第132話 教皇聖下は考えます

 大陸会議の残っていた全体会議も、何とか二週間遅れで終了した。

 参加者たちも一か月半に及ぶ会議と選挙がなんとか終わってくれて、ホッとした顔で虚脱していた。今年は盛りだくさん過ぎて、誰も彼もが疲れ切っている。


「彼らも呆けていられるのは今のうちだけですよ。帰国となったら嫌でも現実に立ち返らないといけませんからね」

 教皇庁の廊下を歩きながら、ウォーレスは大陸会議をそう総括した。

「司教たちの現実って?」

「帰ったら仕事が山積みのはずですよ。往復も含めて二か月以上は地元を空けていたわけですからね。彼らも小なりとはいえ管区を預かる身です。司教座教会は大聖堂みたいに職員がたくさんいるわけでもないですし」

「二週間伸びたのが地味に効いて来そうだな」

「ええ。そして教皇庁の予算にも大打撃ですよ」

 ウォーレスが言葉に出しただけで死にそうな顔になる。

「王子に支払う選挙管理の経費に、会期延長で足止めされた二千人もの人間の滞在費……会議に出席しない従者には多少の小遣いも握らせないと、全体会議中の暇さえ潰せないですしね。教皇庁自体の業務も選挙で滞っていたので、後に残った影響はなかなか深刻です」

「突然の選挙がそんなに色々問題を引き起こしているのか……ホント、陰険ジジイヴァルケンは他人の迷惑考えてないよなあ」

 アイツ、望み通りに教皇てっぺんまで登っても引きずり降ろされるの早かったんじゃないだろうか。ココはそんな気がする。

 どよんと暗い顔のウォーレスがボソッと呟いた。

「王国への負債が洒落にならない金額なんですよね……聖女様を王子に売り飛ばせば、チャラにしてくれないかなあ……」

「余計な入れ知恵を教皇ジジイにするんじゃないぞ、ウォーレス? もし何かあったら、逃げる前におまえがジジイの愛人だって面白おかしくあちこちに吹き込んでやるからな?」

 軽い口調だけど全然冗談じゃない力を込めて、ココは教皇秘書の脇腹に拳をぐりぐりねじ込んだ。




「そう言えば、スカーレット派の処分はどうなるんだ?」

 ココが気になっていたことを尋ねたら、ウォーレスの顔色がさらに悪くなった。それはそれで頭が痛い問題らしい。

「代表団だった上層部は全員交代ですね。彼らのありようは女神様に否定されたわけですから、少なくとも幹部としては残れません。一から出直すにしてもあの連中のプライドの高さで、下働きから始められるかどうか……」

 どこか気がかりな様子に、ココは首を傾げた。

「何が気になるんだ? ヤツらの身の上なんか、心配するおまえじゃないだろ?」

「冷酷な人間みたいに言わないで下さい……まあ、彼らの再出発はどうでもいいんですけどね」

 否定したそばから肯定しているウォーレス。

「問題は穴埋めなんです」

「穴埋め? スカーレット大聖堂の人事か?」

「はい。組織として考え方が歪んでいることが証明されたので、いきなり内部昇格はさせられません。教皇聖下は教皇庁うちとブレマートンから大量に幹部を送り込み、向こうスカーレットの中堅を外に出して人事を混ぜるつもりです」

「スカーレットにブレマートンから天下り……」

 ココは思わず足を止めた。

「……ウォーレス。勉強しか知らない優等生に酒や賭博を教えたら、女房子供を売り飛ばすぐらいまでハマりこむぞ?」

「それが怖いんですよねえ……」



   ◆



 廊下の先で話し声がすると思ったら、またもやスカーレットの元聖女フローラをブレマートンの大司教秘書ヘロイストスが壁ドンしていた。

 ただ今回は前と立場が違うし、なんだかフローラも嫌がっていない様子。ココとウォーレスは顔を見合わせ、そっと覗き見してみる。


「私、もうどうしていいのか……」

 やつれはてた少女にキメ顔を見せながら、青年神官は優しく手を取る。

「大丈夫。誰だって道を間違うこともあるさ。だけど君の女神を思う気持ちが確かなら、もう一度やり直すことだってできるよ! ブレマートンうちへおいでよ。君を正しく導いてくれる先達がいっぱいさ!」

 すべてを失ってどうしていいか分からないフローラを、意外なことにヘロイストスが司祭として慰めているらしい。

(アイツに神官の適性があっただなんて驚きだな)

(アレでも一応エリートなんですよね、彼)

 ココとウォーレスがこそこそ話しているあいだに、フローラはブレマートンに世話になることに決まったらしい。

「私、初心に帰って一からやり直してみせます!」

「それがいいよ! 今までの常識はすべて捨てて、真っ新な気持ちで新しい世界をあるがままに受け入れるんだ!」

「はいっ!」

「向こうに着いたらシスター・トレイシーに紹介するよ。彼女ならきっと君を正しい道に導いてくれる。まずはバストアップ・ボディメイキングとポールダンスから始めてみよう!」

「分かりました!」


 ココとウォーレスはそっと邪教の勧誘現場を離れた。

「マジメちゃんほどコロっと騙されるんだな……」

「判断力が弱っている所に優しく声をかけ、捏造した世界の常識で洗脳する……カルト宗教の勧誘って怖いですねえ」


 次に会うときは、紐ビキニかな……。

 ココはフローラの新しい人生に幸あれと願わずにはいられなかった。



   ◆



 ウォーレスと別れたココが尖塔の上まで登ってみたら、先客がすでにいた。


「ジジイ……」

 そこでは教皇が一人、風に吹かれながら日の落ちかけた街並みを眺めていた。

 以前ここに来た時、教皇が時々考え事をする時に登っているとウォーレスが言っていた気がする。


「……夕日にたそがれている姿がカッコイイとか己惚れるのは十代までだぞ? おまえの歳でそれは、かなりイタいからな?」

「そんなことはチビッとも考えておらんわ!」




 二人で並んで黙って景色を眺めていると、前を向いたまま教皇ジジイが独り言のように語り出した。

「おぬし、女神様と直接会話ができるんじゃな……おそらく歴代の聖女でも、それだけの力を持つ者は少なかろう。ほとんどの聖女は、かのシスター・フローラぐらいだったはずじゃ」

「うん、ライラも言ってたわ。『呼び出して話をしてるのは、初代のマルタと私ぐらいだ』って」

「聖マルグレードか……そして乞い願って他の者たちにもお姿を見せて頂けたのは、聖スカーレット以来じゃな。おぬし、これだけでもう列聖できるぞ」

「そっかー……」

 ココは街並みの向こうに沈む太陽を眺めながら、遠い未来の事に思いをはせた。

「じゃあ……あと五十年もしたら、ここはいよいよ『ポン引き横丁裏大聖堂』に改名だな。命名式に私が自分で立ち会えないのが残念だ」

「おぬし、何の話をしとるんじゃ……?」




 しばらく黙った後、教皇はどこか懐かしむ顔で語り始めた。

「昔、まだ駆け出しの神官だった頃……儂にも神との対話ができると思うておった」

 老人の独白を聞いて、ココが振り返る。

「……ジジイ、疲れてるのか? ウォーレスにハーブティーでも頼もうか?」

「今の話ではないわ。おぬしより少し上ぐらいの年の頃よ」


 ケイオス七世の若い頃……将来を嘱望された青年神官トニオは出世の道をひた走っていた。

「神学校も養成課程も首席での。現場の教会に配置されてからも、同年代では才覚のあったほうじゃと思う。神官としての人生はずっとうまく行っておった」

「ふーん」

「挫折と無縁じゃった儂は、自分には神の恩寵が常に降り注いでいるとさえ感じておった……あのシスター・フローラの増長もな、分かるんじゃ。うまく行っている自分は神の偏愛を受けている。そう思っていたんじゃな」


 手すりに肘を乗せて頬杖をついていたココが振り返った。

「過去形だな?」

 ケイオス七世も、視線を合わせないまま苦笑いを浮かべた。

「過去形じゃな」


 自分は神にもっとも近い。

 そう思っていた時期が確かにあった。


「だがのう……出世を遂げ、同僚と椅子を争い、外の世界とコネを結んで……そんな人生を歩んでいるうちに、気が付けば神の声が聞こえなくなっておった」

「そうか……病院に行かずに済んだんだな」

「そういう話でもないというに」

  

「結局は儂も凡人であったということよ。神官として先頭を走っていた全能感から、儂はおのれが選ばれた人間だと己惚れておったんじゃ」

 赤みが抜けて夜に変わりつつある空を振り仰ぎ、教皇は目を細めた。

「ひたむきに聖務を行っていた若い頃は、自分は神官として神の御意思に沿っていると疑いもせなんだが……頂点が見えるところまで登って気が付けば、儂のやっていることは宮廷に巣くう政治家と何も変わらんかった」

 残光に照らされる老人の横顔は一見無表情のようで、自嘲に笑っているようにも、後悔に苛まれているようにも見えた。




 教皇は司教帽ミトンを脱ぐと、髪をかき上げる。

「奉職した時は、儂は己の一生を女神に捧げると決意しておったはずなんじゃ。そして順調に駆け上がったはずの神官の道は俗世と変わらぬ人生で、振り返ったら何も見えない中を迷走していただけの気もする。神の声など、そもそも自分には聞こえておらなんだ」

「聞こえないのが当たり前だろ?」

 ココは祖父ほどの歳の男の回顧に、興味無さそうにツッコんだ。

 自分ココの人生はこれからだし、経験者から言わせてもらえば……女神あのアホの声なんか聞こえると、やかましくてかなわない。

 むしろ聞こえなくて良かったんじゃないか? そんなふうに思ってしまうココだった。


「その通りじゃな」

 聖女の薄い反応に、何がツボに入ったのか教皇は肩を震わせて笑う。

「……だからこそ、思うんじゃ」


 振り返ってココを見つめる教皇の顔は、今までの八年の付き合いの中で最も真剣な表情だった。

「女神様は……我らにどうせよとお望みなのじゃろうか?」

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