第118話 聖女様は早期退職に興味があります

 ちらりとココは自分の並びの席を横目で眺めた。

 

 教皇は苦虫を噛み潰したような顔をしているけど、小刻みに震えるその唇から内心の動揺が見て取れる。

 “聖女を取り違えたのではないか?”という疑惑を提起されて、動揺を隠せていない。

(……あの野郎、きっと頭の中で私の素行を考えて『もしやあっちが本物では!?』とか考えてやがるな?)

 いい度胸だ。後で絞める。


 ただ、今は“目の前”のほうが先決だ。




 スカーレット派が“真の聖女”と呼ぶ新しい聖女。

 彼女……聖女フローラと名乗る修道女は、居並ぶ教団重鎮を前に堂々と挨拶をすませるとココに厳しい目を向けた。

 その視線の鋭さは、お世辞にも好意的なものとは言えない。


「あなたが“汚れた聖女”で知られたココ・スパイスね」

 のっけから喧嘩腰だ。しかも聞いたこともないあだ名が付いている。

 一言目からこの有り様。スカーレット派で普段ココがどのように言われているのか、いっそ聞いてみたいところではある。


 挨拶より先に罵倒の言葉を飛ばしてきたフローラは、腰に手を当て見下すように目を細めた。

「あなたの芳しくない噂は以前より聞いていましたけど……なるほど、聞きしに勝る態度の悪さね!」

 

 のっけから何を言っているのだろう?

(コイツは一目見ただけで、いったい私の何を分かってるつもりなんだか……)

 どうやら思い込みが激しいタイプらしい。

 これで態度が悪いなんて……ココはまだ全然、本領を発揮していないのに。


 ココがそんなことを考えているあいだにも、フローラの方はどんどん話を進めている。

「代表団が見聞きした実情を手紙で頂いて、わたくし……あまりに女神を冒涜したあなたの行いの数々に、正直卒倒するかと思いましたわ! これが女神様に選ばれた聖女!? そんなバカな! あなたのやっている事は調子に乗っているとか、権威をかさに着て職権を濫用しているなんてレベルではないですよ!」

 叫びながら指を突きつけてくるあたり、なかなか糾弾する姿がサマになっている。お小言ババアのタイプらしい。




 一方のココは敵意を向けられても白けた顔で、人差し指で頭をコリコリ掻いている。

 ココは気が短いけど、昔から陰口には慣れている。

 だからこの程度の失礼では爆発したりしない。

 精神的に大人だから、ココちゃん若者の暴走には寛容なのだ。

 ……但し。

 若者の失礼に“オコサマ”とか“ペタ”とか“発育不良”などのNGワードが入っていた場合は容赦はしない。ケツから煙突ブラシを突っ込んで奥歯を裏から磨いてやる。


 ちなみにココは十四歳。

 少女フローラは十九歳。




 フローラがココをやり込めている? 様子を見て、満足そうなヴァルケン大司教が進み出た。

「そちらの聖女の品性については、ここにいる者たちに今さら説明の必要もあるまい?」

 これは異論がないらしく、列席者は銘々に頷いている……ゴートランド派まで。

 ココは思った。

(今日は会議が終わったら……忙しくなりそうだなあ)

 鶏を絞めるのと違って、おかずが増えないのは残念だ。


 ヴァルケンが続ける。

「生まれ育ちの悪さは仕方がないことだ。庶民から聖女を選ばれたのは女神様、我らがとやかく言うことではない。だが! 迎え入れて八年、まともに教育をしてこなかった教皇庁の怠慢は許されることではない!」

 スカーレット派の主要メンバーが一斉に「そうだ!」と合いの手を入れたり、盛大に拍手し始める。対してゴートランド派は自覚があるのか、きまり悪そうに黙り込む者が多い。

「……いや反論しろよ、おまえら」


(言いたい放題だなぁ)

 そんなことをココが頭の中で思っていると、さすがに言われっぱなしではいられないのか教皇が荒々しく立ち上がった。

「ヴァルケン、おぬし言葉が過ぎるぞ!」

 教皇は握りしめた拳で机を激しく叩く。

「おぬしは我らの苦労を知らぬから、そんなことが言えるのだ! いいか!?」

 そこで急に発言の勢いが止まり……教皇はがっくり俯いた。

「……八年頑張って、やっとここまで社会性を持たせたのだぞ……」

 

 静まり返る中でココは立ち上がって軽く足腰のバネを確認すると、椅子から机に勢いよく駆け上がって宙に舞い……咽び泣く教皇の後頭部に、かかとを勢いよく振り落とした。



   ◆



 フローラさえもドン引きして言葉がない中、机に仁王立ちになったココは呆気にとられるヴァルケンに顎をしゃくった。

「前置きが長々うざったい。つまり、おまえは何をしたいんだ? 端的に言え!」

「……つ、つまりだな!」

 気を取り直したヴァルケンがココ(と教皇)を指さす。

「貴公と教皇ケイオス七世は女神の信任を得ているとはとても認めがたい! 我らスカーレット大聖堂は教皇と聖女の解任を発議し、選び直しを要求する!」




 スカーレット大司教の要求を受けたココは腕組みしてしばし考え……教皇秘書を振り返った。

「おいウォーレス、コイツ簡単に言うけどさ。教皇と聖女って選び直しできるの?」

「規定上は、教皇は解任と選挙はできます。健康や資質に問題があるのに引退しないのを無理やり辞めさせる為ですが……実際には今まで一度もやったことがありません」

「ふむ」

「聖女は規定自体がありません。女神様のご指名ですから、人間があれこれ言える話ではないので……」

 ココとウォーレスがチラっとヴァルケンを見ると、向こうもそれは分かっているようだった。

「しかり。聖女については選解任ではなく、八年前の見極めが失敗であったので正しい候補者に直すということだ。したがって教皇選の結果により、どちらの人選が正しいのか信を取りたい」

(モノは言いようだなぁ……)

 それが“聖女を選ぶ”って事じゃないかなあ……とココは思うが。


 要するに聖女の人選は教皇選の争点の一つと。

「ちなみにウォーレス、これって再選挙はやらないとならないのか?」

「……無謬であるべき教皇の指導力に正面から疑いが付けられたわけです。大司教クラスから訴えられたら、ただの誹謗中傷ではありません。どちらが正しいのか、信任投票の意味でも行う必要があります」

「なるほど」

「それと聖女様」

「なんだ?」

「そろそろ教皇聖下の頭から足を外してもらえませんか?」

「ふむ」




 机から降りたココは自分の席に戻り、ざわつく会議場の中で色々考えてみた。

 

 初めは、とんでもないことになったな……と言う思いが胸の内を占めていたけれど。

 そのうちに一つ、大きな問題が存在することに気が付いた。

「これは……もしかして?」

 もしかするかも知れない。

 その“可能性”に気が付いたココは慌てて、教皇を介抱しつつヴァルケンと舌戦を始めた器用なウォーレスを呼んだ。

「おい、ウォーレス!」

「ああもう、なんですか聖女様!? 今忙しいんで……」

「もしかして私……もうお役御免なんじゃない?」

 ココが漏らした一言に、ウォーレスが固まった。




 このフローラとか言う女が本物か偽物かは置いておいて。

 “扱いやすい”後任が出て来たんだから、“代替わりまで”と言われていたココの任期はこれで終わりでいいんじゃないだろうか。

(四年も早いけど……)

 大人になってから社会に出るつもりだったけど、先日干し魚工場で働いて自信もついたところだ。このまま外に出たって十分食べて行けるだろう。

 迷っていたココの気持ちが前向きになった。

「……うん、逆に今出たほうがいいかも知れないな。正直もうちょっと稼ぎたかった気はするけど、魚屋の方が聖女より稼ぎが良かったしな!」

「せ、聖女様……?」

「それに四年も早ければ、さすがのセシルも私の包囲網をまだ用意してはいないだろうし……よしっ、いきなり押しかけて貯金返せと要求してやるぞ! 退任だから正当な理由だ、四の五の言わせない!」

「聖女様! 聖女様ってば!」

「うははは! 王宮の金蔵をどうやって破ろうか悩んでいたけど、これで事件にしないで済んだな! ……待てよ? 教団かいしゃ都合の早期退職だから、退職金もちにげを(勝手に)割り増しでもらってもいいんじゃないか!?」

「聖女様っ!」

「うわっ!?」

 気が付いたらいつの間にか、ウォーレスが教皇を放り出してココの肩を掴んでいた。


「なんだウォーレス。ひとが素敵なシルバーライフプランを考えている時に」

「この部屋で最年少が老後の計画なんか立てないで下さい」

 教皇秘書はいつもの能天気な見た目をかなぐり捨て、必死な顔でココを見つめている。

「いいですか聖女様。我々としてはあなたが本物の聖女だと確信しているんです!」

「その割にはみんな動揺していたが」

 あてにならない自派を叱り飛ばし、ウォーレスは再度ココを見つめた。

「聖女には選ばれるだけの使命があるんです。我々はそれを信じているんです」

「八年間儀式ミサの出席と施設の慰問しかやってないけど。フローラアイツでもきっと務まるぞ」

「あと四年で何か本物の聖女が必要な事があるかもしれないじゃないですか」

「聖女が絶対必要な事態は私も勘弁してほしい」




 スカーレット派に対抗するためには、ゴートランド派も結束を固めないとならない。

 ウォーレスがそう思った途端に、聖女がなにやらおかしな考えに至ってしまった。

 何とか翻意させようと言い争いをするが、退職=自由に目がくらんだ聖女は全然考えなおしてくれない。

 

 ココが降りたら、ココが聖女だというのが間違いだと確定してしまう。

 そうなったら教皇選挙も当然、重大な失態を認めたとして負けてしまう。

 怪しげな聖女、怪しげな戦術を繰り出してくるスカーレット派にそんなことで追い落とされるのだけは避けねばならない。


 でも聖女様が早く辞めたいばかりに聞き分けが無いので……ウォーレスは最終手段をとることにした。

「そこにイイ子にして座ってないと、子守に王子様を呼びますよ?」

「わかった。イイ子で座ってる」

 聖女は重々しく頷いた。

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