪霊に襲われた少女の恐怖に歪む末期の顔。

 そんな光景をドアップで見られると期待して……。




 悪霊は間取りを無視して空中を泳ぎ回り、再び聖魔法使いの歩く廊下へ壁を突き抜けて出て行く。

 ダーマの視界に壁がぐんぐん広がり、そのままぶつかって壁裏の骨組みがほんの一瞬見えた……かと思うとそのまま反対側の壁板を突き抜け、いよいよ少女の絶望ヅラとご対面!


 と、思った瞬間に。

 ダーマの視界に広がったのは、白い可愛い指がぎゅっと握られたグーパンチ。

「はっ?」

 呆気にとられたダーマがものを考える暇もなく、ドアップで見えた拳がダーマの意識体の顔面中央にジャストミート!

「ぶべらぼっ!?」

 うっかり同調を解かなかったばっかりに、誰もいない部屋の中で後方に吹っ飛ぶダーマ。

 横で見ている分には独りで何やってるんだとしか言いようがない、ダーマの姿。

 幸い一人で潜入していたので、部下に見られることは無かった。




 まあ、そんなことが慰めになるわけでもないが。

 ダーマはしばらく埃だらけの床をのたうち回っていた。


 痛い。


 とても痛い。


 鼻のやや上あたりを思いっきり殴られた。


 呪いや聖魔法など、呪術を受ける系の痛みとは暴力の質が違う。

「な、なんだ? なんだ今のは!? どこのバカが死霊を物理で殴るんだよ!?」

 やっと起き上がったダーマは涙目で叫んだ。

 悪霊は当然ながら霊体で、人間は触ることが出来ない。

 壁も人の身体もすり抜けてしまうぐらいだから、殴るなんてことが出来るはずが無い。

 それをやらかすって、あの娘はどういうヤツなんだ!?




 状況が分からない。


 ダーマは別の悪霊に視界をつないで、別方向から距離をあけて廊下に出てみることにした。まずはあの女の観察だ。

 先ほどと同じように壁をすり抜ける。

 そして聖魔法使いの女の背後から……と思ったら、壁を抜けた途端に目の前にその女の顔が大きく映った。

「えっ?」


 距離があったはずなのに?

 察知されないように視界外の後ろから接近したのに?

 そして何故こちらを向いて、目の前に?


 そんな疑問をダーマが思い浮かべた次の瞬間。

「ぐはぁっ!」

 死霊使いはココの強烈なアッパーを顎に受け、またもや天井に届きそうなほどに大きく跳ね上がった……誰もいない部屋で。



   ◆



「やっぱり拳を聖心力で包めば殴れるじゃないか」

 一発くらわす方法さえわかれば、あとはココの動体視力で動きを合わせて悪霊をぶん殴るだけだ。


 そうなってくると、不意打ちでどこから飛び出して来るか分からないのも反射神経を試すゲームみたいで面白い。


 一発目は気持ち悪いドクロ顔のど真ん中に、会心の一撃をぶち込んだ。


 二発目はなんとなくコツが掴めてきたので、壁から飛び出して来る直前から迎撃のモーションに入って……完璧なタイミングで悪霊の顎へ拳をすくい上げた。


 ココは三度目に備えてせわしなく周囲を見回しながらも……思わずムフッと微笑んでしまった。

「なかなか面白いな……クセになりそうだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る